雑居空間

趣味のあれこれを、やたらめったらフットスタンプ

吉野ヶ里遺跡へ行ってきました

2022年01月30日 22時32分02秒 | 城攻め(九州)
 佐賀旅行最後の目的地、吉野ヶ里遺跡へ行ってきました。



 JR佐賀駅から長崎本線で10分ほどのところにある吉野ヶ里公園駅からスタート、なのですが、駅に着いたら雨がかなり激しくなってきてしまいました。傘があっても、出るのをためらっちゃうレベルです。
 ここまで来て行くのをやめるという選択肢も若干頭をよぎったのですが、どのみち、次の電車の時間までも結構あります。結局、20~30分くらい駅で時間をつぶしていたら、何となく雨脚が弱まってきたので、重い腰を上げることにしました。

 吉野ヶ里遺跡は、弥生時代の大規模な環濠集落跡です。1986年の発掘調査で発見されたのですが、これ、当時はニュースなどでも大々的に報道されていたので、私もリアルタイムでよく耳にしていましたね。まあ、当時は「そういう遺跡があった」くらいの認識でしかなく、まさか後に訪れることになるとは思っていませんでした。

 一応、日本100名城の一つに数えられており、戦のための防衛施設も多いです。ただそれだけではなく、吉野ヶ里遺跡には、人々が生活する一つの「クニ」が丸ごと含まれています。城跡だけじゃなくて、総構えの町全体が遺跡になっているようなものですね。
 そのため、吉野ヶ里遺跡のある吉野ヶ里歴史公園はかなりデカいです。今回の佐賀旅行では、名護屋城でも佐賀城でも、デカいデカいと言い続けてきたのですが、最後の吉野ヶ里遺跡も本当にデカい。歩き回るだけでも大変でしたよ。





 駅から吉野ヶ里遺跡までは、田んぼの真ん中みたいな道を行きます。
 ちょこちょこ案内板もありますし、田んぼなので見晴しもよく、迷うようなことはないと思います。
 この案内板についている少年少女は半立体になっていて、何気に金がかかっています。



 10分ほどで吉野ヶ里歴史公園に到着。



 この公園入口にある塀からして、石積みがあって水堀っぽくなっていたんですけど、これは別に当時の再現というわけじゃないと思います。



 なんかテーマパークの入り口のような雰囲気のゲートがあります。入園料は、大人460円、シルバー(65歳以上)200円、中学生以下は無料です。大人とシルバーはお得な2日間通し券や、年間パスポートもあります。

 この入り口の辺りには売店やレストランもあります。



 ゲートの先にある、天の浮橋を通ると、そこから先が吉野ヶ里遺跡となっています





 公園内は大きく4つのゾーンに分かれています。

 南東にあるのが入口ゾーンは、文字通り入り口をはじめ、レストランや売店などの商業施設や事務棟などがあえるエリア。一応メインの入り口はここだと思うのですが、他の場所にも入り口があるようです。

 環濠集落ゾーンは、吉野ヶ里遺跡にあった集落の様子が再現されています。城跡の様子を見たいということであれば、この環濠集落ゾーンが中心になります。

 南西にある古代の原ゾーンは、広いフィールドの中に、ディスクゴルフやグラウンドゴルフ、アスレチック系の遊具など、体を動かして遊べるアトラクションがあります。また、野外炊事コーナーなんかもあったりします。遺跡に興味がなくても、親子連れで楽しめる場所ですね。

 最後に、北部にある古代の森ゾーン。ここは弥生時代の森に近い環境を再現した森が広がっています。

 とにかく広いのですが、基本的には「全部行く」というスタンスで、ルートを決めました。おかげで、見学ルートとしてはちょっと変な順路になってしまいました。



 まずは環濠集落ゾーン。入ってすぐに星のオブジェがぶら下がっていたのですが……。いや、何でこう、弥生時代にそぐわないものを置いちゃうのか……。



 弥生時代の集落を再現しているのですが、道は基本舗装されており、大変歩きやすくなっています。



 イノシシの親子登場。
 いやまあ、これ、人形として見ればまあかわいいんですけど、何を思ってここに置かれているんですかね。村の近くにもイノシシが出ますよって言うのなら、もっとリアル目の造形にして、しぐさも自然な感じにすればいいのに、いかにも作り物な造形で、みんなで足を広げて踏ん張っているようなポージング。ただのにぎやかしならいいんですけど、ちょっと中途半端じゃないですかね。





 南のムラに到着。この辺りにはいわゆる一般庶民が暮らしていました。農耕をしたり、生活必需品の生産をしたりしていたようです。
 当然復元ですけど、竪穴式住居に、高床式倉庫と、みんながイメージする弥生時代が広がっていました。そうそう、これだよ、これ。イノシシの人形なんかいらなかったんや!



 あちらこちらにたくさん解説板が設置されているので、その建物がどんな役割を持っていたのかよくわかります。



 中に入ることができる建物もあります。
 ここはとある高床式倉庫の中で、カブ、大根、芋といった野菜類が貯蔵されています。なかなか凝っていますね。



 ここの一段高くなっている場所は祭壇で、祭りなどが行われた重要な場所で、今後も継続して発掘調査が行われる予定になっています。





 この一家はムラの警護役も行っていたようです。



 南のムラの西側には、村の境界線があります。



 敵の襲撃を警戒するために、物見櫓が建てられています。





 そして村は防壁で囲まれています。
 この頃の防壁は、土を盛った土塁の上に木の杭を打ち込んで柵を巡らせてあります。村の内側からみた土塁が明らかに土じゃないのはご愛敬。



 外から見た防壁はこんな感じ。戦国時代の城を見てきた後だとだいぶ原始的に感じますね(あたりまえ)。



 本当ならこのまま環濠集落ゾーンを歩き回った方が良かったんですけど、すべてのエリアを回ることを考えて、一旦南西にある古代の原ゾーンに行きました。
 ただまあ、やっぱり城跡視点で見た場合には、あんまり見るところはなかったんですけどね。



 池があったり。



 遊具があったり。



 グラウンドゴルフのフィールドがあったり。

 とりあえずぐるっと1周して、環濠集落ゾーンに戻ってきました。



 ここは南のムラから北に移動した、倉と市がある辺り。



 ただ、環濠集落ゾーンへ行くためには川を渡らないといけないのですが、雨の為に増水していて、渡渉のための飛石が少し水面下に沈んでいました。
 これ、山登りの途中で出くわしたならさっさと渡っちゃうところなんですけど、今、旅行中だからなぁ。渡れないこともないけど、靴が濡れて気持ち悪いのも嫌だし、まかり間違って足を滑らせたら目も当てられません。



 ここは無理をせず、ちゃんとした橋がかかっているところまで移動して渡りました。



 復元された古代の水田もあります。実際に古代に栽培されていた、赤米などを栽培しているそうです。



 愛。



 環濠集落ゾーンに戻ります。次は南の村の少し北にある、倉と市。他国と取引をしたり、税として集められた物品を治めたりする場所です。





 兵士の生活用品を治めた倉や、穀物類を収めた倉、市で交換するための道具類を収めた倉など、用途によって様々な蔵があります。



 ここは兵士の詰所。倉ではなく人が出入りする場所なので、壁がないし、大きな階段が作られています。



 ここは市楼という、市を管理する建物です。下の階は位置に関する事務的な手続きをするところ。上の階は兵士が駐留し、市の開催を知らせるための旗や太鼓があったそうです。



 ここは市を納める市長(いちおさ)の住居。南の村にあった一般の人住居よりも大きめですね。





 市から一段高くなっていて、柵で守られたエリアにも倉が並んでいます。



 ここは中国への貢物の貯蔵庫。



 ここは種もみの貯蔵庫。



 そして武器の倉です。
 この辺りは市にあった倉よりも、よりクニにとって重要な物が収められているわけですね。



 物見櫓も高くなっていきます。



 階段は妙に現代的ですけどね。





 倉と市のさらに上にあるのが、南内郭と呼ばれるこのクニの中枢部です。



 南内郭には、クニの最高権力者である王とその家族や、行政官である大人の家があります。



 ここにはひと際高い物見櫓があります。



 物見やぐらの上から、倉と市方面を眺めて。



 こちらは南のムラ方面。結構遠くまで見通せますね。南のムラの物見櫓がかわいく見えます。



 南内郭の入り口には、鳥の彫刻が置かれていました。単なる飾りなのか、それとも何か呪術的な意味合いでもあるのでしょうか?





 南内郭があれば、当然、北内郭もあります。南内郭がクニの実務的な行政機関なら、北内郭はクニの祭祀を司る宗教的な機関となっています。



 入り口から入っていくと、食い違い虎口みたいに道が折れ曲がっています。壁も板を並べていて、他のエリアとはちょっと雰囲気が異なります。



 門の上の飾りも、ちょっと形が違います。鳥?



 北内郭の中心にそびえるのが主祭殿。吉野ヶ里の祭祀を司る、最重要施設です。指導者たちが重要な事柄を話し合ったり、最高司祭者が祖先の霊に祈りをささげる儀式を行ったりしていました。
 建物の高さは16.5m。多分吉野ヶ里遺跡で最も大きな木造の建築物です。





 中には人形が置かれ、会議の様子や、祭祀の様子が再現されています。



 他にも、最高司祭者やその従者の住居なども北内郭にあります。
 王や大人も住居は竪穴式でしたが、最高司祭者だけは高床式の住居となっています。



 最高司祭者の住居の中はこんな感じ。
 正直、結構狭いなー、と思いました。最高司祭者はほとんど一般の人たちの前には姿を見せなかったそうなので、多くの時間をこの中で過ごしたのでしょうか? それとも、そもそも北内郭自体に一般の人は近づかないので、ある程度は外にも出ていたんですかね。



 北内郭のさらに北側にあるのが北墳丘墓。歴代の王たちが埋葬された場所です。





 墳丘墓の内部は資料館になっていて、当時の埋葬についての展示があると同時に、実際に発掘された墳墓の内部の様子を見ることができます。そんな中の方まで見ることができたのはちょっと驚きでした。



 北墳丘墓のそばには、祖先の霊が宿るとされる「祖霊の宿る柱」が立られています。
 弥生時代の後半には、北墳丘墓はお墓としてより、祖先の霊をまつる祭壇としての意味合いが強くなっていったようです。



 また、近くには甕棺墓列もあります。
 甕棺というのはこの辺り特有の棺です。大きな甕を二つ用意して、甕の中に遺体を入れ、もう一つの甕で蓋をして、甕と甕の間を粘土で埋めて棺にしたものです。地面が少しデコボコしているのがわかるかと思いますが、その下に甕が埋まっているわけです。



 環濠集落ゾーンを抜けて、北部にある古代の森ゾーンへ。



 この日は平日の月曜日。雨も降っていましたし、最初のうちはあまり人もいなかったんですよね。でも、古代の原ゾーンを歩いて南内郭へ移動したころには、結構多くの客であふれていました。
 やっぱりそれなりに人気のある観光地なんだなー、と思っていたのですが、この古代の森ゾーンはまたガラガラ。割とマジで、ここでは私以外の客には出会いませんでした。吉野ケ里歴史公園がデカすぎるっていうのもあるでしょうし、確かに比較的地味なゾーンでもありますけど、せっかく来たんだから全部見て回りたいと思わないのかなぁ?



 とはいえ、結局は森ですしねぇ。
 カシやシイなどの古代の植生に近い森を再現しているらしいのですが、私だって、そう言われてもよくわからないというのが正直なところではあります。道は舗装路だしね。



 ただ、実はこのエリアにも甕棺墓列があります。



 こちらには実際に甕管の模型が置かれているので、埋葬の様子がよくわかります。



 近親者の甕棺はある程度近い位置にまとめて埋められたようです。

 身分によって埋められる場所が分かれており、北墳丘墓の近くにあったはそれなりに身分の高い人たちの墓だったんでしょうけど、この辺りにあるのは一般の人たちなんでしょうね。



 歴史公園の北東隅にある、大芝生広場。ただ、利用者は誰もいませんでした。



 再び森の中を通って、北西部へ。



 ここには古代の森体験館という施設があります。
 中には古代の植物についての展示があり、またその名の通り、古代の植物を使った、木工工作などの体験プログラムを行うことができます(要予約)。
 ただ、ここも公園の中からすれば外れの方にあるので、客は私以外誰もいませんでした。





 なぜか、トリックアートを使った記念写真を撮るスペースがありました。ドウキョ~!



 最後にまた環濠集落ゾーンに戻り、最初に見損なっていた場所を拾っていきます。



 ここは中のムラ。南内郭と北内郭の間にあるのですが、北内郭へまっすぐ伸びる道を進んでしまったためにスルーしちゃった場所です。
 司祭者に仕える人たちが暮らし、北内郭での祭祀などで使うものを作ったり、保管したりしていたようです。



 貴重な品物が多いためか、かなり床が高い倉庫が多いような気がします。



 中にしまわれている物も、高級そうです。



 南内郭のそばにある、吉野ヶ里遺跡展示室。発掘された土器などが展示されています。



 南内郭を守る門。横に櫓門があり、その上から周囲を見張ります。
 あ、そういえば、この櫓門には登り忘れていました。





 南のムラのそばにあった、弥生くらし館。弥生時代の服飾関連の展示がされていました。
 また、ここでも体験プログラムがあったり、ギャラリーや休憩室などもあります。



 入り口付近にあったけど、そういえば写真を撮っていなかった逆茂木。塀を乗り越えた敵を、この杭によって迎撃します。



 この後、歴史公園センターに戻り、レストランで昼食。ここのレストランには弥生時代っぽいメニューもあるのですが、割とガチでおいしそうだった「弥生鴨御膳」は限定10食なのですでに完売。もう一つの「古代貝汁御膳」は限定30食でまだ残っていたものの、味と量に不安が残ったのでスルーしてしまいました。
 結局、「佐賀県産和牛コロッケ定食」という超無難なものを選んでしまったのですが、今考えれば古代貝汁御膳に突っ込むべきだったよなぁ……。別にコロッケが悪かったわけじゃないんだけどさぁ……。



 あと、チケット売り場の窓口近くに、日本100名城スタンプがあります。
 描かれているのは、主祭殿と物見櫓ですね。



 冒頭でも書きましたけど、やたらデカくて見て回るのが大変でした。おかげでこの記事もちょっと長くなってしまいました。
 古代の遺跡なので建物はもちろん遺構などがそのまま残っているというところもあまりありません。しかし、戦国期くらいの城だと遺構が残っていないというのは残念ポイントなんですけど、これくらい古いと遺構が残っていないのも仕方がないので、施設のほとんどが復元されたものとなって逆に整備されて見やすく、分かりやすくなっていたのは良かったのではないかと思います。

 久しぶりに旅行に出ましたが、旅先だと余計なことは気にせず、遊ぶことに注力できるからいいですね。なにしろ、周りが全部、非日常ですから。普段の休日でも、家にいたらなかなかこうはいかないんですよね。「やっぱり家が一番」っていう部分も無いでは無いんですけど、たまにはこういうのも良いですね。
 で、次に旅行に出るのは春くらいかなー、と思っていたのですが、オミクロンが出てきちゃったので、どうなることやら。今の所感染力は強いけど毒性はそこまで強くないというような風聞ですが、新規感染者数という分かりやすい数字が高くなっているので、落ち着くまでには時間がかかるかもしれませんね。
 年末~年始にかけて、山とか城とかに出かけてきた話はまだもう少し続くのですが、実際にあちこち出かけるのは、またしばらくお休みですね。しばらくはインドア趣味の方に注力することにしましょうかね。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿