集中豪雨のテレビニュースで何度も鬼怒川の名を目にし、何とおどろおどろしい名前の川だことよと思っていたら今日の新聞で名前の由来を読みました。
かつては穏やかな清流で絹川と呼ばれ、字も絹があてられていたようだが、江戸末期に大洪水を引き起こし、それ以来鬼怒る川が使われることになったとか。
その前に地震が谷を塞いで湖ができ、今度は集中豪雨で湖の堤防が決壊したとか。色々の歴史があるようだ。以下はネットで検索したときの解説の一部分である。「鬼怒川(きぬがわ)は、関東平野を北から南へと流れ利根川に合流する一級河川である。全長176.7kmで、利根川の支流の中で最も長い。
江戸時代以前、鬼怒川は香取海に注ぐ大河であったが、徳川家康の利根川東遷事業によりもともと江戸湾に注いでいた利根川が東遷され鬼怒川に近い流路に付け替えられたうえで、鬼怒川は利根川に注ぐ河川とされた。
また、近代になって鬼怒川の文字が当てられるようになったが、江戸時代までは毛野国(栃木・群馬の旧国名)を流れる「毛野河」あるいは穏やかな流れを意味する「衣川」「絹川」と書かれた。また、上流域にある鬼怒川温泉の略称としても使用される。
要約すれば、この川の誕生は大地震で山肌が崩れ谷川を塞ぎ大きな湖をつくった。その湖を水源とした美しい水の清らかな川が元祖でその頃は「絹川」と呼ばれていた。
その後徳川家康の利根川付け替えと云う大工事によってこの川も利根川に付け替えられ大洪水を起こすようになって「鬼怒川」と呼ばれるようになった。ということである。
つまり、自然災害は繰り返されるもので、その地の歴史を丹念に調べれば、その地に起こる災害は予想きるということだ。
そういえば、東日本大震災の時もマグマの動きと溜まったエネルギーの解放とかで、大地震が一定の周期で起こっているという研究が紹介されていた。
そろそろそれを生かした。国土建設を初めて頂きたいものだ。最後になってしまったが、罹災者の皆様に心からお見舞い申し上げます。
自衛隊のヘリコブターの活躍を見ていて助けられた方々の胸中を思うと言葉が出ない。濁流にのまれて家が動き始めた屋根の上にいて自衛隊の隊員の方に抱き上げられ、するするとヘリの中へ吸い込まれていかれる姿を目の当たりにして目頭が熱くなりました。自衛隊の皆様ご苦労様でありました。及ばずながら最敬礼を送ります。