百醜千拙草

何とかやっています

偏見と理性

2021-06-29 | Weblog
先日、昔の研究者の知り合いからメール。本題は別の話でしたが、ついでに書いてあったコロナワクチンについて懐疑的なコメントに、ちょっと驚きました。その後のやりとりから感じたのは、科学者と言えども、自分の先入観や感情の前には、科学的データも過去に積み重ねられた研究知見よりも、自分の気持ちに近いanecdotalな新聞記事の方を重視するのかもしれないということでした。

コロナのRNAワクチンはこれまでで世界中で30億がこの一年の間に使用されており、その効果も副作用の発生率に関してもすでに膨大なデータの蓄積があって、科学者なら簡単にそのデータにアクセスできるので、その有効性や副作用発生率の数字は瞬時に知ることができます。今回のように、新しいメカニズムの新薬がこれだけの短期間にこれだけ大量に使用されたことは歴史になく、副作用について敏感になるというのは理解できますが、ネットでみても、分子生物の知識があり、ワクチンの作用メカニズムが理解できるはずの科学者でさえほとんど根拠のない陰謀論にすぎないような理屈を捻くり出してワクチンの危険の可能性を議論している人もあって驚きます。かれらはどうも最初から「ワクチンは悪」という結論から出発してその結論に都合のよい話だけを寄せ集めて議論しているようです。

思うに、人間は己の信念や思い込みからは簡単に自由になることは難しいということなのでしょう。トランプのように自分に都合の悪い事実はフェイクであって、都合の良いウソは真実だというような人は少なくないということでしょう。

とはいえ、私自身にもRNAワクチンに関しては多少の逆向きの偏見があるかも知れません。ファイザーワクチンの技術供給元になっているドイツのBioNtechの技術はハンガリー出身の科学者、Katalin Karikóらの研究がもとになっています。今年初めのZoomでの小さな講演会で彼女の話を直接聞く機会がありましたが、彼女の研究人生はドラマです。とくに、アメリカの名門大学の教官として採用されたのに、このRNA医薬のアイデアが誰からも支持されず、研究費も貰えず、結果としてテニュアを拒否され、アカデミアの研究者として失格の烙印を押されるあたりの下りは、涙なくして読めません。興味のある方は、去年の記事ですが下にリンクしますので、DeepLなどで読んでいただけたらと思います。これは一般向けですが優れた記事で、いかに彼女らが、RNA ワクチンの免疫反応を抑えることに成功してブレークスルーに至ったかなども説明されています。アメリカの科学ジャーナリズムのレベルの高さに驚かされますね。


話がずれました。理性と知性を備えてはいても、人間は偏見や思い込みから自由になるのは難しいという話でした。人間は感情の動物であり、感情は理性でコントロールするのはしばしば難しいといういつもの話でした。

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