9月の3連休×2 は天気の悪い日が多かったのですが、最後の一日は好天に恵まれました。そこで神奈川県横須賀市にある浦賀城と、その周辺にたくさんある砲台跡を巡ってきました。

京急本線の馬堀海岸駅からスタート。

まずはまっすぐ海岸沿いへ。私は基本的に海よりは山の人なのですが、眺めている分には海もいいですよね。

少し行くと走水水源地公園があります。
ここは明治9年にフランス人のヴェルニーより造られた水源地で、明治時代には横須賀製鉄所の用水として使用されていました。
ここの水は「ヴェルニーの水」としてだれでも自由に汲むことができます。私もちょっと飲んでみようかと思っていたのですが、どこかのおじさんが大量のペットボトルに水を詰め込んでいる最中だったので、そのまま通り過ぎました。

その少し先には「夕日の富士」という、眺望ポイントがありました。

時間的に夕日が見られないのは仕方がないけど、雲がかかっていて富士山も見えませんでした。

もう少し行くと、ようやく走水低砲台跡に到着。

旗山崎公園の奥に小山を登っていく階段があり、その先に砲台跡があります。

ここには全部で4基の砲座跡があります。
階段を上って、一番手前にあるのが第4砲座です。

砲座のあるエリアからちょっと上に上がると、海が一望できます。

東京湾の入口となるこの辺りには、多くの砲台が造られました。

ガイドが同行していないと入れないエリアもあります。
走水低砲台跡が一般公開されているのは土日祝日の9:00~17:00まで。平日はガイドの同行が必要だそうです。


ここは砲弾の保管庫。


ここは兵舎なのですが、ずいぶんと殺風景というか、居住性は悪そうです。

曼珠沙華と蝶。
続いて、観音崎砲台跡へ。
旗山崎公園から海岸沿いに1㎞ちょっと移動すると、神奈川県立観音崎公園という結構大きな公園があり、この公園内にいくつかの砲台跡が点在しています。

観音崎公園はかなり広いエリアに渡って広がっており、全体的に小高い丘となっています。

横須賀美術館の横を登っていくと、三軒家園地という広場があります。

河童の案内板がラブリー。

その少し先にあるのが三軒家砲台跡。
予定では砲台跡だけ選んで見ていくつもりだったのですが、山歩き成分が足りなそうだったので、公園の北部に広がる森の方まで行ってみました。

走水展望広場からの眺望。
案内板には「東京湾の遠景」と書いてあり、まあ確かに見えますけど、木が多すぎですかね。

「ふれあいの森」を下って「いこいの水辺」へ。


ここから果実の森へと登っていきます。
結構アップダウンがあったのと、草木の生い茂り方が思いのほか激しかったのとで、まあまあ歩くのが大変でした。

果実の森の最奥部まで行こうと思っていたのですが、ルートが藪にふさがれていたので途中で撤退。登山道じゃなくて、公園内の普通のルートのはずなんだけどなぁ。

戻ってきて花の広場へ。ものすごくだだっ広い広場が広がっています。

その名の通り、周囲には花壇があります。

花の広場の南側に、腰越堡塁跡があります。「うみの子とりで」という遊具の奥に隠されるようにあって、人はあまりいませんでした。


さらに東に移動していくと、地層があります。


その先には、「戦没船員の碑」という巨大なモニュメントが。第二次世界大戦や海難事故の犠牲となって海洋で失われた6万余人の船員の霊を慰め、永遠の平和を願って作られたそうです。

ここからは太平洋がよく見えます。

その先にある「れんがトンネル」をくぐると……。


観音崎砲台・北門第三砲台跡があります。


その先には展望台となっている広場があり、良い眺望が得られます。

トンネルから元の道に戻り、北東方面へ。
googleマップを見ていると通れそうな道が表示されているのですが、実際には自衛隊の敷地があるため、入れなくなっています。ルートについては公園内の地図を参照するのがよさそうです。

観音崎砲台の北門第二砲台跡に到着。
かなり草が生い茂っていますね。結構薄暗く、人も少ない、寂しい雰囲気でした。

横にトンネルがありますが、ここも通行止めです。

この後、北に下りて海岸線沿いを進んで観音崎灯台を目指せば良かったと今なら思うのですが、ちょっと日和ってしまい、いったん公道に出て、楽そうな道で北門第一砲台、そして観音崎砲台へ。



少し坂を上っていくと、観音崎砲台・北門第一砲台跡があります。
トンネルで繋がれた2門の砲台跡が残っていますが、ベンチが設置されているなど、往時の雰囲気はちょっとそがれていますかね。

その先、地層のトンネルを抜けていくと……。

観音崎灯台があります。
地震などで倒壊しているため、現在建っているのは3代目。海岸沿いには先代の残骸なんかも残っているようで、海岸沿いを歩かなかったことはちょっと後悔ポイントです。


観音崎自然博物館。

もう9月なのですが、海で遊んでいる人も大勢いました。

たたら浜近くにあるバスステーションにある、「ゴジラの足跡」。
ちょっと楽しみにしていたのですが、思いの他小さく(1メートルくらい?)、ネタとしてもイマイチでした。
個人的日本三大がっかりのひとつに認定します。

トーチカ。
多くの車が通る道路沿いに、ぞんざいに残されています。


観音崎公園から海岸沿いに西へ移動し、浦賀城を目指します。

たたら浜から2㎞ちょっとで叶神社に到着。浦賀城は叶神社の裏山にあります。
叶神社は東叶神社と西叶神社と二つあり、こちらは東叶神社。西叶神社は海を挟んで西側にあります。

叶神社から石段を登っていきます。

途中、「勝海舟断食の碑」があります。
勝海舟が咸臨丸で太平洋横断の公開に出る前に、航海の安全を祈願して東叶神社の井戸で水垢離をして、裏山の山頂で断食をしたと伝えられています。

ここまでまあまあ歩いてきた後だったこともあり、なかなかキツイ階段上りでした。

山頂は平たく掘削されており、城っぽい感じです。
浦賀城は北条氏康が、安房の里見氏に備えて三崎城の支城として築かれたといわれています。
確認できませんでしたが、空堀などの遺構も残っているそうです。



南側が開けていて、海を臨むことができます。


東叶神社の西には浦賀の渡しがあって、対岸まで渡ることができます。
が、海を回り込んでもそんなにかからないので、そのまま歩いていきました。

海をぐるっと回りこんで、西叶神社へ。
まあここは、正面を通り過ぎだけですけど。


そこからちょっと南へ移動すると、浦賀奉行所跡があります。
ただ、案内板こそありましたが、跡地は完全に空き地となっています。
最後の目的地は千代ケ崎砲台跡。

他の砲台跡もそうなんですけど、千代ケ崎砲台跡もちょっと小高い丘の上にあります。
ここまで結構歩いてきた上に、想定よりもアップダウンもあったので疲労が溜まってきていて、この上りが結構キツかったです。観音崎公園の森歩きが余計だったか……。



千代ケ崎砲台は1892年から1895年にかけて陸軍により建設された砲台。観音崎砲台よりも少し後の時代になります。3つの砲座が並んでいて、各砲座にはそれぞれ2門の砲が設置されていました。
千代ケ崎砲台跡には砲座だけでなく、入口となる柵門から弾薬庫、兵員が過ごす掩蔽部、貯水所など、数多くの遺構が残されていて、大変見ごたえがあります。
猿島砲台と合わせて、「史跡東京湾要塞跡」として、国の史跡に指定されています。
一部の施設はガイド付きでないと入れません。めんどくさいからガイドはいいかなと思っていたのですが、入口にある休憩所に行ったらいつのまにかガイドと同伴するみたいな流れになっちゃっていたので、結局ガイドしてもらいながら中を見学しました。
ただ、砲台跡についてはほとんど知識がなかったので、結果的にガイドさんにいろいろ教えてもらって勉強になりました。観音崎砲台なんかも知識がなかったので、眺めて「へー」と思うくらいでしたけど、もう少し知識があればもっと注目すべき点があったのかもしれません。
ずっと話を聞きながら見ていたので、写真はまるで撮っていなかったのですが、ガイドさんに教えてもらったことで印象に残っていることとしては、次のようなところでしょうか。
・レンガの積み方にはフランス式とイギリス式とあって、古い施設はフランス式だけど、新しい施設はイギリス式になっている。猿島砲台や観音崎砲台はフランス式だけど、少し新しい千代ケ崎砲台はイギリス式。
・レンガは焼き時間をかけると水に強くなるので、入口付近の雨が入るところには焼き過ぎレンガを使用している。
・石積みも硬い石と柔らかい石があって、人がよく歩くところには硬い石を使用し、人が歩かないところは柔らかい石を使用している。硬い石はあまり劣化していないけど、やわらかい石は結構浸食されてボロボロになっていたりする。
・通路の屋根もレンガで作られているが、メインの通路に対して側道が斜めについている場合は、天井のレンガが「ねじりまんぽ」になっている。千代ケ崎砲台の「ねじりまんぽ」は3か所。
・砲座は敵から狙われないようにすり鉢状の底にあるため、直接攻撃対象を確認することができない。そのため、砲座の横に伝声管があり、攻撃する方向・角度を音声で伝える。
あと、これまで見てきたどこの砲台跡にもついていた、側面の小さなくぼみ。あれは砲弾を置いておくスペースだそうです。そのくらいの知識も無いんだから、話になりませんなぁ。
正直、この日は歩くことが主目的で、特に砲台跡については碌に調べていませんでした。山登りと違って適当に歩いていても危険があるわけじゃないので、それはそれでアリっちゃアリなんですけど、いろいろともったいなかったかなぁと思わないでもありません。
城跡なんかでも事前に調べていなかったために見逃したポイントがあったこともありましたし、やっぱり事前調査は必要ですね。ただ、そればかりにかまけていても、話が進まなくなってしまいます。こればっかりは、「なるべくがんばる」しかなさそうです。数をこなしていけば、だんだんとわかってくることもあるでしょう。

京急本線の馬堀海岸駅からスタート。

まずはまっすぐ海岸沿いへ。私は基本的に海よりは山の人なのですが、眺めている分には海もいいですよね。

少し行くと走水水源地公園があります。
ここは明治9年にフランス人のヴェルニーより造られた水源地で、明治時代には横須賀製鉄所の用水として使用されていました。
ここの水は「ヴェルニーの水」としてだれでも自由に汲むことができます。私もちょっと飲んでみようかと思っていたのですが、どこかのおじさんが大量のペットボトルに水を詰め込んでいる最中だったので、そのまま通り過ぎました。

その少し先には「夕日の富士」という、眺望ポイントがありました。

時間的に夕日が見られないのは仕方がないけど、雲がかかっていて富士山も見えませんでした。

もう少し行くと、ようやく走水低砲台跡に到着。

旗山崎公園の奥に小山を登っていく階段があり、その先に砲台跡があります。

ここには全部で4基の砲座跡があります。
階段を上って、一番手前にあるのが第4砲座です。

砲座のあるエリアからちょっと上に上がると、海が一望できます。

東京湾の入口となるこの辺りには、多くの砲台が造られました。

ガイドが同行していないと入れないエリアもあります。
走水低砲台跡が一般公開されているのは土日祝日の9:00~17:00まで。平日はガイドの同行が必要だそうです。


ここは砲弾の保管庫。


ここは兵舎なのですが、ずいぶんと殺風景というか、居住性は悪そうです。

曼珠沙華と蝶。
続いて、観音崎砲台跡へ。
旗山崎公園から海岸沿いに1㎞ちょっと移動すると、神奈川県立観音崎公園という結構大きな公園があり、この公園内にいくつかの砲台跡が点在しています。

観音崎公園はかなり広いエリアに渡って広がっており、全体的に小高い丘となっています。

横須賀美術館の横を登っていくと、三軒家園地という広場があります。

河童の案内板がラブリー。

その少し先にあるのが三軒家砲台跡。
予定では砲台跡だけ選んで見ていくつもりだったのですが、山歩き成分が足りなそうだったので、公園の北部に広がる森の方まで行ってみました。

走水展望広場からの眺望。
案内板には「東京湾の遠景」と書いてあり、まあ確かに見えますけど、木が多すぎですかね。

「ふれあいの森」を下って「いこいの水辺」へ。


ここから果実の森へと登っていきます。
結構アップダウンがあったのと、草木の生い茂り方が思いのほか激しかったのとで、まあまあ歩くのが大変でした。

果実の森の最奥部まで行こうと思っていたのですが、ルートが藪にふさがれていたので途中で撤退。登山道じゃなくて、公園内の普通のルートのはずなんだけどなぁ。

戻ってきて花の広場へ。ものすごくだだっ広い広場が広がっています。

その名の通り、周囲には花壇があります。

花の広場の南側に、腰越堡塁跡があります。「うみの子とりで」という遊具の奥に隠されるようにあって、人はあまりいませんでした。


さらに東に移動していくと、地層があります。


その先には、「戦没船員の碑」という巨大なモニュメントが。第二次世界大戦や海難事故の犠牲となって海洋で失われた6万余人の船員の霊を慰め、永遠の平和を願って作られたそうです。

ここからは太平洋がよく見えます。

その先にある「れんがトンネル」をくぐると……。


観音崎砲台・北門第三砲台跡があります。


その先には展望台となっている広場があり、良い眺望が得られます。

トンネルから元の道に戻り、北東方面へ。
googleマップを見ていると通れそうな道が表示されているのですが、実際には自衛隊の敷地があるため、入れなくなっています。ルートについては公園内の地図を参照するのがよさそうです。

観音崎砲台の北門第二砲台跡に到着。
かなり草が生い茂っていますね。結構薄暗く、人も少ない、寂しい雰囲気でした。

横にトンネルがありますが、ここも通行止めです。

この後、北に下りて海岸線沿いを進んで観音崎灯台を目指せば良かったと今なら思うのですが、ちょっと日和ってしまい、いったん公道に出て、楽そうな道で北門第一砲台、そして観音崎砲台へ。



少し坂を上っていくと、観音崎砲台・北門第一砲台跡があります。
トンネルで繋がれた2門の砲台跡が残っていますが、ベンチが設置されているなど、往時の雰囲気はちょっとそがれていますかね。

その先、地層のトンネルを抜けていくと……。

観音崎灯台があります。
地震などで倒壊しているため、現在建っているのは3代目。海岸沿いには先代の残骸なんかも残っているようで、海岸沿いを歩かなかったことはちょっと後悔ポイントです。


観音崎自然博物館。

もう9月なのですが、海で遊んでいる人も大勢いました。

たたら浜近くにあるバスステーションにある、「ゴジラの足跡」。
ちょっと楽しみにしていたのですが、思いの他小さく(1メートルくらい?)、ネタとしてもイマイチでした。
個人的日本三大がっかりのひとつに認定します。

トーチカ。
多くの車が通る道路沿いに、ぞんざいに残されています。


観音崎公園から海岸沿いに西へ移動し、浦賀城を目指します。

たたら浜から2㎞ちょっとで叶神社に到着。浦賀城は叶神社の裏山にあります。
叶神社は東叶神社と西叶神社と二つあり、こちらは東叶神社。西叶神社は海を挟んで西側にあります。

叶神社から石段を登っていきます。

途中、「勝海舟断食の碑」があります。
勝海舟が咸臨丸で太平洋横断の公開に出る前に、航海の安全を祈願して東叶神社の井戸で水垢離をして、裏山の山頂で断食をしたと伝えられています。

ここまでまあまあ歩いてきた後だったこともあり、なかなかキツイ階段上りでした。

山頂は平たく掘削されており、城っぽい感じです。
浦賀城は北条氏康が、安房の里見氏に備えて三崎城の支城として築かれたといわれています。
確認できませんでしたが、空堀などの遺構も残っているそうです。



南側が開けていて、海を臨むことができます。


東叶神社の西には浦賀の渡しがあって、対岸まで渡ることができます。
が、海を回り込んでもそんなにかからないので、そのまま歩いていきました。

海をぐるっと回りこんで、西叶神社へ。
まあここは、正面を通り過ぎだけですけど。


そこからちょっと南へ移動すると、浦賀奉行所跡があります。
ただ、案内板こそありましたが、跡地は完全に空き地となっています。
最後の目的地は千代ケ崎砲台跡。

他の砲台跡もそうなんですけど、千代ケ崎砲台跡もちょっと小高い丘の上にあります。
ここまで結構歩いてきた上に、想定よりもアップダウンもあったので疲労が溜まってきていて、この上りが結構キツかったです。観音崎公園の森歩きが余計だったか……。



千代ケ崎砲台は1892年から1895年にかけて陸軍により建設された砲台。観音崎砲台よりも少し後の時代になります。3つの砲座が並んでいて、各砲座にはそれぞれ2門の砲が設置されていました。
千代ケ崎砲台跡には砲座だけでなく、入口となる柵門から弾薬庫、兵員が過ごす掩蔽部、貯水所など、数多くの遺構が残されていて、大変見ごたえがあります。
猿島砲台と合わせて、「史跡東京湾要塞跡」として、国の史跡に指定されています。
一部の施設はガイド付きでないと入れません。めんどくさいからガイドはいいかなと思っていたのですが、入口にある休憩所に行ったらいつのまにかガイドと同伴するみたいな流れになっちゃっていたので、結局ガイドしてもらいながら中を見学しました。
ただ、砲台跡についてはほとんど知識がなかったので、結果的にガイドさんにいろいろ教えてもらって勉強になりました。観音崎砲台なんかも知識がなかったので、眺めて「へー」と思うくらいでしたけど、もう少し知識があればもっと注目すべき点があったのかもしれません。
ずっと話を聞きながら見ていたので、写真はまるで撮っていなかったのですが、ガイドさんに教えてもらったことで印象に残っていることとしては、次のようなところでしょうか。
・レンガの積み方にはフランス式とイギリス式とあって、古い施設はフランス式だけど、新しい施設はイギリス式になっている。猿島砲台や観音崎砲台はフランス式だけど、少し新しい千代ケ崎砲台はイギリス式。
・レンガは焼き時間をかけると水に強くなるので、入口付近の雨が入るところには焼き過ぎレンガを使用している。
・石積みも硬い石と柔らかい石があって、人がよく歩くところには硬い石を使用し、人が歩かないところは柔らかい石を使用している。硬い石はあまり劣化していないけど、やわらかい石は結構浸食されてボロボロになっていたりする。
・通路の屋根もレンガで作られているが、メインの通路に対して側道が斜めについている場合は、天井のレンガが「ねじりまんぽ」になっている。千代ケ崎砲台の「ねじりまんぽ」は3か所。
・砲座は敵から狙われないようにすり鉢状の底にあるため、直接攻撃対象を確認することができない。そのため、砲座の横に伝声管があり、攻撃する方向・角度を音声で伝える。
あと、これまで見てきたどこの砲台跡にもついていた、側面の小さなくぼみ。あれは砲弾を置いておくスペースだそうです。そのくらいの知識も無いんだから、話になりませんなぁ。
正直、この日は歩くことが主目的で、特に砲台跡については碌に調べていませんでした。山登りと違って適当に歩いていても危険があるわけじゃないので、それはそれでアリっちゃアリなんですけど、いろいろともったいなかったかなぁと思わないでもありません。
城跡なんかでも事前に調べていなかったために見逃したポイントがあったこともありましたし、やっぱり事前調査は必要ですね。ただ、そればかりにかまけていても、話が進まなくなってしまいます。こればっかりは、「なるべくがんばる」しかなさそうです。数をこなしていけば、だんだんとわかってくることもあるでしょう。
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