昨年後半に行ってきた城攻めシリーズ。千葉県佐倉市と印旛郡酒々井町にまたがる、本佐倉城へ行ってきました。
本佐倉城は連郭式の平山城。続日本100名城にも選定されています。
十五世紀後半頃、千葉氏の居城として築かれました。その後100年に渡り千葉氏の居城として使用されましたが、小田原征伐の際に千葉氏は改易。江戸初期には佐倉藩の藩庁が置かれるなどしましたが、後に近くに佐倉城が築城されて藩庁はそちらへ移り、本佐倉城は廃城となりました。

京成線の大佐倉駅からスタートです。

続日本100名城のスタンプは、この大佐倉駅にあります。
この写真の真ん中にあるのは京成電鉄の駅めぐりスタンプで、続100名城のスタンプは右の缶の中に入っています。

図案は本佐倉城を空から俯瞰したところですね。ちょっと珍しいデザインで面白いです。
ついでに、パンフレット的なものも置いてないかと思っていたのですが、特にありませんでした。一応、本佐倉城については事前にある程度調べていたのですが、「現地でパンフレット的なものを入手しよう」と思っていたのであまり細かいことまで頭に叩き込んではいなかったんですよね。このおかげて、現地の散策でちょっと苦労することになります。
パンフがなかったので、記憶を頼りに主郭があった方へ何となく移動していきます。地図アプリを見ても、城郭内のルートなどは載っていないんですよね。ちゃんと見て回れるのか、少し不安になってきます。


本佐倉城はこっち、という看板を発見。

途中分かれ道があって、こっちでも城に行けるよなぁ、と思って左の方を覗いてみたのですが、竹が倒れていて通れなくなっていました。
あれ、意外と荒れている? 大丈夫かなぁ?
無理やり通れなくもなさそうだけど、まずは他のルートに当たってみることにします。


ようやく地図付きの案内板を発見。ちょっと小さいけど。
良かった、これでなんとかなりそうですよ。

この看板のあったところの真ん前が、中池のあったところです。
本佐倉城は大きく内郭と外郭で構成されています。この日は時間の都合で行きませんでしたが、左側に見える山の辺りが、外郭を構成する向根古谷です。

ここからいよいよ本佐倉城の内郭群へ入っていきます。
奥に見えるのは妙見神社。妙見様は千葉氏の守護神で、千葉氏の城には大体妙見神社があるそうです。


竹林を抜けて山の上へ。
この日はそれほどの山道ではないだろうと思ってスニーカーで来たのですが、坂自体は大したことはないものの、思っていたより足元が土や草ばかりで、トレッキングシューズの方が良かったかと思います。
本佐倉城の内郭群はI 郭からVII 郭まで7つの郭で構成されています。


登りきったところの右手にある、一段高くなっている郭がII 郭の奥ノ山。現在は何もないだだっ広い広場ですが、元はここに妙見神社があったようです。


元の道に戻り、左手にあるのがIII 郭の倉跡。その名の通り倉があったようですが、やはり今は何もない広場になっています。

その先の右手側に大堀切があります。ここは堀切であると同時に、城の中心である城山への通路となっています。堀切の右側が奥ノ山。左側が城山になります。

堀切をすいすいと登っていきます。

城山入り口にある虎口。

虎口を抜けると、I 郭の城山に到着。ここは城主が執務を執っていた場所になります。


ここもやっぱり建物などは残っていませんが、どこにどんな施設があったのかはよく調べられていて、案内板、看板などで解説されています。


登ってきたところとは別のところに下り口があり、城山の北側に回り込めたのですが、こっちは行き止まりみたいです。

城山から降りてきて、左手側にあるのがIV 郭。ここだけ日本語の名前がなく、単にIV 郭となっているのは、何に使われていたのか不明なためです。
当然、特に何もありません。

IV 郭の横を降りていくと……。


あ、これ、写真で見たことあるヤツだ。
ここはV 郭の東山馬場で、千葉氏の家紋である月星の紋が付いた盾がたくさん並んでいます。
本佐倉城には建物関係はまるでないのですが、なぜかこれだけがポコポコ立てられているんですよね。フォトジェニックと言えばフォトジェニックなんですけど、あまり観光地化されていない質実剛健な本佐倉城にあっては、むしろ蛇足のような気もします。

裏側はこんな感じ。

東山馬場の北側には東山があります。

ここはビューポイント。本佐倉城の北側が良く見えます。ほとんど畑ですけどね。

筑波山の双耳峰が見えました。本当は1月に筑波山に登るつもりだったんですけど、緊急事態宣言のおかげで延期しているんですよね。3月くらいに登れるといいなぁ。

東山から東の方へと尾根が伸びています。

東山の東の端。木が多くて、あんまり眺望はありませんでした。

東山のビューポイントの下には、本佐倉城の大看板がありました。

しかし、こんな構造で、遠くから見えるんですかね?

東山から城の北側へ出る、東山虎口。

東山虎口の西側に広がるのが、VI 郭の東光寺ビョウ。どうやら馬場ではないかという説があるようなのですが、ここも使途不明の郭です。
しかし、東光寺ってのはお寺でしょうけど、ビョウってのは何なんだろう? 廟? なぜかカタカナだから、意味がよくわからない……。

東光寺ビョウからまた山の方へ入っていく入り口、南奥虎口。

南奥虎口を抜けて、内郭最後の郭であるVII 郭・セッテイへ。
セッテイは接待用の館があったとも、人質用の館があったとも言われているようです。これも、なんでカタカナなんだろう?
今歩いているところは堀切で、奥の山の上がセッテイとなっています。この道をさらに進もうと思ったのですが……。

竹藪があまりにも藪過ぎて、進めませんでした。
最初の方に竹が倒れて進めなかった道がありましたけど、この道を進んでいくと、そこと繋がるようですね。これで内郭七郭は一通り回ることができました。


東光寺ビョウから大佐倉駅方面に戻ろうとしたのですが、その入り口で、一番丁寧な全体地図を発見しました。
あー! これを最初に見ていたら、もっと分かりやすく回れたのにー!
本佐倉城は建造物はまるでないのですが、立体感のある山の中に郭や堀切などがよく残っており、歩いていてとても楽しい城でした。あまり観光地化されていないので人も少ないし、ゆっくりのんびり見て回ることができます。
ただその裏返しで、案内板こそ多く設置されていますが、ルートがわかりにくかったり、若干危険だったりする部分もあるので、訪問するなら事前にいろいろと調べておいた方が良いと思います。あと、それほどハードではありませんが、山歩きできる靴がおすすめです。
本佐倉城の散策には、酒々井町のwebサイトが参考になります。
よみがえる本佐倉城跡 酒々井町ホームページ
個人的にはかなりお気に入りの城です。今回は外郭を回れなかったので、また機会をみつけて再訪問できればと思います。セッテイの方にも行けるといいなぁ。
本佐倉城は連郭式の平山城。続日本100名城にも選定されています。
十五世紀後半頃、千葉氏の居城として築かれました。その後100年に渡り千葉氏の居城として使用されましたが、小田原征伐の際に千葉氏は改易。江戸初期には佐倉藩の藩庁が置かれるなどしましたが、後に近くに佐倉城が築城されて藩庁はそちらへ移り、本佐倉城は廃城となりました。

京成線の大佐倉駅からスタートです。

続日本100名城のスタンプは、この大佐倉駅にあります。
この写真の真ん中にあるのは京成電鉄の駅めぐりスタンプで、続100名城のスタンプは右の缶の中に入っています。

図案は本佐倉城を空から俯瞰したところですね。ちょっと珍しいデザインで面白いです。
ついでに、パンフレット的なものも置いてないかと思っていたのですが、特にありませんでした。一応、本佐倉城については事前にある程度調べていたのですが、「現地でパンフレット的なものを入手しよう」と思っていたのであまり細かいことまで頭に叩き込んではいなかったんですよね。このおかげて、現地の散策でちょっと苦労することになります。
パンフがなかったので、記憶を頼りに主郭があった方へ何となく移動していきます。地図アプリを見ても、城郭内のルートなどは載っていないんですよね。ちゃんと見て回れるのか、少し不安になってきます。


本佐倉城はこっち、という看板を発見。

途中分かれ道があって、こっちでも城に行けるよなぁ、と思って左の方を覗いてみたのですが、竹が倒れていて通れなくなっていました。
あれ、意外と荒れている? 大丈夫かなぁ?
無理やり通れなくもなさそうだけど、まずは他のルートに当たってみることにします。


ようやく地図付きの案内板を発見。ちょっと小さいけど。
良かった、これでなんとかなりそうですよ。

この看板のあったところの真ん前が、中池のあったところです。
本佐倉城は大きく内郭と外郭で構成されています。この日は時間の都合で行きませんでしたが、左側に見える山の辺りが、外郭を構成する向根古谷です。

ここからいよいよ本佐倉城の内郭群へ入っていきます。
奥に見えるのは妙見神社。妙見様は千葉氏の守護神で、千葉氏の城には大体妙見神社があるそうです。


竹林を抜けて山の上へ。
この日はそれほどの山道ではないだろうと思ってスニーカーで来たのですが、坂自体は大したことはないものの、思っていたより足元が土や草ばかりで、トレッキングシューズの方が良かったかと思います。
本佐倉城の内郭群はI 郭からVII 郭まで7つの郭で構成されています。


登りきったところの右手にある、一段高くなっている郭がII 郭の奥ノ山。現在は何もないだだっ広い広場ですが、元はここに妙見神社があったようです。


元の道に戻り、左手にあるのがIII 郭の倉跡。その名の通り倉があったようですが、やはり今は何もない広場になっています。

その先の右手側に大堀切があります。ここは堀切であると同時に、城の中心である城山への通路となっています。堀切の右側が奥ノ山。左側が城山になります。

堀切をすいすいと登っていきます。

城山入り口にある虎口。

虎口を抜けると、I 郭の城山に到着。ここは城主が執務を執っていた場所になります。


ここもやっぱり建物などは残っていませんが、どこにどんな施設があったのかはよく調べられていて、案内板、看板などで解説されています。


登ってきたところとは別のところに下り口があり、城山の北側に回り込めたのですが、こっちは行き止まりみたいです。

城山から降りてきて、左手側にあるのがIV 郭。ここだけ日本語の名前がなく、単にIV 郭となっているのは、何に使われていたのか不明なためです。
当然、特に何もありません。

IV 郭の横を降りていくと……。


あ、これ、写真で見たことあるヤツだ。
ここはV 郭の東山馬場で、千葉氏の家紋である月星の紋が付いた盾がたくさん並んでいます。
本佐倉城には建物関係はまるでないのですが、なぜかこれだけがポコポコ立てられているんですよね。フォトジェニックと言えばフォトジェニックなんですけど、あまり観光地化されていない質実剛健な本佐倉城にあっては、むしろ蛇足のような気もします。

裏側はこんな感じ。

東山馬場の北側には東山があります。

ここはビューポイント。本佐倉城の北側が良く見えます。ほとんど畑ですけどね。

筑波山の双耳峰が見えました。本当は1月に筑波山に登るつもりだったんですけど、緊急事態宣言のおかげで延期しているんですよね。3月くらいに登れるといいなぁ。

東山から東の方へと尾根が伸びています。

東山の東の端。木が多くて、あんまり眺望はありませんでした。

東山のビューポイントの下には、本佐倉城の大看板がありました。

しかし、こんな構造で、遠くから見えるんですかね?

東山から城の北側へ出る、東山虎口。

東山虎口の西側に広がるのが、VI 郭の東光寺ビョウ。どうやら馬場ではないかという説があるようなのですが、ここも使途不明の郭です。
しかし、東光寺ってのはお寺でしょうけど、ビョウってのは何なんだろう? 廟? なぜかカタカナだから、意味がよくわからない……。

東光寺ビョウからまた山の方へ入っていく入り口、南奥虎口。

南奥虎口を抜けて、内郭最後の郭であるVII 郭・セッテイへ。
セッテイは接待用の館があったとも、人質用の館があったとも言われているようです。これも、なんでカタカナなんだろう?
今歩いているところは堀切で、奥の山の上がセッテイとなっています。この道をさらに進もうと思ったのですが……。

竹藪があまりにも藪過ぎて、進めませんでした。
最初の方に竹が倒れて進めなかった道がありましたけど、この道を進んでいくと、そこと繋がるようですね。これで内郭七郭は一通り回ることができました。


東光寺ビョウから大佐倉駅方面に戻ろうとしたのですが、その入り口で、一番丁寧な全体地図を発見しました。
あー! これを最初に見ていたら、もっと分かりやすく回れたのにー!
本佐倉城は建造物はまるでないのですが、立体感のある山の中に郭や堀切などがよく残っており、歩いていてとても楽しい城でした。あまり観光地化されていないので人も少ないし、ゆっくりのんびり見て回ることができます。
ただその裏返しで、案内板こそ多く設置されていますが、ルートがわかりにくかったり、若干危険だったりする部分もあるので、訪問するなら事前にいろいろと調べておいた方が良いと思います。あと、それほどハードではありませんが、山歩きできる靴がおすすめです。
本佐倉城の散策には、酒々井町のwebサイトが参考になります。
よみがえる本佐倉城跡 酒々井町ホームページ
個人的にはかなりお気に入りの城です。今回は外郭を回れなかったので、また機会をみつけて再訪問できればと思います。セッテイの方にも行けるといいなぁ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます