アパッチ蹴球団-高校サッカー篇:project“N”- 

しばらく自分のサッカー観や指導を見つめなおしていきたいと思っています。

楽しむことの意味

2007年10月11日 16時55分56秒 | サッカーの謎
「今後はフィジカル小テストは定期的に行い、
 一定の基準を超えない選手は
 罰として通常練習時に重たいフィジカルトレーニングを課す予定。
 そうならないように、自主トレも含めて頑張ってほしい。」
という計画を緊急ミーティング以前に選手達の前で話をした。



その趣旨は、以前にもブログで書いた通り、
選手達にサッカーと真剣に向き合ってほしい、
フィジカルトレーニングを自ら課すことで
メンタルの強さにもつなげていってほしい、
といった点にある。



自分の説明が足りなかったのか、
緊急ミーティングの中、
高1の2人から
『フィジカル小テストがあると、
 罰ゲームのことが気になって、
 サッカーが楽しめないので、
 クラブを退部したい・・・』
という趣旨の発言があった。



『サッカーを楽しむ・・・。』
抽象的でシンプルな言葉ほど、
解釈の幅が広がってしまうもの。



簡単に【ENJOY】という英語に置き換えられるものではないが、
【楽しむ】というのが、
どういう意味なのか?
指導者も選手も
一度は壁にぶち当たる言葉だと思う。



【遊び】なのか?
【楽しさ】なのか?
また、全く別の解釈があるのか?



もしかしたら、統一的な解釈ができる類の言葉では
ないのかもしれない。



トップレベルのフットボーラーの【楽しむ】ことと
単なるアマチュア選手の【楽しむ】ことに意味は
違うのかもしれない。



ロナウジーニョとカカ、
小野と中村、
ジエゴとセスクでは
それぞれ【楽しみ】方というか
【楽しむ】ことの意味が違うのかもしれない。



私自身、指導者としても
いつもどこかで【楽しむ】ことの意味を探していた気がする。



2002年のワールドカップで
韓国代表のヒディング監督が
試合前のロッカールームで
『楽しんでプレーしよう』ということを話したという。



ヒディング監督自身もその著書で
『アメリカ人の考え方に影響を受けた・・・』旨の
発言をしていた。



ただ、2002年のワールドカップにおける
韓国代表のプレーぶりは
地元の声援があったとはいえ、
鬼気迫るものがあったし、
ロッカールームで足が立たなくなるほどだった・・、という。



そのプレーぶりからは
ヒディング監督の言った『楽しむ』という言葉の意味は
単なる【遊び】といった意味ではないことが理解できる。
それとも『試合前は、自然と緊張してしまうのでリラックスしよう』
という意味だったのだろうか。



自分も高校サッカーで選手達を指導しながら
時折ふとした瞬間に、
【楽しむ】とは何か?
答の出にくい禅問答を繰り返していた。



それでも、突然目の前に、
【楽しむ】ことの輪郭が
おぼろげながら見えてくることがある。



【楽しむ】とは成長することではないか。
上手くなること、速くなること、強くなること、賢くなること。
今までできなかったことができるようになる。
今まで勝てなかった相手に勝てるようになる。
自分の成長を実感できたときこそ、
自分自身の中に【楽しい】という感覚が芽生えてくる。
そういうことなのではないか。



また、ある時は
相手と殴りあうような真剣勝負というか緊張感の中で
相手の裏をかいたり、
また、相手の狙いを読んだりする、
[相手との駆け引き]こそが【楽しさ】の中身なのかもしれない。
そう思ったりもする。



[自分自身の成長]と[真剣勝負の中での駆け引き]。
今、自分の中ではこの2つが【楽しむ】ことの解釈の軸になっている。



今は自分なりの【楽しむ】という言葉の意味を見つけ出した
ような気がしているが、
全ての選手が【楽しむ】ことを同じように考えているかどうかは
全く自信はない。



それでも、
【楽しむ】こと=[成長]+[駆け引き]
という解釈の基準をもって
選手に接していきたいと思う。



ただ、これからも
『人間の生きる意味は何か?』
『いい人生とは何か?』
という問いと同じように、
『サッカーを楽しむ』という問いの答を探し続けたい。



また同時に、
『いいフットボールとは何か?』
『いい選手とは何か?』
『いい練習とは何か?』
『いい指導者とは何か?』
という問いに対しても
答を探しつづけたい。



数学の解答のように完璧な答を見つけられるか、
わからないが、
答を探し続けることこそが
指導者としての自分の成長につながるはず。



指導者として、
一人の人間として、
一人の大人としての、
自分自身の成長こそが
最大の【楽しみ】になる。
そう信じたい。



【楽しみ】の存在が希望に変わり、
希望はコーチングという冒険において
足元を照らす明かりになる。



今でも試行錯誤を繰り返しているが、
これからも、失敗を怖がらずに
コーチングの冒険を【楽しみ】たい。


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。