百醜千拙草

何とかやっています

could've been worse

2021-06-15 | Weblog
最近ずっと低調な話が続いてますけど、ブログを書くとか、人と話すとかという行為は、運動するのと同じで、精神にプラスの効果があると思います。私もそのためにやっているようなものです。溜まっているものを出して圧を下げるというガス抜き効果です。基本的に知り合いと飲み屋で話をするのの延長という感じで書いているので、愚痴、自慢、見栄、泣き言、悩み、おもしろ話、ゴシップ、たまにいい話などを一方的に書いております。

私も知らない人が書いているブログなどをちょこちょこ見にいきます。匿名で大っぴらに人にはしゃべれないような話を吐き出しているようなのがとりわけ面白く、しばしば共感を覚えます。このコロナ以降、生活が一変し大変な苦労をしている人も多いと思います。私自身も、コロナは随分、精神的にきました。昼間に人と雑談をすることなくなくなったのが大きいと思います。Zoomでの会合はありますけど、会議室でガヤガヤという雑談はできませんから、ガス抜きの機会が失われ、生活が非常に単調になり、そしてその間に肉体的に健康を害したこともあって、生き方を変えようと考えはじめました。少なくとも、それが私の今の「希望」の種になっています。

しかし、希望が叶って生き方を変えても、そう明るい未来がやってくるとは思えません。とうか、私の場合、希望というのはほぼ100%に近い確率で期待通りに成就しません。それで希望的に考えるのではなく、客観的に眺めて、いろいろな考えられる限りのシミュレーションをして計画を立てたりするのですけど、必ず思いもかけないところに見落としがあって、現実は100%その見落とした部分を突いてきます。結局、客観的に控えめに見積もった結果のさらに5割減ぐらいで終われば良い方です。

というものの、私自身は基本的に運がいいと思っております。しかし、その運がいいというのは、手放しの幸運でなく不運があっての幸運という感じです。禍福は糾える縄の如し、ともいいますけど、それともちょっと感じが違います。下のようなアメリカンジョークがありますけど、強いて言えば、不幸中の幸い (It could have been worse)というか、大雨の中の一瞬の晴れ間 というようなのが、私の運がいいというのに近いかなあと思います。ま、そもそも人生の出来事のそれぞれを「不幸(または幸運)」と考えるのは個人の勝手ですけど。

「フランク、トムのことを聞いたかい?昨夜、家に帰ってきて、妻が他の男とベッドにいるのを見つけて、2人を撃って、それから自分を撃ったんだよ」
「それはひどいな」フランクは言った 「でも、それは不幸中の幸いだった」
「この状況で、いったい何が幸いなんだ?」と困惑した友人は尋ねた。
フランクは答えた 「もしその前の晩だったら、俺が撃たれていた」
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