Anteeksi.

すみません、ちょっといいですか。フィンランド留学の見聞録。

ドレスデン

2009-12-31 | 東ドイツの旅
続いてやってきた、ドレスデン。

この街は、歴史的な建造物が一画にまとめられており(第二次大戦でひどい被害を受けたので、再建されたものも多いけど)、その界隈をうろうろ散歩するだけでも楽しい。生憎の空模様、少し霧がかかっているのが残念だけど、逆に厳かな雰囲気を演出しているとも言えそう。

  

Glühweineというのをよく見かけるので、グロギみたいなものかなと思って一つ試してみたら、ほぼホットワインそのまま。Currywurst(カレーソーセージ)とともに。こういうのを売る屋台は、そこら中にある。値段も手頃だし、とてもおいしい。

 

ドレスデンで寄りたかった場所の一つが、アルテ・マイスター絵画館。ラファエロの傑作「システィーナのマドンナ」がある。コレッジオも良かった。自分の趣味は、やはりこの辺りかな。

 

ゼンパーオペラ(ドレスデン国立歌劇場)でバレエ鑑賞。年末ということで、「くるみ割り人形」。さすがに知っている曲がたくさん、でもバレエで見るのは初めてだった。振付けがつくとこういう風になるのか。それにしても、オケが素晴らし過ぎる。そもそも踊りのことはよく分からないので、時折目を閉じて音楽に聴き入ってみるけど、もうまさしく夢の世界、て感じ。歌劇場の内装も素敵だし。そう言えば、クララを演じていた女性は、日本人だった。

  

しかし、美術館2時間→バレエ立ち見3時間のコースはさすがに疲れた。

なんとなく、お気に入りの一枚。


ライプツィヒ

2009-12-30 | 東ドイツの旅
ヘルシンキから1時間45分。ドイツの首都、ベルリン到着。
空港からバスで中央駅へ向かう間、車窓から見る風景の第一印象は、なんだか地味な街。曇り空のせいもあるかも。

この旅の最初の目的地は、ライプツィヒ。ベルリン中央駅から、すぐさまICEに乗り込み、一時間あまりで到着。

今年は、ベルリンの壁崩壊20周年。ライプツィヒは、この冷戦の終結を世界に印象づけた出来事の発端となった地でもある。
この街でもひと際目立つニコライ教会。この教会での定例集会が、旧東ドイツの民主化要求の市民デモへと発展、当初は武力鎮圧されたものの、最終的には、軍隊や警察もこの動きを黙認することとなる。社会主義政権末期の疲弊の現れかもしれないが、つまり、取り締まる側の彼らも、結局は同じことを望んでいたということなのかもしれない。今でこそ観光客向け商店街のようになっているこの辺りも、その時には、我々こそが国民だ…!と訴える人々で埋め尽くされたそうだ。凄まじいエネルギーであったに違いない。
今回は、東ドイツを中心に回る予定だけれど、この辺りの歴史を肌で感じることも一つのテーマとしてみたい。

 

そんな足で出かけてみた、現代史博物館。第二次大戦~現在の歴史に関して(特に旧東ドイツのこと)、たくさんの資料とともに紹介してある。パネル表示がドイツ語しかないので細部まで理解できないものの、十分にインパクトのある内容。勉強になった。
年代順の展示構成になっている。戦後のベルリンの壁にまつわるあれこれやら社会主義政権下での人々の暮らしやらを見た後に、1989年のベルリンの壁崩壊の様子がムービーで流れている部屋に来る。大勢の人々がベルリンの壁によじ上り、歓喜しているこの様子は、子供の頃から何度かニュース等でも目にしているお馴染みのものだけど、なんでだか、ここでそれを見ると、ものすごく感極まって、ほとんど泣きそうになってしまった。ベルリンの壁てのは、こういうものだったんだな、と。今更だけど、ようやく、少し意味が分かった。
この一年の間に、いわゆる旧東側の国をいくつか訪れる機会があったけど(チェコ、ポーランド、エストニア)、そのいずれの国においても、多かれ少なかれ、これと同じような、究極的には人間の浅はかさと崇高さの奇妙な共存とでも言うような、そんな感覚を抱いた。これらがつい最近の出来事だというのだから(自分が生まれた後のこと)、なおさらだ。(写真は、戦後すぐ、連合国により四分割されたドイツの地図)



話題を変えて、ライプツィヒと言えば、バッハゆかりの地。彼は、この街にあるトーマス教会というところで、オルガニスト兼合唱の指揮者として、そしてもちろん作曲家として、長いこと活躍した。
この教会の前には、立派な彼の銅像があり、そして、教会の中には、彼の眠るお墓がある。この一年、音楽家のお墓参りもいくつかしてきたけれど、やっぱりバッハは、特別な存在、ちょっと感覚が違う。神様、仏様、バッハ様、チェロが上達しますように…ぱんぱん、と手を合わせてきました。

 

楽器博物館というところにも寄ってみた。世界最大級の古楽器博物館らしい。
こういうものたちを見ると、今ある楽器というのは、(当たり前だけど)最初から完成されたものとしてあったわけではなく、幾多の試行錯誤の中で、ほとんどのものは淘汰され、優れたもの、目的にかなうものだけが今に残っているのだということがよく分かる。それと、面白いと思ったのは、バッハは、与えられた楽器編成で曲を作るのみならず、自らの音楽表現の追求のために、色んな新しい楽器を、職人さんたちと一緒に考えていたということ。

そして、ものすごく楽しみにしていた、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の第九演奏会。

Gewandhausorchester
Chor der Oper Leipzig, Gewandhaus Chor, GewandhausKinderchor
Riccardo Chailly

Maria Bengtsson, Sopran
Christa Mayer, Alt
Johannes Chum, Tenor
Günther Groissböck, Bass

Ludwig van Beethoven - 9. Sinfonie d-Moll op. 125 mit dem Schlusschor über Schillers „Ode an die Freude“

なんかもう、チューニングの音からしてきれいで、そして演奏はさらに美しく、しかもさっき見てきたベルリンの壁の色々なんかも頭をよぎったりして(当時のこのオケの指揮者は、市民デモの中心人物でもあった)、その音楽が第九ときたもんだから、こんなに感動的な音楽を聴くのは初めて、と言っても大げさでないほど感動せずにいられなかった。うむ。
なんか、自分は細かく指摘できるほど詳しくはないが、色々と随所に小技を効かせた演奏だったように思う。ほう!みたいな箇所がいくつもあって面白かった。結局、全体を通して、すごくオケとしての主張が伝わってきて、それがとても良かった。ソリストも良かった(特にテノールとバリトン)。
いやぁ、よかったよかった。

 

気分的に、黒ビールを飲んでみた。
スーパーなどものぞいてみたけど、物価安い。フィンランドの三分の二~半分くらいか。ドイツでも、東と西では、まだ数倍の経済格差があると言われているから、西に行けばもう少し物が高くなるのだろうか、どうなんでしょう。何にせよ、旅行しやすいのはありがたいことです。

 

立退き

2009-12-29 | 住居
今日で七ヶ月住んだ家を出る。
一日かけて、荷物のまとめと、大掃除。入居時の状態を復元しなければならず、それが意外に骨の折れる仕事で、感傷に浸る暇もなかった。

騒音問題は、最後までひどかった。最悪の学生寮だった。何より、警察に注意されても騒ぐのをやめない人たちや、改善してくれようとしない大学の人たち、この無関心が悲しかった。

まぁ、それともおさらば。
がらんとした部屋。夏によく窓からえさをあげていた小鳥たちは、元気でやっているかな~(最近えさあげてないから見なくなったけど)



年末年始は、ドイツに出かけてきます。で、また一回ヘルシンキに帰ってきます。その後すぐに日本に帰ります。

スキー

2009-12-28 | ヘルシンキぶらり歩き
人生3回目のクロスカントリースキー。家からバスで40分ほどのところに、ちょうどよく楽しめる場所がある。

だいぶ慣れてきたけど、上手な人たちの滑り方を見ていると、やっぱりまだまだエネルギー効率が悪いと感じる。
日本ではほとんど機会がないだろうけど、またいつか挑戦してみたい。

 

納め

2009-12-27 | 日常/思索
日常の終わりシリーズ。

夕焼けがとてもきれいだったので、少し散歩してきた。慣れとは恐ろしいもので、ラップランドから帰ってきた後では、-5℃程度では、とてもマイルドに感じる。0℃だと、暖かい。海はすっかり雪と氷で覆われ、恐る恐る歩いてみたけど、ところどころ見るからに氷の薄いところもあり、この上ではしゃぎ回るというわけにはまだいかない。



大学のセミナー室でチェロを弾くのも最後。いつでも練習できる場所が確保されていたのは、嬉しい誤算の一つでした。



毎週日曜の恒例だった、日本食の会。お世話になりました。


ラップランド3

2009-12-26 | フィンランドぶらり旅
ロヴァニエミ日帰りツアーに参加した。

ロヴァニエミは、ラップランドで恐らく最大規模の街。サンタ村があるので、観光業は繁盛しているようだけど、複雑な歴史を持つ。
第二次大戦で、フィンランドは当初ドイツ軍と組んでソ連に対抗していたが(このためフィンランドは今でも枢軸国として扱われる)、その後1944年のソ連との講和条約に、フィンランド領内からのドイツ軍の完全撤退という条項が含まれていたため、そのままフィンランドとドイツは、一転、敵として激しい戦火を交える。このとき、ロヴァニエミの街は、当時ラップランドに駐留していたドイツ軍よって徹底的に破壊されてしまった。このため、現存する建物は、全て戦後の建造。復興の都市計画を指揮したのが、アルヴァ・アアルト。
ただ、味方同士だった頃には、この地域に駐留するドイツ軍とフィンランド人は、比較的良い関係を築いていたそうで(結婚した事例などもあるらしい)、この北の果てでも、戦争はきっと様々な複雑で悲しい物語を生んだのだと想像できる。

北極圏の自然や人々の生活を紹介する博物館。地球には、本当に色んな人たちがいるんだな。



続いて、サンタクロース村。ここには、公式のサンタがいるらしい(どんな権威が「公式」認定を与えているのかはよく分からないが)。ちょうどクリスマスの12月25日にここを訪れることになったのも、まぁ何かのご縁でしょうか。

こちらはサンタのオフィス。彼は、少し離れたところに暮らしているが、日々ここに通勤し、世界中からの客人を出迎える、という設定らしい。昨晩は、さぞかしお忙しかったことでしょうが、今日もきちんとオフィスにいらっしゃいました。
というわけで、早速、ご対面。話に聞いていた通り、彼は、日本語を喋った。ついでに、写真係の妖精さんも日本語を喋った。風情なし。記念撮影の写真、ものすごく高かったけど、記念ということで、購入(25ユーロ/枚也)。まぁでも、さすがにとてもよく撮れていた。将来、自分の子供や孫に自慢しよう。



サンタ村にある郵便局。「フィンランド サンタ様」で、郵便物はこちらに届くそうです。



サンタ村は、ちょうど北極圏との境界上に位置し、左の写真で真ん中よりも左側に行くと、そこは北極圏。初到達。東京から7,340kmも離れているそうで、こんなところまではるばるやってきたなぁ。

 

夜の列車でヘルシンキへの帰路に着く。フィンランドを去る前に、ラップランドを体験できてよかった。
あと、ついでに、フィンランド語を少しでも話す外国人観光客というのは相当珍しいようで、宿の人たちにとても受けが良かった。よかったよかった。

ラップランド2

2009-12-24 | フィンランドぶらり旅
トナカイ牧場を訪問。

ラップランドのトナカイにまつわる蘊蓄を聞いてきた。
フィンランドには、全部で20万頭ほどのトナカイがいるそうだが、実は、純粋に野生のトナカイというのは、一頭も存在しない。つまり、全てのトナカイには、持ち主がいて、普段はフェンスで囲まれた広大な森の中に放牧されているけど、きちんと管理されている。トナカイの放牧は、それこそ千年以上もの歴史を持つ伝統的な文化だけれど、最近は、追跡や調査にGPSの技術も導入されるなど、その手法も色々と進歩しているらしい。
トナカイの持ち主は、耳の切り込みを見れば、判別できるらしい。これは家紋のようなもの。そして、管理者にトナカイの所有数を尋ねるのは、大変失礼な行為とされる。つまり、普通の人に、あなたの財産はいくらですか、と尋ねるようなものなのだそうだ。この件を聞いて、そう言えば、少し前に世界ふしぎ発見で特集されていた時の内容を思い出した。

 

トナカイそり体験。気分はサンタクロース。
結局、サンタは楽して、おいしいところばかり持って行くが(子供たちに喜ばれ)、本当に頑張っているのは、トナカイたちなのだと思った。

  

午後は、色々な雪国ならではの道具を使って遊んだ。
スノーシューズ(左)は、深い雪の中でも、足を沈めずに歩くことができるようにするためのものだけど、これは要するに日本のかんじきとほとんど同じものだと思った。
右のやつは、名前を忘れてしまったが、足で蹴りながら進むそりのようなもの。このインストラクターの人は、子供の頃、3km離れた学校に通うのに、冬はこれを使っていたらしい。

 

この日はクリスマスイブということで、豪勢な食事が出た。フィンランドでは、クリスマス関連では、24日が一番のメインイベント。サンタ(中身は宿のスタッフ)もやってきた。トナカイと触れ合った日にトナカイ肉を食べた。


ラップランド1

2009-12-23 | フィンランドぶらり旅
クリスマスを挟んで4泊5日(うち2泊は夜行列車内)でラップランド旅行に出かけてきた。



滞在したのは、ロヴァニエミの南西約60kmにあるテルヴォラ(Tervola)という田舎町。ヘルシンキからは、列車でちょうど12時間くらい。
宿はそこの駅からさらに車を30分ほど走らせたところ。最寄りのスーパー、飲食店までは10km以上離れていると言う。おかげで、サービス(食事、サウナなど)の物価がやたらと高かったが、宿の人は皆、すごく良い人たちだった。
そして、彼らが色々なアクティビティのプランを提供しているので、それらを楽しんできた。

まずは、スノーモービル。
運転の方法はかなり単純で、すぐに慣れた。自分はバイクを運転しないが、バイクの楽しさとは、こんな感じなのでしょうか。
初めは移動のため車道を走り、その後しばらく森の中をうろうろ。

  

山小屋にて休憩。ここからは、オーロラがよく見えるらしい。



そこからの風景。フィンランド、冬の大自然。地球は広い。うむ。
ちなみに、これは昼の1時頃、つまりその日でも一番明るい時間帯だけど、これでも、想像していたよりはだいぶ明るかった。この薄明かりが、幻想的な印象を演出しているとも言える。ラップランドでも、もっと北に行けば、この時期は極夜(白夜の反対)になる。

 

当たり前だけど、さすがにもの凄く寒かった。滞在中の最低気温は、-30℃近く。
まぁでも日中は-20℃前後で、それに、体を動かしていれば、寒いのはそれほど気にならない。専用の各種重装備も貸してもらえたので、助かった。手袋は分厚いのを二枚重ね。靴下は四枚も履いていた。

夜は、オーロラを見ようと、宿の近辺で、熱燗片手に夜中まで粘っていたが、ついぞ見られず終い。次の日もだめだった。この旅行で、これだけは心残り。まぁまたいつの日か。
代わりに、満天の星空、それに流れ星も時々見えた。さすがに、北極星が空高く見える。空気もきれい。そして、一切の人為的な音声からの解放。全く静か。


別れの季節

2009-12-22 | 日常/思索
一昨日、同じく年末に帰国する日本人の友人と一緒に、お別れ会をしてもらった。

もともと共通の友人もいるけど、彼の方が交友範囲の広いこともあって、"Nice to meet you"と"Good bye"を一緒に言わなければならない人もいて、それはちょっと残念だったけれど、まぁでも楽しかった。パーティを企画してくれた、また別の友人に感謝。
ありがたいことに、いくつかプレゼントも頂いた。フィンランド人は、贈り物をするときに、つまらない物だけど…みたいな一言を添える人が結構いる。日本人みたいで、ちょっと面白い。Kiitos kaikkille!



で、今日は、研究室の教授にお別れの挨拶を。
研究室にはまだ行く用事があるのだけど、自分も先生もそれぞれ年末年始遠出したりするので、実は今日がお会いできる最後の機会。思い返せば、全ては先生が自分を客員研究員として受け入れて下さったことから、この留学の道が開けたのだった。
自分の怠惰ゆえ、シナジーが生まれるまでにちょっと時間がかかったけれど、結果的に、今後も継続して共同で仕事をする道筋を築くことができたのは、とても大きな収穫だと思う。こっちで旅費出すからまたいつでも来なさい、なんて仰って下さったので、意外と来年あたり、またひょっこり来たりして。

こちらは、先生のゲストブックへの、自分の書き込み。わりとどうでもいいけど、前のページに、マルッティ・アハティサーリ(昨年度ノーベル平和賞)の書き込みがあった。
お世話になりました。



たまには、自分の写真を載せてみます。こちらでの指導教官Hämäläinen教授と。
もう半年近く散髪していないので、相当な長さに伸びてしまいましたが、日本に帰るまで切らないことにしました。



というわけで、一応、研究関係の作業は終わり!
フィンランドの北の方へ旅に出かけてきます。クリスマスはラップランドで。

ムービングセール

2009-12-21 | 日常/思索
最近、少しずつ、日本にもって帰るわけにもいかない色々なものを、人に売ったり、譲ったりしている。

家具や家電なんかが多いのだけど、それらがいちいち名残惜しかったりする。それに、カーペットやソファーがいなくなると、それだけで急に部屋ががらんとした感じになる。
フロイトは、人間の心と意識は区別されるべきだと主張したそうだが、そんな時に、まさに心の部分が反応しているように思う。意識は、この感傷の理由をうまく説明できないから。この頃、そんなことがしょっちゅう。

特にお世話になった、下記掲載の愛車。5ユーロで売却。
ボロ車ゆえ、遠出は不可能だけど、特に夏の頃、よくヘルシンキまで行って帰って、サイクリングを楽しんでいた(バス代の節約でもあるが)。日本からゲストがやって来ては、フィンランドみたいなところでまったり自転車でふらふらして優雅なもんですね、と言われたものだった。その頃は、それが全くの日常であったけれど、やっぱり少なからず特別な事だったのかもしれない、と思う。

湿っぽい記事が続いていますが、ご勘弁。

まぁでも実は、同時に、やっと日本に帰れる!という気持ちも日増しに大きくなってきていたりする。ちらほらと帰国後の具体的な予定なんかも埋まり始めてきた。
相反する感情の共存というのも、なかなか興味深いトピック。


ミニコンサート

2009-12-19 | 音楽
Helsingin Työväen Orkesteriの指揮者でバイオリニストのルイスさんにお声がけ頂いて、一緒にハカニエミのカフェで演奏してきた。弦楽五重奏で、クリスマスソングをいくつか。

他のメンバーは、今日初めて会った人ばかりで、ロシア人が二人と、カナダ人。ルイスさんはチリ人だから、大陸すらバラバラ。皆さん、それぞれに色々な言語を話し、四カ国語(フィン語、スペイン語、ロシア語、英語)が入り乱れて、何が何だか。
で、実は、自分以外はみんなプロの音楽家。彼らの音楽にひょこっと乗っかればいいので、おかげでだいぶ楽だった。

このカフェは特設の大きなテントみたいなところで、暖房があるものの、かなり寒かった。普通に考えれば、とても演奏する環境ではないように思うけど。
でも、万国共通のクリスマスソングに合わせて体を動かす子供たちや、あるいは地元フィンランドの歌曲に一緒に口ずさむご年配の方々を見て、なんだかほんの少しだけ世界平和に貢献しているような、そんな気にもなった。そして、そんな自分自身の感覚も含めて、本来の意味での信仰心に関わらず(良いのか悪いのか知りませんが)、クリスマスがこのような人々のほのぼの幸せな気分を演出するのは、どこも同じなんだなと思った。

そして、フィンランドで、人前で演奏する機会は、これでおしまいです。
フィンランドでも相変わらずまったりチェロを弾いてこられて、まぁ精神的にも落ち着いたし、何より、音楽という共通項によって得た出会い(まさに今日のような出来事も含めて)は、プライスレス。「Mr. Cello」の東京ーヘルシンキ往復航空券、全く元が取れたと思います。

感傷

2009-12-18 | 日常/思索
この頃、帰国を前にして、ひどく感傷的な気分になることが多くなった。年末年始は海外旅行に出かけるので、フィンランドに滞在するのも、実はもう両手で数えられるほどの日数となってしまった。

ここでの暮らし。人々。景色。すっかり当たり前になってしまっていたことたちが、もうすぐ当たり前でなくなってしまう。
で、そう考えると、人の一生とは、つまるところ、そういうものなのかもしれない。

色々あったけれど、結局、フィンランドが好きなんだと思う。Rakastan Suomea.

今となっては懐かしき、夏の風景(Mikkelissa ja Savonlinnassa)。

 

さすがに寒い

2009-12-15 | 日常/思索
週明けからぐっと冷え込み、日中でも-10℃以下、夜中には-20℃近くにまでなるようになった。

0℃くらいではまだ全然余裕だったが、さすがにこりゃたまらん。
とは言え、自分はこれまでにマイナス二桁度の気候は数えるほどしか体験したことがないので、これもまた経験。それに、雪が積もると、それだけで風景が明るく見えるのも美しい。

外を出歩くときには、寒さ対策をしっかりしなければ、命に関わりそう。手袋は二枚重ね、マフラーも首というより顔に巻く。
東京では、どんなに寒くてもミニスカートの女子高生など見かけるが、フィンランドでは皆無。東京の「寒い」は、そうは言っても、まだファッションの見た目を秤にかけられる程度なのだ。フィンランドでは、そんなこと言ってられない。

深呼吸すると、肺がやられそうになる。実際、あまりよろしくないらしい。

海が凍り始めていた。まだ完全には凍っていないようだったので、氷の上を歩くのはやめたけど、もうじきにそれもできるようになるのだろう。で、自分がフィンランドに来た四月の頭にはまだ凍っていたから、それまでの間、恐らくしばらくはこの景色。ちなみに、下の写真の撮影時刻は12時半くらい、つまり一日でも一番明るいとき。

こういう季節も体験すると、フィンランドに来たばかりの頃にはいま一つよく理解できなかったことも少し分かった気になる。なぜヴァップであれほど人々が大騒ぎしていたのか、なぜこの国の人々は一斉に長い夏休みを取ることを許されているのか。
ヨノナカというのは、その土地の気候や風土に合わせて、うまく回るようにできているんだな。

今度、外で凍らせたバナナで釘が打てるか、実験してみよう。

 

クリスマスマーケット

2009-12-14 | ヘルシンキぶらり歩き
昨日、コンサートの後に、エスプラナーディ公園のセント・トーマス・クリスマスマーケットをのぞいてみた。
毎年12月の恒例行事らしく、クリスマス前の二週間ほどの間、この細長い公園の端から端まで、多くの出店が並ぶ。たぶん100軒以上。



クリスマスの飲み物、グロギ(glögi)を売るおじさん。グロギは、多分、色々な甘味や香辛料などで味付けしたホットワイン、といった感じ。ノンアルコールで飲むことも多いみたい。正確な定義はよく分かりませんが、以前、日本でスウェーデン人の友人が、伝統的なホットワインだと言って振る舞ってくれたものに似ているように思うので、北欧一帯では様々なバリエーションとともにかなり普及しているものなのかもしれません。
寒かったので、一杯飲んで、またおかわり。



クリスマスのお菓子は、他に、ジンジャークッキー(piparkakku)、それから前にも紹介したクリスマスタルト等。他にも色々あるんだと思う。実際、色んな食べ物が売られていた。
それから、フィンランドならではの工芸品などを売るお店もたくさん。色々見て回るだけでも結構楽しい。



昼飯に、トナカイ肉のハンバーグ。すごいボリュームで、食べている間に冷えてきてしまったが、おいしかった。


ラストコンサート

2009-12-13 | 音楽
二日続けて演奏会。クリスマスも近いということで、何かとイベントの多い季節。

今日は、Helsingin Työväen Orkesteriの皆さんと、テンペリアウキオ教会での音楽ミサに参加。奇しくも、5月のフィンランド初舞台と同じ設定。曲も同じ、コレルリのクリスマス協奏曲。
実は今回、自分はリハーサルを休んでしまい、ぶっつけ本番だったのだけど、今日になって、いきなりソロパートを弾くことになり、結局前回と同じような展開。もはや、この曲、一生の思い出もの。

さすがに、準備不足から来るいささかの緊張に襲われ、納得のできる演奏とはほど遠い出来で、自分はいったいフィンランドに何をしに来たのだろうか…と若干鬱になってしまったが、その後、温かくフォローして下さる方もあり、結局のところ、この雰囲気を楽しめたのでよしとすることにした。こんな素敵な機会を与えてもらって、本当にありがたい。

こういうイベントに参加すると深く思うところがあって、それは、(ほんのちょっと前の)自分の全く想像すらすることのなかったところで、何十年、何百年も前から、人々はこうしてある宗教観のもとに、もちろんそれぞれの時代の社会情勢にそれぞれの意味を与えられつつ、それでもこのような場に集い、祈りを繰り返してきた、つまるところ、社会とはその産物でもあり、そうした何かとても大きな流れ、これにのまれる感覚、とでもいうのだろうか。そして、普段はめったに思いを馳せることもない、このような壮大なイメージについて考えさせられる、教会と音楽(あるいは宗教芸術一般)、この組み合わせには、何だかとても強大な力を感じる。(テンペリアウキオ教会自体はかなり新しい教会だけど、それでもこういうパワーは、かなり普遍的であるという感覚で、これは今日に限らず、この一年、ヨーロッパの色々な教会をのぞいてみて、思ったこと)

というわけで、HTOの皆さんとは、今日でお別れ。(この頃は、別れの季節)
ちょっとした偶然から関わりを持つことになった人たちだったけど、とても温かく迎えて下さり、音楽においては言葉の壁はそう大した問題ではないのだということを教えてくれた。と同時に、自分にとっては、超初級フィンランド語の一番の実践の場だった気もする。お世話になりました。Kiitoksia.

そういや、終演後に教会の人がコーヒーとお菓子を振る舞って下さったのだけど、そこでちょっと面白いことがあった。
コーヒーを注いでくれたおばちゃんが、どこから来たの、と尋ねるので、Olen japanista.(日本からです)と答えると、あらまぁ日本からですか!と言って、そのまま大変に流暢な日本語を喋り始めた。お話を伺うと、自分も一度行ったことのある、東京の中野にあるスオミ教会(恐らく東京では数少ない、フィンランド語が学べるところ)の牧師さんの奥さんだった。
で、さらに愉快だったのは、オケに日本語の教師をしている方がいるのだけど、その人とそのおばさんとの会話。完璧な日本語でお話しするフィンランド人のおじさんとおばさん。珍しい光景。