Anteeksi.

すみません、ちょっといいですか。フィンランド留学の見聞録。

トナカイ料理

2009-09-28 | 日常/思索
ハカニエミのマーケットで、トナカイ肉を買って来た。300gで23ユーロ。やっぱり高級食材だった。



ちょうどうどんが食べたかったので、最初の100gを使って、トナカイ肉の味噌煮込みうどん(左)を作った。このメニューにトライした人、未だかつていたかな。
あまり知らなかったのだけど、トナカイ肉は、独特の臭みがあり、基本的に濃い目の味付けにした方がよさそう。よくトナカイ肉に添えられるベリーソースは、この臭みを消すためとも言われるらしいけど、納得。あまり和風料理とは相性のよろしくない食材だと思った。とは言え、肉を小さく切れば、うどんに入れてもこの臭みはそれほど気にならなくなり、まぁまぁおいしかった。
次の100gを使って、シチュー(右)を作った。こちらは、普通においしく食べられた。

 

まだあと100gあるので、次はカレーでも作ろうかと思います。

かもめ食堂

2009-09-27 | ヘルシンキぶらり歩き
もはやヘルシンキ随一の観光名所の感もある、かもめ食堂ことカハヴィラ・スオミ。ヘルシンキの街を歩いていると、日本人観光客に、かもめ食堂はどこですか、と尋ねられることしばしば。
そんな自分も、かもめ食堂にはかれこれ4回ほど行った。ここの日替わりランチは、なかなかコストパフォーマンスが良いと思う。普段は地元の人で結構繁盛しているけれど、日本の夏休みシーズンには、日本人が行列を作っていたりする。この日は、チキンライスを注文すると、ベリーソース添え。

  

ついでに、こちらはカフェ・アアルト。映画で、サチエとミドリが出会い、ガッチャマンの歌を歌うシーンで使われている。
ここのケーキ類は、少々値が張るけれど、おいしい。書店の中にあるので、読み物するのにも落ち着いていて良い雰囲気。

 

日本に帰ったら、かもめ食堂もう一度見たい。

おまけ。


ピカソ展

2009-09-26 | ヘルシンキぶらり歩き
ヘルシンキ中央駅前のアテネウム美術館というところで、ピカソ展をやっている。
学生券でも14ユーロもしたけれど、これだけまとめてピカソの作品を拝む機会もそうないかもしれないと、見物。

パリの国立ピカソ美術館が大型改修工事中につき、その収蔵品が現在世界を回っているところらしい。実は去年、東京にも来ていたんだけど。
先月はイタリアでルネサンス芸術に酔いしれたが、今月はムンクやらピカソやら、これまただいぶ趣が違う。

ムンクもそうだったけど、ピカソも時代ごとに作風が極端に変化している。まぁでも全体的に、やっぱりピカソのセンスはよく分からない。晩年の絵なんて、子供の落書きのようにしか思えない。しかし、例えば、本人がこう言っている―「私は英語の本を読んでも分からないが、それはそこに言葉が存在しないということを意味しているのではない」。そういうものか。

ニッポリサウナパーティ

2009-09-25 | イベント
ニッポリのパーティに参加。二回目。

ニッポリは、TKKの日本語サークル。日本語を話すフィンランド人とか、留学中の日本人なんかが主なメンバーだけど、それ以外にも色んな人がいる。
前回は、まだこちらに来たばかりで知り合いも皆無という状態で参加したので若干緊張もあったけど、今回は、見知った人たちがたくさん集まっているという感じ。

久しぶりに会ったフィンランド人に、夏休みは何してたの、と聞くと、陽ヲ浴ビタリ…湖デ泳イダリ…
パーティ会場に併設のサウナに入り、そのまま初めてオタニエミの湖に飛び込んだ。この頃は夜にもなれば最低気温は一桁だから、むちゃくちゃ寒かった。

焼酎を持参したところ、ついこの間京都に旅行したというフィンランド人もお土産に焼酎を持って来ていて、飲み比べ大会になり、久しぶりにまとまって大好きな焼酎が飲めると思うと嬉しくてつい調子に乗ってしまい…

気付いたら、家で寝てました。どうやって帰ってきたんだろう。上着と鞄を会場に忘れた模様。最低だ。

フィヨルドツアー

2009-09-22 | スカンジナビアの旅
ベルゲンから日帰りで、ソグネフィヨルド観光に出かけた。ノルウェーには無数のフィヨルドがあるけれど、その中でもこのソグネフィヨルドは、最長(200km以上)、最深(1300m)を誇る。実は今回の旅で一番の楽しみにしていたのが、これ、と言うのに、残念ながら、こういう日に限って生憎の空模様。晴れていたなら、もうちょっと色も鮮やかだったろうに、という思いもあるが、山々に霧がかったフィヨルドも、それはそれでまた幻想的というか、とても美しかった。

朝一番で列車に乗り込み、二時間ほど揺られてミュルダールへ。一度ベルゲンを離れると、のどかな風景が続く。BGMは、お馴染み、「世界の車窓から」でどうぞ。

 

ミュルダールでは、登山列車フロム鉄道に乗り換え。これまた絶景の続くことから、観光路線としても人気らしく、車掌による車内アナウンスはガイドも兼ねている。途中の見所では、列車の速度を緩めたり、停車したりしてくれる。すっかり紅葉の季節のようだ。
日本人の団体さんに出くわした。シルバーウィークという言葉はつい最近知った。

  

一時間ほどして、フィヨルドに面した小さな村、フロムに到着。昼食を取り、フェリーの時間まで散歩、お土産の物色など。
ノルウェーでは、よく羊を見かける気がするけど、羊肉は名物料理らしい。川の水のきれいさにうっとり。

  

お待ちかねのフィヨルド観光フェリーに乗船。フロムを出発して、ソグネフィヨルドを下りながら、ベルゲンまで帰る。約5時間の航海。
船内にはカフェもあり、なかなか快適だった。



船の速度が速いこともあり、甲板はかなり風が強い。フィヨルドの景色は圧巻だった。こういうのは、なかなか写真では伝えづらいけど。

  

ベルゲンに戻り、夕食にシーフードパスタ。ザリガニも入っていた。



翌朝、飛行機でヘルシンキへ帰還。

今回の旅では、日本ではとかく一括りにされがちな「北欧」をそれぞれに見ることができたのが面白かった。人も言語も、街の雰囲気や自然の様相も、それぞれにユニークなものがある。
特にノルウェーは、旅の楽しみの尽きない国だと思った。またじっくりと訪れる機会があればいいなと思う。


ベルゲン

2009-09-21 | スカンジナビアの旅
フィヨルド観光の拠点として、ノルウェー西岸にある港町ベルゲンに滞在した。

ベルゲンそれ自体もとても見所の多いところだけど、今回は街の観光にあまり時間を取れなかったのが残念。そんな中でも、それなりに街をぶらぶらしてみた。
雨上がりの夕陽が見せる街並の色合いが、とてもきれい。その夕陽を見るだけでもその街に行く価値がある、という一節が今読んでいる小説にあり、それを思い出した。

 

ロープウェイで山の上に上ってみた。そこから見下ろすベルゲンの夜景。



バカラオという、タラをトマトソースで煮込んだもの。ベルゲンの名産だそうです。


オスロ

2009-09-20 | スカンジナビアの旅


続いて、空路にてオスロにやってきた。ノルウェーには初入国。

市街地へ向かう列車の窓から景色を眺めて思ったことは、ノルウェーには、山がある。同じ大自然を有する北欧でも、これはフィンランドの風景との大きな違いだ。建物の配色などが独特なことを除けば、ほとんど日本の田舎の風景のようで、どことなく懐かしさを覚える。

オスロの街は、規模としてはヘルシンキと同程度という印象。一国の首都と言え、こじんまりとしているけれど、人々の生活水準は高く、必要なものがコンパクトにまとまっている。港町でもあるし、これもまたヘルシンキと似ているようで親近感を呼ぶ。ストックホルムは、やっぱり北欧では断然都会的だったのだと改めて思う。

生活水準、と言えば、ノルウェーの物価は世界一高いと聞いていたが、全くその通り、仰天の連続だった。例えば、コンビニやキオスクなどで500mlのペットボトルが一本30クローナ前後(約450円)もする。フィンランドやスウェーデンも、日本に比べれば相当物価が高いとは言え、ここまでではない(フィンランドでは、ペットボトル一本でせいぜい2~2.5ユーロ程度)。ちょっとでもまともなレストランで食事をしようものなら、あっという間に四、五千円コースとなる。当然、宿の相場も高いし、北欧でもノルウェーの旅は特にお金が要るようだ。
もちろん福祉のレベルが違うので簡単な議論は難しいけれど、飲み物が150円で買えるところで、消費税を数%上げるだの上げないだの議論しているのが、滑稽に思えてきてしまう。

 

ノルウェーの誇る芸術家に、ムンクがいる。
オスロの国立美術館には、かの有名な「叫び」がある。「叫び」は、ムンク自身がオスロ郊外の高台を歩いていたときに感じたやり場のない孤独、絶望を創作のきっかけとしたそう。なかなか難の多い人生を歩まれたようだ。この美術館は、他にもノルウェーの風景画家の作品など数多くあり、とても良かった。
少し離れたところにあるムンク美術館は、ひたすらムンクの作品を展示している。年代ごとに全く違う絵の描き方をしているが、絵を見れば、それが彼の何歳頃の作品か大体分かるようになった。なかなか面白い。ムンク美術館のカフェには、叫びケーキ、というのがあった。

 

ヴァイキング博物館というのも見物してみた。彼らは、偉い人が死んだら、船に棺を納めてそれを丸ごと埋葬したそうで、それが後に発掘されたものがいくつか展示されていた。このような船で彼らは、コロンブスより五百年ほども前にアメリカ大陸まで到達していたというのだから、驚きだ。



こちらは、ノルウェーの王宮。ちょうど、衛兵の交替式をやっていた。

 

物価の高さ以外は、なかなか住み良さそうな街だと思った。

  

  


ストックホルム

2009-09-17 | スカンジナビアの旅
今月の旅のテーマは、スカンジナビア周遊。

まずはタリンクシリヤの夜行フェリーでストックホルムへ向かう。
ヘルシンキとは、しばしのお別れ。なぜか先週あたりから大聖堂の上部が工事中、これにはちょっとげんなり。

ヘルシンキーストックホルムの船の旅は昨年に続き二度目で、前回はヴァイキング・ラインの利用だった。どちらも船上豪華ホテルといった様相で、(自分のようなエコノミー旅行者にとっては)サービス内容はほとんど変わらない印象だけれど、タリンクシリヤは、目玉のビュッフェレストランが満足度高い。
深夜に船上から眺める星空も素敵。

  

でも、ヴァイキング・ラインの良さは、ストックホルム到着時に船上のデッキからガムラスタンへの接近を拝めることだと思った。タリンクシリヤの船は、街からちょっと北へ離れた港へ到着。

二度目のストックホルム。前回は冬だったし、天気もあまり良くなかった。それでもそのとき、この街の美しさに大変に感動したのを今でも覚えている。
今回は、最低気温はもはや一桁と言え、一応まだ夏の気配を残し、お天気もよろしい。当然ながら、前回よりも街並の色彩が一層くっきりと感じられる。
水の都、という表現がよく似合う。本当に美しい街、どこからどう見ても絵になる。

  
  

(左)ノーベル博物館では、「表現・報道の自由」に関する特別展をやっており、大変興味深い内容だった。
(中)ストックホルムの大聖堂は、気のせいか、トゥルクの大聖堂とそっくりだと思った。
その他、王宮、美術館(右)などを見物。

  

スウェーデン王国は、北欧一帯において、歴史的に最も強大であり続けた国。ヘルシンキと比べれば、ストックホルムは大都会だ。そこには風格があり、またフィンランドには決して見られない類の余裕が感じられる。


オケ活動再開

2009-09-14 | 音楽
9月になり、春にご一緒させていただいたHelsingin Työväen Orkesteriの練習が再開。11月の定期演奏会でも再び混ぜてもらえることに。
相変わらずフィンランド語での練習だけれど、合奏はそれ自体楽しい、と久しぶりの練習で素直に思った。
弦楽のみだった前回と違い、次回はフルオケ。と言っても、小規模のオケで、チェロも普段二、三人しかいないので、よい訓練になる。曲目はモーツァルト40番に、シューマンのチェロ協奏曲。これはまたやりがいのある、素晴らしい選曲。しかも、またもやテンペリアウキオ教会にて。

それからもう一件。今期のみ、TKKの学生オーケストラに参加することになった。週一の合奏で、練習場所がうちから徒歩30秒なので、楽だ。こちらも、帰国直前の年末に定期演奏会がある。
ちょうど新歓の時期でもあり、新入生も交えた初見大会に顔を出してみた。チャイコのロミオ&ジュリエット、これはまだ練習すればどうにかなるとして、バルトークの管弦楽のための協奏曲、これは果たして曲になるのだろうか。当然、初見ではほぼ文字通りのお手上げ状態。
それにしても、とてもフレンドリーな人たちだった。同じ理工系大学のオケだからか、(演奏レベルも含めて)東工大オケと雰囲気が似ていて、とけ込みやすい印象。

シベリウス音楽祭

2009-09-11 | フィンランドぶらり旅
ヘルシンキからはちょっとした小旅行になるけれど(バスで90分ほど)、ラハティという街でシベリウス音楽祭が開催中だ。日帰りで、念願のラハティ交響楽団のコンサートを聴きに行って来た。

開演時間まで、しばし初訪問のラハティを散策。

ラハティには本格的な競技用スキージャンプ台があり、国際レベルの大会もしばしば行われている。
ジャンプ台のてっぺんまで上れると聞いていたのだけど、夏季のみ開放ということで、残念、それでも途中、半分くらいまで上ることができた。クオピオでもジャンプ台を拝んだけど、やっぱり、こんなところから飛び出そうという人の気は知れない。
隣接するスキー博物館は、なかなか興味深い展示内容だった。スキーの歴史など。

  

美しい湖畔にて一服。このシルエット、まさに東山魁夷的世界。



ラハティ交響楽団、その本拠地シベリウスホールは、フィンランド随一のオーケストラ、コンサートホールとの呼び声も高い。

Lahti Symphony Orchestra - Jukka-Pekka Saraste, conductor

Sibelius:
The Dryad
Violin Concerto - Henning Kraggerud, violin
Symphony No. 3

いずれの曲も、これぞシベリウスの決定版、という大変に素晴らしい演奏。フィンランド的な清涼感、あるいは陰鬱の表現。それに、音の処理のしかたが何とも形容し難く美しい。そのまま湖にすっととけていくかのよう。
交響曲3番は、シベリウスのシンフォニーの中でも、個人的に好みの音楽だ。基本的に聴きやすく、明るい曲調だけれど、それは底抜けの明るさ、ましてベートーヴェン的な歓喜とは全く類を異にする。それは、時に厳然と立ちはだかる北欧の大自然と、融和、共存することの喜びであるように思う。そうしたイメージを、今日の演奏でも見せられた気がして、そのことが何よりの満足だった。もはや、シベリウスは、自分にとってクラシック音楽の巨匠たちのone of themから、一歩飛び出した存在と言える。

  

アイノラ

2009-09-10 | フィンランドぶらり旅
ヘルシンキから電車で30分。都市の喧噪を離れ、ヤルヴェンパーという村に、シベリウスが晩年を過ごした家がある。自宅の愛称アイノラは、奥さんの名前アイノから。

晩年、と言っても、シベリウスは91歳まで長生きしており、ここに家族とともに50年以上も暮らしたが、最後の30年間は全く作品を発表しなかった(ヤルヴェンパーの沈黙)。この動機については謎めいたところもあり、もうそれまでの内容に満足して作曲活動をやめてしまったという説から、逆に自己批判精神の高まりから手がけるもの全てをボツにしてしまったという説まであるそうだ。

四百ヘクタールもあるという敷地のほとんどは白樺やモミの木からなる林で、彼はこうした自然の中に佇み、そこからのインスピレーション、つまり木々のざわめき、湖のゆらめきといったようなものを、芸術作品としての音に変えていった。いま同じ場所に立ち、静寂の中で、偉大な作曲家の瞑想に少しでも思いを重ねてみようとする。

 

この土地を大変に気に入っていたシベリウスの遺言により、ここにお墓が作られた。


ゲスト

2009-09-09 | 日常/思索
東京から母と妹がやってきた。
すっかり秋めいた今日この頃。少しばかりの滞在だけれど、存分にこのフィンランドの空気を満喫していってもらえればと思う。

地元のスーパーに連れて行くと、母は店員に向かって、日本語で肉を注文していた。それなのに、言った通りのものが出てきたというから、主婦のパワーはすごい。
というわけで、家に帰ったらご飯ができあがっている、というのは、ものすごく久しぶりで、有り難かった。

Anssi & Outiと一緒に、ラップランド料理のお店Saagaに出かけた。二人は、昨年東京の我が家にも来てもらったので、うちの家族とはそれ以来ということになる。
このレストラン、内装や食事の盛りつけなどの演出がとても素敵。そして料理も、これまでに行ったことのあるフィンランド料理のお店の中では、群を抜いておいしかった。トナカイ肉は、その希少性から高級食材だと認識していたけれど、フィンランドの家庭では普段の食卓に並ぶことそう珍しくもないみたい。スーパーにも普通に売っているようだから、今度自分でも何か料理してみようかしら。

映画「かもめ食堂」はたしか、「フィンランドのかもめはデカい」という語りで始まる。
たしかにデカい。と盛り上がった。


オタニエミ建築ツアー

2009-09-07 | 大学
先日にも少し触れた、アアルトの研究をしている専攻の後輩と、彼の先生がオタニエミ建築視察ツアーにやってきたので、ガイドも兼ねて、同行させてもらった。

ヘルシンキ工科大学のキャンパスは、アアルト建築の代表作であり、内装に関しても、例えば扉の取っ手や照明のカバーなどは、彼独特のデザインである。ということくらいは知っていたけれど、この二人と一緒に改めてキャンパスを回ると、何とまぁ新発見の多いこと。

ところで、いま自分の住んでいる学生寮もアアルトの作品だったということを初めて知った(MITの寮でアアルトのものがあると聞いたことはあったけど)。アアルト愛好家の後輩には、歴史的建造物に住んでいるのだということを力説された。コルビジェの集合住宅に住んでいるようなものらしい。アアルトさん、もうちょっと防音設計にも気を配ってくれればよかったのだが。
自室に案内するなり、激写。その彼に拝借したアアルト解説本によると、アアルトは、自身の作品の発想を生むアイデアや理論よりも、それが人々によりどう体験されるかということを重視したそうだ[1]。したがって、彼を理解するには、その作品を外から眺めるのみならず、日常にいかに体験されているのかという観点が重要となり、その意味で非常に価値のあるものらしい(自分の部屋を覗くことが!)。

大学には新しい建物も多くあり、全てがアアルトの設計というわけではない。それに、彼の設計による学生寮は、自分の住んでいる建物だけである。
しかし自分の場合は、暮らしている部屋も、研究室のある建物も、アアルト建築。ふむ。これはなかなか。別段の興味がなくとも、ご縁を感じずにはいられないというもの。
こういうところが面白いでしょう、と普段全く見落としている箇所を指摘されると、いつも見ていたはずのものが、ちょっとまた違って見えてきた。

それにしても衝撃だったのは、アレパ(いつも買い物するスーパー)の入っているしょぼい小型ショッピングモールもまた、「歴史的建造物」だったということだ。

  

  

  

(参考文献)
[1] M. Trencher "The Alvar Aalto Guide"(平山達訳、丸善)

海外適応

2009-09-06 | 日常/思索
4月にヘルシンキの空港に降り立った時点から確信していることがあって、留学の終わりには「あっという間だった」と思うに違いない、ということだ。
気が付けば、この留学生活も、実はすでに半分を折り返している。早いなぁ、とも思うけど、あれがたったひと月前のことか、随分昔のことのように思うけど、と感じることもあり、時間の流れ方とは不思議なものだ。何してたっけ、と思うときもあるけど、一方で、色々な体験を通して自分の中に変化が起こっていることを実感できるのもまた確か。

ところで、精神科医の稲村博によると、海外に長期滞在する日本人のその適応のしかたには法則性があり、多くの人がこの経過を辿るという[1]。

移住期→不満期→諦観期→適応期→望郷期。

振り返ると、あながちずれてもいない。

やってきたばかりの頃。二度目のフィンランドとは言え、初めての海外留学。全てが発見であり、全てが新鮮。それで許される。そんな、お気楽な毎日。
今となり思い返せば、6~7月あたりが不満期だった。語学(英語)の悩みも小さくはなかったけれど、何より、新しく引っ越した先の学生寮の住環境の悪さ。初めてノイローゼになった。
不満→諦観という流れもよく分かる。世の中、全ての人と分かり合うのは無理だ、と思えば、幾らか楽になった。
実は、この諦観というのは、適応の前段階として必須のステップであるように思う。これはなかなか興味深い発見だ。つまり諦観という言葉そのものはネガティブな印象を含むが、それはとにもかくにも、現実の許諾を意味する。諦観は開き直りにつながり、そしてそれは新たな思考や行動のパターンを生む(こともある)。これがポジティブに作用したとき、適応が実感として得られる。さらに言えば、適応とは、必ずしも受動的(passive, reactive)でなく、それはその人自身にとってはまさしく創造的(proactive, creative)なプロセスであるかもしれない。
もちろん、全ての人がこの壁を越えられるわけではない。不満や諦観に押しつぶされると、鬱になり、自殺する人もいる、と稲村は述べる。

自分の場合は、外国語でのコミュニケーションにおけるストレスの減少などにこの一連の流れを実感する(つまり、レベルが向上したというよりも、この開き直りの効果によるところが大きいように思う)。とは言っても、もちろんストレスは少なからずある。

そんなこんなで、色々なことについて、不満、諦観、適応を行ったり来たりしているのが現状のようだ。
さすがに望郷という感覚はまだない。これは、帰国直前にやってくると予想する。日本に帰ったらあれをしよう、これをしよう、そんな妄想に取り憑かれそうだ。ちなみに自分は、食に関してはそれほど不満を覚えないが、やっぱりどう評価しても、日本にしかないもの、たくさんある。こう書いていると、無性に四川の担々麺(ごま多め)が食べたくなってきた。

(参考文献)
稲村博「日本人の海外不適応」NHKブックス, 1980年

シュースクー

2009-09-04 | 日常/思索
9月になり、もうすっかり秋の気配。木々は紅葉を始めている。

この時期ふらっとフィンランドを訪れる知人は、さすが北欧の夜は長いですね、などと言うが、これでも相当に日が短くなったと実感する。夜の9時頃にはすっかり暗くなるし、そもそも暗くなること自体が、夏至の頃と比べると大きな違いだ。
海外に暮らすということの、単なる旅行との違いは、この季節の移り変わりを身を以て感じられること。もちろん、知識としてはそういうことは知っていたけれど、それを実際に体験することは、全く違うレベルの話なのだということがよく分かった。

大学では新学期の季節。今週から研究室の定例ゼミも再開し、すっかり人が戻ってきた。

それはいいんだが、毎日のようにそこかしこで新歓コンパのような催しをやっているせいで、忌まわしき騒音問題が再び持ち上がっている。またちょっと困っている。
フィンランド人は、酒が入り、しかもそれが集団になると、本当にたちが悪い。赤信号をみんなで渡るのが大好きなんだろうか。夜中の1時に人の家の前でブラスバンドのような団体がラッパを吹き始めたりする。一体、どういう神経をしているのだろうか。これはもう決してお酒の問題じゃない。極めて根本的なモラル、公共性の問題である、云々…ああ、もう!

新しく日本人留学生も何人かやってきて、身近な知り合いが増えた。
今週は、ほとんど毎日のようにまとまった日本語を喋れた気がする。なんだかんだで、慢性的に日本語でのコミュニケーションが不足しがちな留学生にとって、それ自体、相当に落ち着く。

今日は、我が家でお好み焼きパーティでした。