百醜千拙草

何とかやっています

シャコンヌとノリ弁

2014-05-30 | Weblog
どうでもいい話ですが。

ここしばらく書きものの日々でストレスが溜まります。集中できないときなどに音楽をかけたりしますが、ここしばらくはずっとバッハです。最近は無伴奏バイオリンのためのパルティータの中の一曲にある有名曲「Chaconne」をバイオリン、チェロ、ギター、ピアノに編曲されたもの、いろいろなフレーバーで聞いています。
ピアノの編曲はブソーニが編曲したものが主に演奏され、私も最初はフランス人美人ピアニスト、エレーヌ グリモーの演奏でこの曲を知りました。またこの曲はブラームスが左手だけで弾くように編曲したバージョンもあり、これは右手を痛めたクララ シューマンのためにブラームスが左手だけで練習できるようにと編曲したもののようです。知りませんでしたが、シャコンヌはもともとは南米のダンス音楽だったらしく、それがヨーローッパに輸入され、スペイン、イタリアでチャコーナとなって流行して北上し、フランスやドイツで独自のアレンジをされたようです。1600年ごろにヨーロッパ上陸、バッハがバイオリンのためのパルティータの最終曲として書いたのがそれから一世紀余り後ということになります。チャコーナは一時はエロティックすぎると演奏が禁止されたという話も聞きました。確かにこのバッハの曲でも珍しく情熱的、耽美的なメロディーが聞かれます。

ピアノも悪くないですが、やはり弓を使う弦楽器のもの方が味わいがあっていいですね。二台のチェロでの好演奏を見つけました。



バッハは聞いているうちに、自分でも弾いてみたいと思って、週末に、少しずつ練習しはじめました。私は、小学校の時、ピアノの練習に通って、バイエルの一冊も終わらないまま、ドロップアウトした暗い過去があります。以来、大学に入るまで、余りピアノを触ったことさえなかったのですけど、どういうわけか、学生時代に渡辺貞夫さんの「ジャズ スタディー」を読んで衝撃を受け、再びたまにピアノに多少、触るようになりました。「ジャズ スタディー」は演奏や編曲のための実用的理論書ですが、個人的に最も衝撃を受けた本のうちの一冊です。

しかし、バッハには付け焼き刃の音楽理論はあまり役に立ちそうにありませんでした。(多分、和音進行が先でその上にメロディーを乗せる従来のジャズやポップスのやりかたと、複数のメロディーの流れの中に和音をつくるバロック時代の音楽との曲の構造に関する捉え方の違いではないかなと勝手に分析しています)
真面目にバッハのピアノをやる人は、インベンション、シンフォニア、とやって平均律へ進むのが正道のようです。多分、平均律の真ん中ぐらいまでやれれば、私の目標のピアノのパルティータの二番を通しでできる位の基礎はつくのだろうと思います。この目標は死ぬまでに達成すればいいと思っているのですけど、私の場合、インベンションから順を追って平均律に到達するころには、寿命が尽きている可能性もあります。私はパルティータが弾きたいので練習しようと思っているのに、練習段階で人生が終わってしまっては悔しいです。それで、弾きたいのをいきなり練習することにしました。ショートケーキの苺は最初に食べる方が理にかなっていると思います。とは言っても、楽譜を見てみるとパルティータ二番の第一曲目の後半と最後のカプリチョはいきなりとても手出しできそうにありません。それで比較的ゆっくりして簡単そうなサラバンドとアルマンドからとりあえずやることにしました。これらは基本的に二声の対位法で書かれているので、インベンション前半のレベルだろうと思いました。より簡単なサラバンドからやり始めました。しかし、週末にちょっとだけ練習するだけですから、悲しいことに、このたった二ページが弾けるようになるのに数ヶ月かかりました。今は、アルマンドの前半を何とか間違えながら弾けるようになったぐらいですが、その進歩の遅い事には我ながら情けなくなります。死ぬまでに全曲、通して弾けるようになる可能性は今のところ、大変低いだろうと思わざるを得ません。

しかし、スキーと同じで、ちょっとずつでも進歩するというのは楽しいですね。こういうのは、自分を何かのカタに嵌めて行く作業です。若い時はそんな作業が楽しいと思えるとは思いもよりませんでした。自分をカタに嵌めて行って、そのうち、自分がカタに嵌っていることさえわからないほど、自然に振る舞えるようになる、ピアノの練習はそんなプロセスに似ています。言葉を覚えるのも同じでしょう。ウチの子供が小さい時は、何を言っているのかわからなかったし、文法もメチャクチャでしたが、だんだんと普通に喋れるようになり、いまでは無意識に正しい文法で正しい言葉を喋っています。

思うに、社会的な人間の成熟というのも、やはり同じプロセスを経て行くように思います。社会があって個人があるのではなく、本来は個人があって、個人の集まりが社会をつくるのだろうと思います。魯迅は「故郷」の中で、初めから道があるの ではないが、歩く人が多くなると初めて道が出来る、といっていましたが、社会も似たようなものでしょう。しかし、実際は、道なしには容易に歩けないし、道から外れると苦労するのです。道から外れないように歩くことを人間は何年も努力して覚えます。そうして七十年修練すれば、「心の欲するところに従ってノリをこえず」という境地に達するのでしょう。自分をカタに嵌めていってそれが自然になるのにそれだけの時間がかかるのですね。

因みに、貧乏学生の時、深夜の麻雀での夜食に食べたノリ弁当の美味しさを私は今もよく覚えています。深夜に食べるシンプルなノリ弁当を越えるものはないと、当時は思いました。去年の夏に久しぶりに弁当屋で弁当を買いました。私は肉食をやめているので、結局ノリ弁当を食べました。やっぱり美味しかったです。やはりノリ弁を越えるものはない、まだ七十になるまでは時間はありますが、私はそう思いました。
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