アパッチ蹴球団-高校サッカー篇:project“N”- 

しばらく自分のサッカー観や指導を見つめなおしていきたいと思っています。

魔法の練習・・・

2008年09月02日 12時26分26秒 | サッカーの謎
先日、高校サッカー部のスタッフで学校練習の後、
今後の指導計画について話しあった。
また同時に、選手権予選敗退までの反省も行った。
10月末から関東大会予選を兼ねた新人戦が始まる。
それまでに、試験期間による練習中断期間もあるので
思った以上に練習時間がない、という認識がある。
スタッフとは何を最優先課題とするか、
その為にどういった練習をどのような時間配分で行うか、
できるだけディテールにこだわって話し合った。



一般的に会議というのは、
意外と結論が出ないことも多く、
話し合うこと自体が目的だったということも少なくない。
でも、今回の話し合いは
一定の方向性をスタッフ間で共有することはできたと感じている。



新人戦で50人近い選手を有するチームを
どのように地区の決勝まで持っていくか?
さらに、決勝リーグで勝つようなところまで持っていくか?
何が足りなくて、何を埋めて、何を伸ばすのか?



選手を固定し、その選手達だけを徹底的に強化するというのも
1つの方法であるとは思うし、
効率的だとは思う。



でも、長い目で見るといいことばかりではないと感じている。
効率性の影には、少なからず、デメリットも存在している。



チームには様々な選手がいる。
レギュラーにすごく近い場所にいる選手、
反対にレギュラーには遠い場所にいる選手。
いろいろな個性を持った選手達がチームにはいる。
能力も個性も違う選手達がどうすれば一体感を保てるのか?
同時に、適切な競争原理の中で緊張感を感じながら練習できるのか?



今のチームで選手に伝えたいのは
チームにいる以上、
一人一人がお互いに
お互いに助け合い、
言葉を掛け合う存在であるべきということ。



チームを固定化することにメリットとデメリットが存在するように
チーム全員で同じような練習をすることにおいても
もちろんメリットとデメリットが存在する。
ポジション毎のトレーニングをしても、
同様のメリットとデメリットは存在する。



そもそも、
全ての選手を満足させるような練習は存在しない。
また同時に、意味のない練習などない。



練習は試合を想定して行うものであるが、
試合のどのような場面を想定しているのか?
それは設定によって変わってくる。



選手達がその設定の裏にある狙いをどれ位意識できるか?
ポジションによっても違うし、
選手によっても異なってくるとは思う。



単純な設定やドリル形式の単純な練習でも、
選手がその中でどのような意味を自分でつけていくのか?
それによって、練習の効果は大きく変わってくる。



引退した中田英寿選手が
2人1組の単純なキック練習においても
様々な場面を想定しながら、
いろいろなキックを蹴り分けていた、
というのは有名な話だが、
中田選手の『練習をどのように自分なりに解釈すべきか』という意識は
全ての選手にとって見習うべき部分だと思う。



また、単純な練習ほど
指導者はリアリティーをもてるようなコーチングや声掛けをすべき。



どんな練習でも、自分なりにどう意味付けをするのか?
試合でのリアリティーを意識できるのか?
その積み重ねによって、
練習の効果や選手の成長は大きく変わってくる。



練習における狙いを意識した上で
さらに、いい現象が出てくればもっといい。
指導者の狙いをいい意味で飛び越えてくれればもっといい。



そのように考えると
試合形式の練習ができない場合に、
試合の場面を切り取って
試合を意識できるような〝魔法の練習〟を指導者が考えるのは
頭の体操になるし、サッカーを分析する1つのきっかけになるとは思うが、
ただ、試合形式の練習ができるなら
試合が一番の〝魔法の練習〟だと思う。



もちろん、試合ばかりやってもヘディングは上手くならないが
試合でヘディングが出来なければ、
試合形式以外の場所や時間で
ヘディングを練習する必要性を自覚できる。



また、実際の試合では
修正能力が必要になってくるが
ゲーム形式の練習であれば
その中で修正や駆け引きというものも意識できる。



中には、パターンを欲しがる選手もいるので
そのような選手はゲーム形式の練習に対して
ネガティブな態度を見せる時もある。



選手を固定し、パターンを決め、
一時の安定感を求めても、
試合においてどれ位の効果があるのだろうか?



選手を固定してパターン練習をするなら、
同じ時間で選手を固定せずにゲーム形式の練習を通じて
チーム内にコンセプトを浸透させるやり方に魅力とリアリティーを感じる。



試合はパターンだけではない。



サッカーが最もロースコアなボールゲームであるのは何故か?
足と頭でのボールコントロールという
他のボールゲームに比べて、
ボール操作に安定感を欠くことが根拠になっている。



ボール操作が不安定な分、バスケットやバレーボールに比べて
パターンをチームとしては表現しにくい。
チームとしての戦術も表現が難しい。



やるにしても見るにしても、
サッカーの経験の少ない方がサッカーの試合を観戦すると
どういう戦術でゲームを行っているのか、
解りにくいのがサッカーというスポーツ。



練習や話し合いやミーティングを通じて
一定の共通理解やコンセプトを共有し、
足りない部分は個人の判断やアドリブ、修正能力で補う、
というのがサッカーというスポーツだと解釈している。



サッカーの本質が組織と個人のバランスで成り立っているなら、
練習においても個人の判断を奪うべきではない。
ゲーム形式の練習をするにしても
選手達には
コンセプトを意識しつつも、
個人のアドリブや修正能力を忘れないでいてほしいと思う。



上手くいかない時に
どうすればチームのコンセプトを表現できるのか?
どこを修正すればチームのコンセプトがはまるのか?
まずは相手のストロングポイントを消した方がいいのか?
いろいろな判断や修正のやり方があると思う。



何が正解なのかは誰にもわからないが
答を探そうとすることを忘れてはいけない。



パターンが上手くいかないから、今日の試合は絶対に勝てないと
白旗を揚げてしまうのか?
勝つ為にあれこれ様々な修正にチャレンジするのか?



こう修正したら上手くいきそうだな、
ということがグランドの外にいる方がわかりそうに感じることもあるが、
基本はグランドの中にいる選手達が自分自身の力で
その答を見つけるべき。



指導者がグランドの外から常に答を出して、
選手が指導者の判断を忠実に実行するというのは
少なくとも自分が考えるサッカーの本質からは遠く離れている。



練習でチームコンセプトを共有化する作業を積み重ねつつも
足りない部分は個人の判断やアドリブで補うべき。
同時に、一人の判断と声に全員が反応し、
チームとしてスムーズに修正できるのが理想。



サッカーが世界中で愛されている理由は
組織と個人のバランスが常に存在しているからこそ。
バランスの取り方が簡単ではないから、不安定だからこそ奥が深い。
単純なルールの中に存在する奥深さが世界中の人々を魅了する。



組織と個人のバランスの取り方はチームによって異なるが、
どちらだけでも上手くいかない。
組織に埋没しても、個人に依存しても、
チームは機能しない。



組織と個人のバランスの取り方は簡単ではないし、
選手も指導者も本当に悩む。
でも、組織と個人のバランスや
自分なりのバランスの取り方については
悩みながらも考え続けるしかない。
バランスにおける自分なりの落しどころを探し続けなければならないのは
サッカーでも人生でも同じ。



練習においても、
常に組織と個人のバランスを忘れないようにしたい。
そのためにも、可能な限りゲーム形式の練習にこだわりたい。
ゲーム形式以外の練習をする場合でも
個人の判断や修正能力、アドリブを奪わずにいたい。
個人が意味付けする余地を残しておきたい。



チームで助け合いながら何かを成し遂げる素晴らしさと同時に
サッカーだけでなく自分の人生についても
自分自身で意味付けすることの大切さも
選手達には伝え続けていきたいと思う。


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