アパッチ蹴球団-高校サッカー篇:project“N”- 

しばらく自分のサッカー観や指導を見つめなおしていきたいと思っています。

心が動く方へ

2014年10月26日 23時51分17秒 | 人として
先日、指導していた選手の大学サッカー部での練習試合を見に行った。
その選手は怪我をしていたこともあり、出場時間も20分位だった。
その選手はその試合が大学サッカー部として最後の試合だった。

怪我の為に出場できた時間は短かったし、
膝に巻いたテーピングは痛々しかったが、
とても伝わる試合だった。

サッカーの試合においては
技術的に高い試合でも伝わらない試合、感情移入出来ない試合は少なくない。

でもその試合は
戦う気持ち、点を取りたいという気持ち、試合に勝ちたいという強い気持ち、
それらが前面に表れていた。

その試合に懸ける想いが伝わってきた。

最終的に点は奪えなかったが
とてもいい試合だった。

その選手はリーグ戦にレギュラーとして定着は出来なかったが
チームのどのカテゴリーにいても懸命に戦っていた。

実際、彼は指導していた高校時代よりも大学に入ってから大きく成長した。



以前、その選手と話をしたときに大学入学当初は
「大学の体育会サッカー部というのは全く考えていなかった」
と言っていた。

自分の実力と大学の体育会サッカー部とのレベルの差を
なんとなく感じてのことだったのかもしれない。

でも、それでも彼はその厳しい環境に飛び込んだ。

自分がサッカーが好きだという気持ちだけを抱えて
敢えて厳しい世界に飛び込んだ。

実際、苦しい日々が続いたと思う。

100人近い部員がいるチームでは
周囲の選手以上に成長しなければメンバーにすら選ばれない。

おそらくサッカーを行っている時間は
自分自身と向き合う時間だったはず。

自分の特徴は何なのか?
自分の武器は何なのか?
自分の課題はどこにあるのか?
自分は何を?そして、どこを目指すべきなのか?

サッカーと向き合う日々は
それらの疑問を問い続ける日々でもあったはず。

それでも彼が最後まで続けることが出来たのは
一緒に頑張る仲間がいたことと
サッカーが好きだという強い気持ちがあったからだったと思う。 

彼は自分の可能性を信じ続けて逃げずに自分を疑わずに
最後までやりきった。

それでいい。

むしろ、それこそが大事。

才能とか、上手いとか上手くないとか、結果がどうとか、
そんなことは全く関係ない。

自分がそれを好きで、それをやりたくて、
何があっても最後までやりたいと強く思い、
そして最後までやりきる。

それでいいのだ。
それだけでいいのだ。

自分の好きなものを大事に握り締めながら
日々を丁寧に一生懸命生きる。

それだけでいい。

サッカーでも、サッカー以外のものでも
何かをやりたいと強く思う気持ちは
自分と世界を繋げていく。

言い方を変えれば
自分のやりたいこと、自分の好きなことは
世界に通じる窓であり扉。

その窓を通じて、色々な世界を知る。
その扉を抜けて世界の広さを知る。
例えば、サッカーであれば世界のサッカーを知り、その奥深さを知る。
サッカーには色々な角度や切り口があることを身体で知ることができる。

サッカーを知ることで人は人と関わり、成長する。

時には「お前はどう考えるのだ」ときつく問われるが、
その問いかけを通じて今度は
「俺は何者なのだ」
「俺は何がしたいんだ」
「俺は何が出来るのだ」
こういった自分自身への問いかけが始まる。

世界を知ると同時に始まる自分自身の問いかけは
時として苦しい時間かもしれないが
その過程を通じて必ず人は成長する。

サッカーでもいい。サッカー以外でもいい。
音楽でもいい。演劇でもいい。
学問的研究でもいい。政治的活動でもいい。
モータースポーツでもいい。
とにかくなんでもいい。
自分の好きなこと。
自分がやりたいと心から思えること。
それは絶対に離してはいけない。
絶対に握り締め続けなければいけない。

それが自分の中心にあれば
人は頑張れる。
苦しくても逃げずに踏ん張れる。
そしてその逃げずにもがき踏ん張った経験は
その人の「骨」を確実に強くする。

誰とも比べない。
どんな時でも自分の気持ちに正直に生きる。
自分の心の動きを大切にする。
自分の心の向かおうとしている先をしっかり見極める。

それが大事。
それがあれば人は前に進んでいける。
自分の足で歩いていける。
雨でも雪でも一歩ずつ進んでいける。



若い選手から大事なことを学ばせてもらった。
私自身も彼のように自分自身の心の動きに正直に生きていきたいと思う。


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