最近、少しずつ、日本にもって帰るわけにもいかない色々なものを、人に売ったり、譲ったりしている。
家具や家電なんかが多いのだけど、それらがいちいち名残惜しかったりする。それに、カーペットやソファーがいなくなると、それだけで急に部屋ががらんとした感じになる。
フロイトは、人間の心と意識は区別されるべきだと主張したそうだが、そんな時に、まさに心の部分が反応しているように思う。意識は、この感傷の理由をうまく説明できないから。この頃、そんなことがしょっちゅう。
特にお世話になった、下記掲載の愛車。5ユーロで売却。
ボロ車ゆえ、遠出は不可能だけど、特に夏の頃、よくヘルシンキまで行って帰って、サイクリングを楽しんでいた(バス代の節約でもあるが)。日本からゲストがやって来ては、フィンランドみたいなところでまったり自転車でふらふらして優雅なもんですね、と言われたものだった。その頃は、それが全くの日常であったけれど、やっぱり少なからず特別な事だったのかもしれない、と思う。
湿っぽい記事が続いていますが、ご勘弁。
まぁでも実は、同時に、やっと日本に帰れる!という気持ちも日増しに大きくなってきていたりする。ちらほらと帰国後の具体的な予定なんかも埋まり始めてきた。
相反する感情の共存というのも、なかなか興味深いトピック。
家具や家電なんかが多いのだけど、それらがいちいち名残惜しかったりする。それに、カーペットやソファーがいなくなると、それだけで急に部屋ががらんとした感じになる。
フロイトは、人間の心と意識は区別されるべきだと主張したそうだが、そんな時に、まさに心の部分が反応しているように思う。意識は、この感傷の理由をうまく説明できないから。この頃、そんなことがしょっちゅう。
特にお世話になった、下記掲載の愛車。5ユーロで売却。
ボロ車ゆえ、遠出は不可能だけど、特に夏の頃、よくヘルシンキまで行って帰って、サイクリングを楽しんでいた(バス代の節約でもあるが)。日本からゲストがやって来ては、フィンランドみたいなところでまったり自転車でふらふらして優雅なもんですね、と言われたものだった。その頃は、それが全くの日常であったけれど、やっぱり少なからず特別な事だったのかもしれない、と思う。
湿っぽい記事が続いていますが、ご勘弁。
まぁでも実は、同時に、やっと日本に帰れる!という気持ちも日増しに大きくなってきていたりする。ちらほらと帰国後の具体的な予定なんかも埋まり始めてきた。
相反する感情の共存というのも、なかなか興味深いトピック。