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かわずの呟き

ヒキガエルになるかアマガエルなるか、それは定かでないが、日々思いついたことを、書きつけてみようと思う

手造りジャム。

2017-02-05 | 気ままなる日々の記録

  本日は近所の知人が手造りのマーマレードを届けてくださった。毎年今頃になるとその恩恵に預かっている。マーマレードは多くの方から頂く機会が多いが全部味が違う。甘味の濃いもの、あっさりしたもの、オレンジなどをミックスしたものなどなど・・・・。

もちろん、作り方もそれぞれ違う。

 私自身が造っていた時は、砂糖の他に蜂蜜をたっぷりと入れていた。娘の婿が趣味と研究を兼ねミツバチを飼っている。其れで自家製の蜂蜜を沢山貰うので贅沢に使っていたのである。

 毎年12月の終わりに近づくころ数個の段ボールが届く。中身は全部夏みかんである。これを果物として味わったことは一度もない。毎年頑張ってジャムにしてしまうのである。最初は近所から20個から30個貰っていたが主人がマーマレイドが大好きなことを話すと次の年からだんボール数個に替わった。

 キッチンのストーブのそばで週に2~3回はジャム作りをした。いつもは楽しみながら時にはいやいやながら。マーマレイドは手間がかかる。最初はピラーと云う皮むきの道具で薄く皮をむく。次に皮の量の半分を千切りにして実に加えジャムにする。其れが大変なのである。皮は思いの他硬くていつも苦労した。人差し指の根元に硬い硬い豆ができてしまうのだ。一度に夏みかんを10個ずつ使っていたので、実の薄皮を剥くのも飽きてしまう作業だった。これらを一緒にして砂糖や蜂蜜を加えて煮込むのである。

 年によってはお歳暮として林檎を戴くことがあった。やはり全部ジャムにしてしまった。これらは、皮を剥いて細かく刻むだけなので、マーマレイドに比べたらとても簡単である。手作りの林檎ジャムもとてもおいしい。甘酸っぱい酸味が特によい。

 かくして、我が家の冷凍室には1年分のジャムが貯蔵されることになるのであった。(E)

    

           散歩道で見かけた夏みかん


連日昭和抒情歌に嵌っています。

2017-02-05 | 気ままなる日々の記録

  インタ^-ネットから「賠償千恵子さんの「さくら貝の歌をユーチュウブで聴く」として検索をかけ、たどり着き気に入った曲が多いとき「お気に入り登録」をしましたのですぐにアクセスできます。

 真空管やラジオのことは高校時代嵌っていたことがありますので詳しいつもりですが、ユーチュウブまで来るともうサッパリわかりません。

 それにしても科学技術の進歩には目を見張るものがあります。量子力学の世界だと何かが一定な状態でいますが定かではありません。原子核の周りをまわっている電子に働きかけいろいろ記憶させるのだと聞いたような気もしますがもうここまで来るとサッパリわかりません。

 現代ならもう高校の物理で触れていると思いますが今ではもガイドブックも分からない状態です。

 既に十分「時代遅れの老人として、必要十分条件を満たしているようです。(T)

        立春の夕日


「名言」について」

2017-02-03 | 気ままなる日々の記録

「奪い合えば足りない」

「譲り合えば余る」

「幸はすでにあなたの心の中にある」

などの言葉が色紙に書かれ廊下の壁などに貼ってある。書も決して達筆ではなく、ドボドボとした癖のある太字である。

 最後に署名らしき名前もあるが、聞いたたことにない人である。

これがお世話になっている「住宅型有料老人ホーム××の風景である。

オソマツ君はこれらの言葉が好きになれない。多分、このホームの理事長とか院長とかの偉い人の中に、これらの言葉が好きな人がおられるのだろう。

オソマツ君は、自分が偏屈な性格だから好きになれないのだろうかと、反省を込めて自問自答してみる。

どうやらこれらの言葉の中にある「上から目線と云うか訓示的色彩に反発を感じているようである。

(T)

 


春どなり。

2017-02-02 | 気ままなる日々の記録

 先週のある日主人が「俳句教室に入ろうかと思う」と云い出した。俳句とか短歌と云うのとは、縁遠い人だと思っていたので、びっくりした。

 聴けばお茶会でいつも一緒になる人が入居以来3年間この教室に出席されているという。この方は書の方も熱心で、草書まで書かれるそうだ。主人は一度だけ試に出席したが言葉が出てこないからダメだとあきらめ気味。

 次の日だったと思う。3年間出席された人が、筆で書いた巻紙を届けてくださった。自分の作った句を全部見て欲しいと。小筆で書かれたきれいな字が並んでいた。

 読んでいると、一つの句が私の心に残った。水仙の花を見て春を待ちわびる句だったと思う。私はその句の中の”春どなり”と云う言葉に強く魅かれたのだった。今まで一度も聞いたことのない言葉であるが、何故か心に沁みた。

「春はそこまできている」「春の足音が聞こえる」という意味に取れたが自信がないので広辞苑で調べてみた。「春が近くまで来ていること。」と書いてあり<季・冬〉となっていた。冬の季語であるらしいことを、初めて知った。それ以後心がざわつきだした。何故なら「すぐ近くまできていること」になると今頃の時期を云うのではなかろうかと気付いたからだ。

 早速”春どなり”の気配を肌で耳で目で探し、確かめたい衝動に駆られて蓮池に出てみた。1週間前までは氷が張っていた池の表面もなごみ、心なしか水音まで違って聞こえる。肌に当たる風も冷たさがあるものの、大寒の始めの頃のような、凍てた冷たさではない。こともあろうか、数匹の鯉たちまでも見かけた。何気なく見ているとあまり感じないが、よく見ると確実に季節の移ろいがある。

 考えてみると数日で立春だ。

 何だか少しだけ”春隣り”の気配を感じ取れたような気がして、陽だまりの中しばらくベンチに腰かけていた。(E)

      

       夕日と並木

 

 

 

 

 

 


賠償千恵子さんの歌に嵌っています。

2017-02-01 | 気ままなる日々の記録

   日本人のj情緒が失われてNHKまでドタバタしたステージを放映している。このどたばたは下品な国アメリカの影響だと嘆いていましたら友人から「老人の回顧趣味だ。それより、お薦めのステージを紹介せよというアドバイスを頂いた。

   確かに今はインターネットと、ユウーチューブでどんなステージも探し出せる。そこで、たどり着いたのが、賠償千恵子さんの「学生時代」や「桜貝の歌」だ。時間の許すときご鑑賞ください。僕の云う昭和の情緒満載です。僕はもう、お気に入り登録を済ませ、寛ごうとするとき何時でもアクセスできるようにしています。(T)


昭和演歌に嵌っています。

2017-01-31 | 気ままなる日々の記録

   パソコンのインターネットから「湯の町エレジー」を検索すると次々に懐かしい昭和演歌にたどり着くことができます。科学技術の進歩は想像を絶するものがあります。古賀政男さんの作曲が多いです。

   戦後アメリカ文化が流れ込みドタバタしたステージですぐに女性が足を挙げたり腰を振ったりして、NHKのテレビまで近頃は低俗極まりない感じです。日本人特有の情緒を歌い上げた素敵な演歌が失われ残念です。老人趣味ということではなくて、浪曲や小唄・端唄につながる伝統的な情緒です。アメリカにはないものです。

   アメリカ文化の軽薄さは歴史的にやむを得ないものがありますが、だからと云って日本が伝統的な文化を捨てて、アメリカの真似をする必要は全くないと思われます。進駐軍と呼ばれていたアメリカの兵士が酒場に来るようになり、そのお客に気に入られるようにジャズを流したり、マンボで踊ったりするようになり、日本の伝統を誇る三味線文化が消え、それに伴って情緒一杯の日本の演歌や古賀メロディーが失われるのは残念で仕方がありません。

  インターネットのユーチューブでどんどん聴こうではありませんか。云う拙者も息子の世代が演歌をきこうしないことに責任の一端があることを反省しています(T)。


[アケオメ」と「コトヨロ」について。

2017-01-30 | 気ままなる日々の記録

   チョットと旧聞に属する話ですが今年市川の孫から「アケオメ」と書いたメールが届いた。その話を此処に入居中の若いご婦人に話したら「コトヨロもきた?」とのこと。

 ご婦人には甥や姪が沢山おられて、「数年前から全国の小学校で流行しているらしいよ」とのこと。「アケオメ」は「明けましておめでとうございます」の短縮形で「コトヨロ」は「今年もよろしく」の短縮形だそうです。

 「小学生たちもすぐにつかわなくなるらしいよ」とのこと。オソマツ君は小学生たちがすぐに使わなくなると云うところに興味を覚えた。チンパンジーに言葉を教えて「アケオメ」を教えるとずーっと使うだろう。人間はすぐに使わなくなるところが賢い。すぐに「いけません」と注意する先生や親が多いと思いますが子どもはすぐに面白くなくなり、使わなくなるところが素敵である。

 我が家も市川の孫から「アケオメ」のメールが来てじいさんばあさんが意味が分からずバタバタした顚末は家内がこのブログに書いたとおりだが、来年ぐらいは「コトヨロ」が来るかもしれない。そうしたら、澄ました顔をして「こちらこそ!」と云ってやろうと思っている。(T)

      1月のイベント

     


子供の頃の思い出。

2017-01-29 | 気ままなる日々の記録

   筆者は昭和11年生まれである。現在80歳。思えば戦前の小学校風景を知っている最後の世代である。そこで、①学校での想い出と②子供の間で流行していた歌などをできるだけ忠実に書いて何かのお役に立てたらいいが、と云う気持ちで書いておこうと思う。

①学校での想い出。

 毎朝朝礼集会があった。

  生徒たちは登校するとすぐに、カバンを教室のうしろに造られた整理棚のような所へ入れて、運動場へ出なければならなかった。運動が苦手で、教室でゲームなどしていると、先生にひどく叱られた。子どもは運動場に出て走ったり、鉄棒をしたりして体を動かし丈夫な体に鍛えなければならないという、考えが漲っていた。用務員のお爺さんがカラン・カランとカネを振ると生徒は直ちに遊びを止めて指令台の前に整列しなければならなかった。

 問題は雨が降り出しそうな空模様の日である。そんな時も原則整列で、ザーッと降り出すと先生が出てこられて「解散」と号令を掛けられて初めて教室へ逃げ込むのだった。

 そんなにまでして何故朝礼をしたかであるが、朝礼の最初の行事は「皇居遥拝」だった。教頭先生がマイクの前でしせいを正し「整列」といわれると担任の先生が前に立たれ列がまっすぐになっているかを点検され、それが済むと教頭先生が「皇居遥拝、一同右向け!右」といわれる。これを全校生徒がキビキビやらないと、何度も「やり直し!」が命ぜられる。上手くできると、教頭先生が「一同礼!」といわれる。このときは「最敬礼」に決まっている。つまり、天皇陛下に朝のご挨拶をするわけだ。それが済むと「学校長訓辞!」となる。

   朝礼で忘れられないのが昭和20年8月16日の朝礼である。この前日に例の「玉音放送」があった。我が家も祖父を除く家族全員(祖父は用事で出かけていたが)がラジオの前に立っていた。

   この放送うが例の「堪えがたきを耐え、忍びがたきをしのび・・・・・」というポツダム宣言受諾の天皇陛下のお言葉であった。翌日が夏休み中の全校登校日であった。その日の朝礼で、校長先生に替わって「訓示」をされた教頭先生が、涙声で「日本は戦争に負けました」と絶叫され、天皇陛下に申し訳ない。陛下にお詫びし謝らなければならないと云われて、皇居遥拝を指示された。

   朝礼が済んで教室へ入ると若い女の担任の先生が本当に涙を流しながら声を詰まらせて「戦争に負けました」と云ってオイオイ泣かれました。ラジオの前でラジオに向かって最敬礼していた我が家の大人たちは誰も泣かなかったし、父など「もう空襲はないぞ」と明るい声で言っていた。当時父の世代は「大正デモクラシー」と呼ばれた時代に青春時代を送っていて、西洋の政治や科学技術についてもかなり正確に知っていたようである。日本を狂わせたのはもう一つ上の世代であった。(T)

②思いだすままに、当時子供が歌っていた歌の歌詞を書いてみます。忘れた所は??とします。お許しください。

♪♪

「勝ち抜く僕ら少国民、天皇陛下の御為に死ねと教えた父母の熱い血潮を受けついでしっかりやります勝利まで???』

予科練の歌

若い血潮の予科練の、七つボタンは桜に碇(いかり)。今日も飛ぶ飛ぶ霞が裏にでっかい希望の雲が湧く。・・・・

今日増産の帰り道、皆で摘んだ花束を英霊室に供えたら「次は君らだ分かったかしっかりやれよたのんだぞ。胸に聞こえた神の声。」

当時の小学校には奉安殿と英霊室があった。奉安殿は天皇と皇后のお写真が保存されている神社風の建物。英霊室は、その小学校を卒業され戦死されたお方の御霊をお祀りする神社である。

 生徒はその前を通る時は足を止め、帽子を取って最敬礼しないと先生にひどく叱られたものである。その小学校の卒業生が兵隊になって出征されるときは、小学校に国防婦人会や、在郷軍人会の人たちが集まって壮行会を行っていた。その後長い竹竿に「祝○○君出征」などと書いた旗竿を立てて最寄りの駅まで送ったものであった。敗戦間際にはこうしたお祭り騒ぎは自粛されたが、オソマツ君の脳裏にはその旗竿が焼き付いている。

 戦死する可能性が高い戦地へ送られるのにお祭り騒ぎをされても一緒に騒ぐ気分でもないだろう、ということが、子供心にも分かったからであった。当時は日本中が発狂していた。

 

♪♪子供らしい歌も歌っていたラジオでも聞いた覚えがあるが、殆どは母親から教えられたと思う。

[明かりを付けましょぼんぼりに、お花を挙げましょ桃の花、五人囃子の笛太鼓 今日は楽しい雛祭り。

高校生になるころまでひな祭りの前には家でお餅を搗いていた。2月の終わりごろようやく日差しも強くなり田圃のあぜ道にはヨモギが新芽を出していた。それを、手提げ篭一杯取ってきて洗って蒸してお餅に搗き込んでいた。グリーンの綺麗なお餅が出来ていた。赤いお餅は市販の紅粉を搗き込んでいたと思う。それに黄粉を搗き込んだお餅を搗けば赤、黄、緑のお餅が出来て、これが、3月3日の定番お菓子であった。戦後で何もない時代であったが何でも自家製で昔通りの行事を大切に守り、家族一同の笑顔が絶えない家族であった。忘れられない想い出である。(T)

 

 

(T)

 


[英語」について。

2017-01-24 | 気ままなる日々の記録

  学生時代、4年生のゼミで「ヒルベルト空間論」を英文で読んだ親友から、励ましのメールを貰った。そこで彼が僕が英語の学力について自信を持つに至ったように書いてくれたので穴があったら入りたい気分で以下のような返事を書きました。

 恐縮至極です。僕の英語はひどいものです。アメリカもニュージーランドもオーストラリアも僕のひどい英語で乗り切りましたが、まあ中学2年程度の実力で、チョット自慢できるのは心臓のつよさです。

  例えば、お経の本を英語でどういうかと考えずに仏教徒の教科書と云えばいいという頓知(とんち)です。最初に、商店街などで、「君は日本語は話せますか?」と聞くのもいい作戦です。だから、僕の英語は惨憺たるものです。どうかこれをお忘れなくお願いします。ハルモスと数学のお蔭で馬脚が現れず何とか卒業できましたよ。勿論いい友人に支えられて、今も感謝しています。ではまた。(T)

        

         寒い朝、蓮池に氷が。


フリーズの次はパニック。

2017-01-23 | 気ままなる日々の記録

   どうしてそういうことになったのか、今でも思いだせないが突然キャシュカードの1枚が気になりだして、部屋の簡易金庫の中を探した。この頃は1回では探せないことが多いので、2回探した。通帳の間に挟まっていないか、カードが重なっていて見落としがないか、慎重に探したが出てこない。通帳により使用した月日まで分かったので、その時着ていそうな洋服のポケットまで、念のため探した。出てこない。

 銀行に手続きの電話をする前にともう一度金庫を引っ掻きまわしていたら、手に何かが触れた。もしやと思い今度はそっと側面を撫でてみた。側面に何かがくっついている。外からは見えない中を小さな入口から手を突っ込んでひっぱり出してきてよく見ると、カードだった。でも一瞬違うのではないかと疑った。私は赤色を想定してさがしていたからである。

 先回も大事な給付証を探しているとき想定していた色と違っていたので、なかなか見つけられないことがあった。

どうして近頃こういう色についての思い違いがおおいのだろうか。

 メガネをかけてじっくり文字をよんでみると、確かに私が探していたカードである。

二重のショックのせいかその後の昼食は何時もの半分も食べられなかった。(E)

     

          寒い雪の朝

 

 

 

 


アメリカにおけるトランプ騒動にについて。

2017-01-22 | 気ままなる日々の記録

  拙者の考えでは、「アメリカ、ファースト」を何度も叫ぶ新大統領をジェントルマンと認めるわけにはいきません。TPPまで否定されて、笠置静子さんの「わてホンマに、よういワンわ」です。アメリカは政権が交代したのだから何の矛盾もないのでしょうが、つき合わされた外国は何とも説明が付かない目にあわされる。我が国もよほどしっかりした態度でアメリカと付き合わなければいつ寝首をかかれるか分かったものではないと拙者は沖縄のことを思いつつ考えています。(T)


拙者が拙者とかくことについて。

2017-01-22 | 気ままなる日々の記録

   今日は日曜日、嫌なリハビリもなくまさしく徒然なるままに、頭に浮かぶことを自由にさせておいたら、突然、「かわずの呟き」で筆者が自分のことを「オソマツ君」と云っていることは江戸時代武士が自分のことを「拙者」と云っていたことと同じだからこれからは拙者と云わせて頂けばよいと気が付きました。

   今日では自分のことを拙者と云うと何か偉そうに聞こえますが、実は、オソマツ君が自分のことを「オソマツ君」と云っていることと全く同じであることに気が付きました。

  そこで、「かわずの呟き」ではどんどん「拙者」を使わせて頂こうと思うに至りました。拙者=「オソマツ君」だからです。(T)


[沈みゆく大国アメリカ」堤未果著集英社新書を読みました。

2017-01-21 | 気ままなる日々の記録

 トランプ新大統領の就任セレモニーでアメリカは話題沸騰のようだ。

 確かに我が国にとって兄弟のような仲間であり親類の様な同盟国で、その動向は大いに気になるところである。

 アメリカファーストを強調されたトランプ新大統領にとって日本は何になるのだろう。

 沖縄に駐留している米軍の滞在コストを全額日本が負担すべき存在なのだろうか?

 前掲の本によると、アメリカでは、子供が重い病気にかかると親はあっという間に高額の債務を抱え自宅も土地も失い禁治産者に没落し路頭に迷うケースが多いと云います。日本のように保険証一枚で全国どこにいても安い治療費で一定水準以上の医療が受けられる制度は本当にありがたい医療制度だといいます。

 アメリカの場合低所得者への補償をどのようにするかで、国民的合意が得られにくいようです。オバマ氏が大統領に就任されたころ、「オバマケアー」と云う言葉が盛んに云われていましたが、議会との関係や予算の関係で必ずしもうまくいったとはいいにくいようです。

 どの国も明日へ向かって解決したい課題を抱えていて大変ですが、世界の動き(例えば原油問題)も絡んで簡単ではないようです。アメリカがくしゃみをすれば日本が風邪をひくといわれたこともある日米関係です。我が国としても大いに関心を持ち頻繁に日米協議を重ね、判断ミスが無いように願いたいものです。(T)

 


折り返し電話にフリーズ。

2017-01-16 | 気ままなる日々の記録

 水曜日か金曜日のような気がする。女性のお風呂の日であった。最高気温が6℃の予報が出ていたので、十分に温まろうとゆっくり入浴して部屋に帰った。

 丁度その間に電話がかかってきたようだ。折り返しと云う文字が目に入ったが、すぐには掛けずこのような場合誰からか調べることにしている。突然誰が出るか分からない相手に、電話をするのは、とても不安だから。今回の相手は市外局番が同じだから、そう遠くからではない。ところが番号にサッパリ心当たりがないのである。

 多少の不安があったが、思い切って掛けてみた。2~3回のコールのあと、「こちら××病院ですが、・・・・・」と聞こえた。病院と云う言葉だけが、強く響いたように思うが、話せない。どうしても声が出ない。またしても「××病院ですが」と相手は云う。

 予期せぬ相手と病院と云う言葉を聞いただけでショックを受けてしまったらしい。しかし、一番病院と関係のある主人は2~3分前に隣の部屋で話したばかりと気を取り直した。

 やっとの思いで「お電話を頂いたようですが、・・・」というと、「こちらの病院にどなたか入院されていますか?」とこちらが聞きたいような返事があった。心当たりは無いというと、代表電話だから、時間が掛かるがしらべてみるという。返事を貰うまで、血圧が上がりっぱなしだから、高血圧症の私には極めて悪い状況が続いた。

 電話は次回の予約を先生の都合で変えて欲しいという要件であった。

 初めてフリーズと云う状態を経験した冬の寒い日の午後のことだった。(E)

 

       大雪警報が出た日の前庭

 


初雪が降りました。

2017-01-14 | 気ままなる日々の記録

   気象情報の予測通り、今朝降雪となり、一面の銀世界を見せてくれている。

 オソマツ君は小学校の教科書で習ったと思う三好達治さんの

太郎を眠らせ、

太郎の屋根に雪降り積む 

次郎を眠らせ

次郎の屋根に雪降り積む

と云う詩が好きだ。本当に夜深々と雪が降る情緒を読んでいる感じがするからだ。

 オソマツ君は、昨夜何度も5階の突き当たりのガラス窓のところから空を仰いだ。

 降雪があったのは明け方であった。窓から漏れる光線の中、雪片が乱舞していた。決してコンコンと雪や霰は降らない。

 牡丹雪が降る時はまだ、暖かく、粉雪の夜は寒いと聞いたことがある。

 そうに違いない。複数の雪片が少し溶けて幾つもの雪片が一つになったのが牡丹雪だからである。

 3階に広いガラス窓があって、そこから、北側の田圃や畑をみわたすことができる。積雪の前は沢山のスズメが群れを成して田圃に降り落ちた稲穂やコオロギなどを食べていた。がこの雪ではもうスズメは食べることはできないと思われる。とすれば、スズメたちはどこで、どのように越冬するのだろう。民家の屋根裏に巣を構えて身を寄せ合って寒さをしのぐとしても食べ物はどうしているのだろう。全然想像もできない。

 簡単な身近のことを知らない自分に飽きれる。モズが越冬のための食糧に蛙等を大きな木の梢に刺して乾燥させるということは聞いたことがある。がスズメは分からない、スズメは冬眠はしないはず。(T)

     

           初めての積雪