Anteeksi.

すみません、ちょっといいですか。フィンランド留学の見聞録。

ラップランド3

2009-12-26 | フィンランドぶらり旅
ロヴァニエミ日帰りツアーに参加した。

ロヴァニエミは、ラップランドで恐らく最大規模の街。サンタ村があるので、観光業は繁盛しているようだけど、複雑な歴史を持つ。
第二次大戦で、フィンランドは当初ドイツ軍と組んでソ連に対抗していたが(このためフィンランドは今でも枢軸国として扱われる)、その後1944年のソ連との講和条約に、フィンランド領内からのドイツ軍の完全撤退という条項が含まれていたため、そのままフィンランドとドイツは、一転、敵として激しい戦火を交える。このとき、ロヴァニエミの街は、当時ラップランドに駐留していたドイツ軍よって徹底的に破壊されてしまった。このため、現存する建物は、全て戦後の建造。復興の都市計画を指揮したのが、アルヴァ・アアルト。
ただ、味方同士だった頃には、この地域に駐留するドイツ軍とフィンランド人は、比較的良い関係を築いていたそうで(結婚した事例などもあるらしい)、この北の果てでも、戦争はきっと様々な複雑で悲しい物語を生んだのだと想像できる。

北極圏の自然や人々の生活を紹介する博物館。地球には、本当に色んな人たちがいるんだな。



続いて、サンタクロース村。ここには、公式のサンタがいるらしい(どんな権威が「公式」認定を与えているのかはよく分からないが)。ちょうどクリスマスの12月25日にここを訪れることになったのも、まぁ何かのご縁でしょうか。

こちらはサンタのオフィス。彼は、少し離れたところに暮らしているが、日々ここに通勤し、世界中からの客人を出迎える、という設定らしい。昨晩は、さぞかしお忙しかったことでしょうが、今日もきちんとオフィスにいらっしゃいました。
というわけで、早速、ご対面。話に聞いていた通り、彼は、日本語を喋った。ついでに、写真係の妖精さんも日本語を喋った。風情なし。記念撮影の写真、ものすごく高かったけど、記念ということで、購入(25ユーロ/枚也)。まぁでも、さすがにとてもよく撮れていた。将来、自分の子供や孫に自慢しよう。



サンタ村にある郵便局。「フィンランド サンタ様」で、郵便物はこちらに届くそうです。



サンタ村は、ちょうど北極圏との境界上に位置し、左の写真で真ん中よりも左側に行くと、そこは北極圏。初到達。東京から7,340kmも離れているそうで、こんなところまではるばるやってきたなぁ。

 

夜の列車でヘルシンキへの帰路に着く。フィンランドを去る前に、ラップランドを体験できてよかった。
あと、ついでに、フィンランド語を少しでも話す外国人観光客というのは相当珍しいようで、宿の人たちにとても受けが良かった。よかったよかった。

ラップランド2

2009-12-24 | フィンランドぶらり旅
トナカイ牧場を訪問。

ラップランドのトナカイにまつわる蘊蓄を聞いてきた。
フィンランドには、全部で20万頭ほどのトナカイがいるそうだが、実は、純粋に野生のトナカイというのは、一頭も存在しない。つまり、全てのトナカイには、持ち主がいて、普段はフェンスで囲まれた広大な森の中に放牧されているけど、きちんと管理されている。トナカイの放牧は、それこそ千年以上もの歴史を持つ伝統的な文化だけれど、最近は、追跡や調査にGPSの技術も導入されるなど、その手法も色々と進歩しているらしい。
トナカイの持ち主は、耳の切り込みを見れば、判別できるらしい。これは家紋のようなもの。そして、管理者にトナカイの所有数を尋ねるのは、大変失礼な行為とされる。つまり、普通の人に、あなたの財産はいくらですか、と尋ねるようなものなのだそうだ。この件を聞いて、そう言えば、少し前に世界ふしぎ発見で特集されていた時の内容を思い出した。

 

トナカイそり体験。気分はサンタクロース。
結局、サンタは楽して、おいしいところばかり持って行くが(子供たちに喜ばれ)、本当に頑張っているのは、トナカイたちなのだと思った。

  

午後は、色々な雪国ならではの道具を使って遊んだ。
スノーシューズ(左)は、深い雪の中でも、足を沈めずに歩くことができるようにするためのものだけど、これは要するに日本のかんじきとほとんど同じものだと思った。
右のやつは、名前を忘れてしまったが、足で蹴りながら進むそりのようなもの。このインストラクターの人は、子供の頃、3km離れた学校に通うのに、冬はこれを使っていたらしい。

 

この日はクリスマスイブということで、豪勢な食事が出た。フィンランドでは、クリスマス関連では、24日が一番のメインイベント。サンタ(中身は宿のスタッフ)もやってきた。トナカイと触れ合った日にトナカイ肉を食べた。


ラップランド1

2009-12-23 | フィンランドぶらり旅
クリスマスを挟んで4泊5日(うち2泊は夜行列車内)でラップランド旅行に出かけてきた。



滞在したのは、ロヴァニエミの南西約60kmにあるテルヴォラ(Tervola)という田舎町。ヘルシンキからは、列車でちょうど12時間くらい。
宿はそこの駅からさらに車を30分ほど走らせたところ。最寄りのスーパー、飲食店までは10km以上離れていると言う。おかげで、サービス(食事、サウナなど)の物価がやたらと高かったが、宿の人は皆、すごく良い人たちだった。
そして、彼らが色々なアクティビティのプランを提供しているので、それらを楽しんできた。

まずは、スノーモービル。
運転の方法はかなり単純で、すぐに慣れた。自分はバイクを運転しないが、バイクの楽しさとは、こんな感じなのでしょうか。
初めは移動のため車道を走り、その後しばらく森の中をうろうろ。

  

山小屋にて休憩。ここからは、オーロラがよく見えるらしい。



そこからの風景。フィンランド、冬の大自然。地球は広い。うむ。
ちなみに、これは昼の1時頃、つまりその日でも一番明るい時間帯だけど、これでも、想像していたよりはだいぶ明るかった。この薄明かりが、幻想的な印象を演出しているとも言える。ラップランドでも、もっと北に行けば、この時期は極夜(白夜の反対)になる。

 

当たり前だけど、さすがにもの凄く寒かった。滞在中の最低気温は、-30℃近く。
まぁでも日中は-20℃前後で、それに、体を動かしていれば、寒いのはそれほど気にならない。専用の各種重装備も貸してもらえたので、助かった。手袋は分厚いのを二枚重ね。靴下は四枚も履いていた。

夜は、オーロラを見ようと、宿の近辺で、熱燗片手に夜中まで粘っていたが、ついぞ見られず終い。次の日もだめだった。この旅行で、これだけは心残り。まぁまたいつの日か。
代わりに、満天の星空、それに流れ星も時々見えた。さすがに、北極星が空高く見える。空気もきれい。そして、一切の人為的な音声からの解放。全く静か。


シベリウス音楽祭

2009-09-11 | フィンランドぶらり旅
ヘルシンキからはちょっとした小旅行になるけれど(バスで90分ほど)、ラハティという街でシベリウス音楽祭が開催中だ。日帰りで、念願のラハティ交響楽団のコンサートを聴きに行って来た。

開演時間まで、しばし初訪問のラハティを散策。

ラハティには本格的な競技用スキージャンプ台があり、国際レベルの大会もしばしば行われている。
ジャンプ台のてっぺんまで上れると聞いていたのだけど、夏季のみ開放ということで、残念、それでも途中、半分くらいまで上ることができた。クオピオでもジャンプ台を拝んだけど、やっぱり、こんなところから飛び出そうという人の気は知れない。
隣接するスキー博物館は、なかなか興味深い展示内容だった。スキーの歴史など。

  

美しい湖畔にて一服。このシルエット、まさに東山魁夷的世界。



ラハティ交響楽団、その本拠地シベリウスホールは、フィンランド随一のオーケストラ、コンサートホールとの呼び声も高い。

Lahti Symphony Orchestra - Jukka-Pekka Saraste, conductor

Sibelius:
The Dryad
Violin Concerto - Henning Kraggerud, violin
Symphony No. 3

いずれの曲も、これぞシベリウスの決定版、という大変に素晴らしい演奏。フィンランド的な清涼感、あるいは陰鬱の表現。それに、音の処理のしかたが何とも形容し難く美しい。そのまま湖にすっととけていくかのよう。
交響曲3番は、シベリウスのシンフォニーの中でも、個人的に好みの音楽だ。基本的に聴きやすく、明るい曲調だけれど、それは底抜けの明るさ、ましてベートーヴェン的な歓喜とは全く類を異にする。それは、時に厳然と立ちはだかる北欧の大自然と、融和、共存することの喜びであるように思う。そうしたイメージを、今日の演奏でも見せられた気がして、そのことが何よりの満足だった。もはや、シベリウスは、自分にとってクラシック音楽の巨匠たちのone of themから、一歩飛び出した存在と言える。

  

アイノラ

2009-09-10 | フィンランドぶらり旅
ヘルシンキから電車で30分。都市の喧噪を離れ、ヤルヴェンパーという村に、シベリウスが晩年を過ごした家がある。自宅の愛称アイノラは、奥さんの名前アイノから。

晩年、と言っても、シベリウスは91歳まで長生きしており、ここに家族とともに50年以上も暮らしたが、最後の30年間は全く作品を発表しなかった(ヤルヴェンパーの沈黙)。この動機については謎めいたところもあり、もうそれまでの内容に満足して作曲活動をやめてしまったという説から、逆に自己批判精神の高まりから手がけるもの全てをボツにしてしまったという説まであるそうだ。

四百ヘクタールもあるという敷地のほとんどは白樺やモミの木からなる林で、彼はこうした自然の中に佇み、そこからのインスピレーション、つまり木々のざわめき、湖のゆらめきといったようなものを、芸術作品としての音に変えていった。いま同じ場所に立ち、静寂の中で、偉大な作曲家の瞑想に少しでも思いを重ねてみようとする。

 

この土地を大変に気に入っていたシベリウスの遺言により、ここにお墓が作られた。


タリン

2009-09-01 | フィンランドぶらり旅
ヘルシンキに滞在中の指導教官、研究室の後輩と三人でエストニアの首都タリンまで一泊二日の旅。

自分にとってタリンは二回目だけれど、前回は冬だったので、だいぶ風景の印象も違った。薄暗いバルト海に面して哀愁を誘う冬の旧市街もいいけれど、生き生きと色づく夏もやっぱり素敵だ。
城壁で囲まれた旧市街は、中世ヨーロッパの趣を残し、ユネスコの世界遺産にも指定されている。比較的歴史の浅いヘルシンキでは味わえない類の街歩きの楽しさがある。

 

ヘルシンキからタリンは、直線距離にして約100km程度。船で二時間ほどで気軽に訪れることができて、実際、前回は日帰り旅行だった。
一昔前は、フィンランドとエストニアの物価は数倍も違いがあり、しばしばフィンランド人はタリンに出かけてはお酒や食糧などを買い込んだと言うが、さすがにここ数年でだいぶその差は縮まったようだ。スーパーなどを覗いても、まぁたしかにフィンランドよりは多少安いかな、という程度(もっともこれは観光客向けの値札かもしれない)。
旧ソ連の解体以降、エストニアは急速に西側諸国に近づき、2004年には、EU, NATOにも加盟している。ロシアとの関係は大丈夫なのかといらぬ心配をしたくもなるけれど(なにしろフィンランドはロシアの影響もあり、未だにNATO加盟に踏み切れない現状がある)、まぁ少なくとも表向きは、それなりに色々と恩恵も受けて、政治経済その他うまく回っているようだ。次世代を支える柱となるべき産業が十分に育っていないのが不安要素でもあるとは耳にしたけど。

エストニアの歴史は、フィンランドのそれと類似性があるように思う。つまり、中世以来、周辺の大国の支配を受けながら、20世紀になってからロシア革命の混乱に乗じてやっと独立できた、という点だ。特にエストニアに影響を及ぼしたのは、デンマーク、ドイツ、ポーランド、スウェーデン、そしてロシア。数百年にわたり、大国間の利害が複雑に衝突し合う場だった。タリンとは、エストニア語で「デンマークの街」という意味らしい。
しかし、第二次大戦でどうにか独立を維持したフィンランドと違い、エストニアは間もなく再び旧ソ連の体制に取り込まれてしまう(日本人には理解されにくいかもしれないけれど、フィンランドは、紙一重のところで旧ソ連に取り込まれていたかもしれないのだ)。次に独立したのが1991年。そう考えると、この国の自由の歴史というのは、非常に浅い。
ロシア正教の教会が観光名所となっているし、マトリョーシカはどの土産店でも見かける。でもこういうのは、エストニア人としてはどういう感覚として捉えられるのだろう。

ちなみに、エストニア語は、フィンランド語にとてもよく似ている。前回は気付くはずもなかったけれど、街の標識、レストランでのメニューなんかを眺めていると、よく分かる。フィンランド人は、特にエストニア語を勉強しなくとも、エストニア人の言うことの何割かは理解できるらしい。

  

マニアックなことにエストニアを一週間かけて旅行しているという、これまた別の研究室の後輩と合流し、夕食。ここにも小VALDES誕生。こういう機会に、色々と皆でゆっくりお話ができたのは、とてもよかった。

トゥルク

2009-08-12 | フィンランドぶらり旅
一泊二日でトゥルクに行って来た。

トゥルクは、人口規模でヘルシンキ首都圏、タンペレに次ぐ、フィンランド第三の都市。と言っても、20万人未満。
スウェーデン統治時代の首都で、地理的にもフィンランドの南西部に位置する。比較的歴史の浅いヘルシンキと違って、ところどころにかなり古そうな中世の趣を残す建物も残っている。



町のシンボル、トゥルク大聖堂。ルーツは13世紀にまで遡る。比較すれば出来立てほやほや、純白のヘルシンキの大聖堂とはだいぶ異なる印象、歴史を感じる。と言っても、何度か火災の被害に遭い、現在見られるものの多くは実はそれほど古いものでもないらしい。

 

シベリウス博物館。
音楽の着想から完成まで、彼がどのように構想を練り上げ収束させていったのか、実際のスケッチなどをもとに解説がなされていたり、色々と興味深い。フィンランドの自然、つまり森や湖、そこに息づく動物や植物、風の流れ、空気感。そういうもの全部が、作曲の重要なインスピレーションを与えた、とある。今となっては、だいぶよく分かる気がする。フィンランドの民話「カレワラ」を西洋音楽の言葉に「翻訳」したのも、大きな功績。それにしても、若い頃と、年をとってからとでは、風貌がだいぶ違う。
シベリウスに関する展示の他、楽器の博物館としても充実。



トゥルク城は、これまた13世紀の建造で、当時のスウェーデン王国によるフィンランド統治のための、政治的、軍事的な意味合いでの拠点。一時期、スウェーデン王が居城としたこともあったらしい。
それにしても、ガイドの説明を受けたけれど、スウェーデン人の話はよく出て来るが、この時期にフィンランド人は何をしていたのかというのが、今ひとつよく見えてこない。もともとフィンランド人とは、あまり政治的な感性を持ち合わせていなかったのか、それともパワーゲームに破れて表面的に取りざたされないだけなのか。Wikipediaを見ても、フィンランド人の知り合いに聞いても、この頃の歴史については、正直あまりよく分からない。彼らのナショナリズムが刺激されるのは、自分の知る限りでは、ロシア時代の前後辺りから。まぁでも、これで興味を持ち、もうちょっと勉強してみようと思った。
お城のことを言えば、外観、内装とも、いかにもフィンランドらしいというか、素朴な印象。先々週に見たノイシュバンシュタインの対極。

 

この時期、トゥルク音楽祭が催されている。
幸運なことに、二ヶ月連続で、ゲルギエフ率いるマリインスキー劇場オーケストラの演奏を聴けることに。

Mariinsky Orchestra
Valery Gergiev

Shtshedrin: Symphonic Diptych
Sibelius: Sinfonia VI
Tshaikovski: Sinfonia V

シベリウスのシンフォニーは、もはや完全にロシア風…何とも情熱的で歯切れの良い演奏だった。これがシベリウス…?て思った人、たぶんたくさんいた。
一転、チャイコフスキーの交響曲5番は、まさに本領発揮。ヤバい!という一言で敢えて片付けてみたい。恐れ入りました。一楽章の冒頭からして、ロシアを見た思い。



素敵過ぎる演奏会だった。お腹いっぱい。
圧倒的なパワーと情熱を目の当たりにして、無性に肉が食べたくなり、留学生活始まって以来初めて、ステーキと呼ばれるものを食べに行った。
そして、無性にオーケストラで弾きたくなった。

それにしても、こういう演奏を見せられると、ある種、日本人の限界のようなものを感じずにはいられない。どうあがいても、ロシア人にしかできない音楽という領域がある。肉をたくさん食べれば、少しは近づけるかしら。


ホテルにて。サウナに行くと、フィンランド人の男の子(自称5歳)と一緒になった。発生するLöylyに対する彼のリアクションは、まるで日本の中年サラリーマンが仕事終わりの一杯に出会ったときのそれだ。はぁぁぁ~~。幸せを絞り出すかのようにゆっくりため息をもらす。
こういうことを当たり前のように経験しながら育つんだな、と思った。

親切

2009-07-07 | フィンランドぶらり旅
バスでヘルシンキへ帰還。フィンランドは、長距離バスでの旅がしやすい国だと思う。

そして、帰宅したら、またもや共有キッチンのゴミがゴミ箱からあふれて虫がわいていた。
こんなにだらしない人たちと、もう住めない。いい加減にキレた。引越しを検討中。


ところで、今回のぶらり旅で、人々の親切にあちこちでお世話になり、これもまた、やっぱりフィンランドっていいところだなぁ、と再認識するに至る契機となった。

その中でも、旅の初日、ミッケリにてちょっとしたトラブルを抱えたところを親身に助けてくれたおばちゃん、それからクオピオ行き列車の車掌さんは忘れられない。
このエピソードを記しておきます。



3日のこと。お昼過ぎにミッケリの駅舎のコインロッカーに荷物を預けて、観光に出かけた。
20時発のクオピオ行き列車に乗るために、その少し前にしばしの観光から戻ると、あろうことか、駅舎が閉まっており、荷物が回収不可能という事態に追い込まれてしまった。たしかに19時終業だと入口に書いてあるのを今更見つけたけれど、そんなに早く閉まろうとは夢にも思っていなかった。これがフィンランドか…
ほとんどの荷物はロッカーの中だし、パソコンや携帯など結構大事なものも入れてある。それに列車のチケットも。そして、すでに無人駅と化していたここでは、頼れそうな人もいない。近くの観光案内所もすでに店じまいしている。大ピンチ。

さて、どうしたものか。
まぁ最悪、ミッケリに宿を見つけて一泊し、明朝荷物を回収して、列車の券を買い直せばいいかとも考える。財布だけは手元にあるし(言い換えれば、それ意外のほとんどはロッカーの中)。ただ、当然ながら金銭的、時間的には結構な損失になる。

そうしていたら、たぶんあからさまに困った雰囲気を醸し出していたんだろうけど(閉まっていると分かっているのに何度もドアをノックしたりしていたし)、とあるおばちゃんに声をかけられ、事情を説明(英語ができる人だった)。すると、ありがたいことに、そして実に頼もしいことに、私が何とかしてあげるわ、とおばちゃん。携帯を取り出し、何やらあちこちに電話をかけ始めた。様子からするとあまり良い返事ではないようだけど、鉄道会社の人なんかを相手に粘り強く話をしてくれているらしい。

そうこうしている内に、おいおい何やらヤパニライネン(日本人)が困っているらしいぞ、という感じで(たぶん)、ちらほらと人が集まってきて、ちょっとしたひと騒動になってきてしまった。話の内容は全く分からないけど、雰囲気からして、何とか解決策はないものかと議論してくれているようだった。
元はと言えば自分の不注意なのに、なんだか申し訳ないような気にさえなってくる。

ついに件の列車がやってきてしまった。
そうすると、最初のおばちゃんが、両手を大きく振って、車掌さ~ん、待って待って~!と(たぶん)、大声でその列車に乗っていた車掌さんを呼びに行ってくれた。

車掌さんを連れてきてくれたおばちゃんは、どうやら用事があるそうで、もう行かなきゃいけないのだそう。最後まで世話できずに申し訳ない、という意味のお詫びと、こんなところだけれどフィンランドのこと嫌いにならないでね、という言葉を残して行ってしまった。
感謝のあまり涙が出そう。連絡先を聞いてお礼の手紙でも出したかったけど、ばたばたしていたし、おばちゃんも急いでいたようだったので、簡単な礼を述べるのでいっぱいだった。

その間、先ほど周りにいた人たちが、車掌さんに事情を説明してくれているようだった。なんとかしてやんなよ、車掌さん!と言ってくれている(たぶん)。
この一件のせいで、発車時刻をオーバーして列車を止めてしまっているようだった。すっかり問題児。

いかにも真面目そうな感じの車掌さんは、さすがにちょっと弱ったようだったが、とにかく、列車に乗るようにと促す。
協力して下さった方々にもお礼を言いつつ、半ばわけの分からないまま乗り込むと、列車がゆっくり動き出した。車掌さんが言うには、明日の朝一番の列車に荷物を乗せて送るので、駅まで取りに来い、ということだった。
もうありがたいのと、申し訳ないのとでいっぱい。

で、この話にはまだ続きがあって。

翌日、指定された列車の到着を、クオピオの駅のプラットホームで待っていた。
すると、荷物を持って来てくれたのは、なんとその車掌さんだった。しかも、今日は制服じゃない。聞くと、今日はちょうど休みだったから届けにきたよ、と笑顔でさらっと言う。再び、感謝のあまり涙が出そう。
何度もお礼を言い、それからそもそもの自分の不注意を詫びた。それなのに彼は、いやいや、駅舎が閉まるのが早くてごめんね、と言うだけだった。


フィンランドの人は、本当に親切です。
普段お世話になっている周りの人もそうだけど、何か物事を頼むと、必ずお願いした以上のことをしてくれる。

サヴォンリンナ2

2009-07-06 | フィンランドぶらり旅
サヴォンリンナで宿泊したホステルは、コストパフォーマンス最高。一泊20ユーロ台だけど、一人部屋、朝食付き、ベッドメイキングまでしてくれる。ホテルとそう変わらない。

そして、何よりも嬉しい誤算だったのが、親会社のホテルご自慢のプール、スパ、サウナが無料で利用できるという。ありがたや。どうせ街に出てもすることもないので、午後はずっとここで遊んでいた。しかも、水着も1ユーロで貸してくれた。
実は、プールは何年ぶりかだったんだけど、体が泳ぎ方を覚えていた。よかった。

サウナは一時間以上、というのがすっかりデフォルトになってしまった(もちろん、出たり入ったりで)。そして、熱した石に水をかけるプロセス(これ専門用語で何て言うのかな)は、欠かせない。あの熱い蒸気がむわっとくる瞬間、きたきたきた…!ていう感じがね、たまんない。日本のサウナでこれをできるところは見たことがないのだけど、探せばあるのかしら。
フィンランド語で100まで数えたら外に出よう、というルールを決めて実行していたら、だんだん意識が朦朧としてきて、数えるスピードも遅くなり、さらにふらふらと。かなりのぼせてしまった。

缶ビールを飲み干して一服。オペラ鑑賞の準備万端。

サヴォンリンナ・オペラフェスティバルは、フィンランドの代表的な音楽イベントの一つ。毎年夏に、この街の古城を舞台に、数々のオペラが上演される。

  

 

本日の演目、プッチーニの「トゥーランドット」。
トゥーランドット姫と結ばれるには、姫の出す三つの謎掛けに答えなくてはならないのだが、答えられなければ処刑される。つまり、この姫は、実は誰とも結婚したくない。ところが、ここにある男がやってきて、これらの謎を全て解いてしまう。その後、色々と紆余曲折を経て、冷徹な姫が愛に目覚めるという話。かなりぶっ飛んだストーリー(まぁオペラの粗筋なんてだいたいそんなものか)。



屋外ということもあって、時々カモメの鳴き声が入るけど、鑑賞に没頭すると気にならなくなった。舞台面積が広くて、色々と演出も凝っていて視覚的にも面白い。

そして、これはもう、激しく感動した。
で、やはりそのピークは、超有名なアリア「誰も寝てはならぬ」のところ。もっとも、はなから半分くらいはこれが目当てだったし。彼のその音声という物理的な振動が、そのまま否応なしに心を震わすかのようだった。ブラボー。

世界一の名曲であるような気さえしてきた。これより後、鼻歌がずっとこの曲。

参考資料1(パバロッティ)
参考資料2(荒川静香)

サヴォンリンナ

2009-07-05 | フィンランドぶらり旅
バスでサヴォンリンナへやってきた。
ちなみに、クオピオからサヴォンリンナへは、湖を伝ってフェリーでも行けるみたい。結構な高額だし、時間がかかるけど、景色は最高かもしれない。

サヴォンリンナは、フィンランドでも有数のリゾート地だそうで、さすがに娯楽も(フィンランドにしては)充実しているし、景観も美しい。

フィンランドでは、どこの街にもトリ(tori)と呼ばれるマーケット広場がある。賑わうのは基本的に夏期のみだけど、その土地の工芸品から食べ物まで、色んなお店が出ているので、ふらふらとのぞいてみるだけでも、結構楽しい。
この地方の名物らしいLörtsy(どう発音するんだ)とかいう、でかいアップルパイを食べた。毎日食べたら、糖尿まっしぐら。

 

遊覧船に乗船。一時間ほどかけてゆったりと。お天気で何より。
サヴォンリンナ随一の見所のこのお城、オラヴィリンナは、明日のオペラフェスティバルの会場。もともとは、スウェーデンがロシアに対しての防衛上の目的で建てられたものらしい。そういや、ロシア国境にだいぶ近いからか、町中でもロシア語の案内を結構見かける。

 

まぁしかし。フィンランドの観光なんてどこでもそうかもしれないけど、ゆっくりすることくらいしか、することがない。
観光案内所でもらった、サヴォンリンナですること50、というパンフレットは、上記のお城以外、ほとんど食べ物の紹介だった。または、車があれば、もうちょっと選択肢も広がるかもしれない。

  

ホステルの、ホテルと比べて良いところ。宿の人がフレンドリー。暇なのかもしれないけど、雑談もしやすい。観光をしていてよく分からなかったところなども、気軽に尋ねることができる。そして、今回の宿の受付にいた若者は、マニアックなことに趣味で日本語を勉強しているということだった。

この「夕焼け」は、夜の12時。完全な白夜ではないけど、さすがにヘルシンキよりもだいぶ明るい。



夜中の散歩で、林を抜けると、急に視界が開けてこの景色が広がった。
静かな感動だった。聞こえるのは、水と風の音だけだ。
フィンランドに来て、ちょうど3ヶ月。探し求めていた風景が一つ見つかった、そんな瞬間だった。

クオピオ

2009-07-04 | フィンランドぶらり旅
クオピオで泊まったところは、小学校の空き教室を利用した宿だった。がらんとした教室で夜を過ごすという(しかも幸運なことにたまたま一人だった)、これまでにない体験。

午前中は、街の中をふらふら。
ヘルシンキよりはだいぶ北に来たからか。あろうことか、避暑を通り越して、寒い。曇り空というお天気のせいもあるかもしれない。七月とも言うのに、なんとマフラーしている人もいる。持って行くか迷った上着を持ってきて正解。
宿の人いわく、今日はさすがにこの街にしても寒いけれども、こういう風に夏でも一時的に冷え込むことがあること自体はむしろ典型的、だそう。

クオピオ博物館というところをのぞいてみた。ここの趣旨は、クオピオやフィンランドの自然史と文化史の紹介、といったところ。田舎の博物館と思ってあなどっていたが(特に、先週大英博物館を見たばかりだし)、意外に見せた。
特に、実物大と言うマンモスの標本は圧巻。照明や音楽を使った演出もなかなか凝っていて、星の輝く冬の夜、雪の積もる森の中でマンモスに遭遇するというシチュエーション。マンモスはフィンランドにも生息していたそうだけど、1万年ほど前に「暖かくなり過ぎて」絶滅してしまったというのが有力説とのこと。

 

午後、高台にあるプイヨ展望台を目指した。地図にすると中心街から直線距離にして2kmほどなんだけど、傾斜が結構きつく、ちょっとした登山だった。

さて、ここからの眺めは、もともとクオピオでも第一の見所と言われるけれど、個人的にここを訪れようと思った理由がもう一つ。
それが、東山魁夷の「白夜光」という作品。1960年代に北欧諸国を旅していた彼は、クオピオにも滞在し、そしてこの展望台からのスケッチをベースにしてこの絵を描いたそうだ。去年、東京でこの作品の実物を拝み、「フィンランドファン」であることを抜きにしても、大変に感銘を受けた。
その景色、見つけられるかな。

わざわざプリントアウトしてきた「白夜光」(左)を片手に、展望台に上って360度景色を見回してみたけれど、残念ながらというか、寸分違わず全くそれと同じという風景はなかった。けれど、それっぽいのなら(右)。きっと氏は、スケッチをもとに、より味を出すために手を加えたんじゃなかろうか。うん、そういうことにしておこう。時間帯が違うから、色彩感はだいぶ違う。それと、展望台周辺の開発の具合も、たぶん昔はこれほどではなかっただろう。
でも、そういうあれこれを抜きにしても、この景色は掛け値なしに素晴らしい。それこそ一つの絵画に納めたくなるような、そんなインスピレーションも授からずにいられないというものだった。

 

ところで、この展望台には回転レストランがあり、そこで昼食とした。
メニューを眺めながらどれにしようかと考えていたところ、ザリガニのパスタなるものを発見し、迷わずこれに決定。フィンランドに限らず北欧では夏にザリガニを食す文化があることは知っていたけど、実際にお目にかかったのは初めて。大変おいしくいただきました。雰囲気としては、極小のロブスター、という感じかな。



クオピオ、プイヨ、と聞いて反応する人は、結構なスキーファンかもしれない。ここには大きなスキージャンプ台があり、国際レベルの大会もしばしば行われる。
本格的なジャンプ台を見るのが初めてなのですっかり興奮し、上ってみた(左から三つ目の小さいやつだけ開放されていた)。月並みな感想だけど、こんなところから勢いよく飛び出そうとする人の気が知れない。スキーのジャンプは、たしかもともとは処刑の方法が起源だったのではなかったか。それもうなずける。しかし、これは下から見守る観客からすれば、美しく飛距離のあるジャンプというのは、鳥肌が立つほどに感動するのではないだろうか。
ちなみに、ジャンプ台の向こうに見えるタワーが先ほどの展望台。

 

ミッケリ

2009-07-03 | フィンランドぶらり旅
今週末を挟んで、フィンランドの南東部、湖水地方とかカレリア地方などと呼ばれるところを周遊する旅に出ることにした。
まさに森と湖。もっともフィンランドらしい風景の見られる地域とも言われる。

フィンランドに湖が多いのはよく知られることだけど、実はそれらの多くは、巨視的に見ると、同じような方角を向いている。つまり、ものすごく大まかに言って、北西から南東にかけて、まるでフィンランドの国土が巨大なツメで引っ掻かれたかのように、湖が点在する。これは、はるか昔の氷河の浸食作用によるものだそう。詳しい事はよく分からないけど。
ついでに、今回の旅で訪れる3つの街を記載。いずれも、人口10万人に満たない地方都市、というか町。



本日は、まずヘルシンキより、ミッケリという街までバスで移動。約3時間半ほど。

の予定が、途中でなんとバスのタイヤがパンクするというハプニングがあり、代わりのバスが来るまで、40分ほど足止め。
走行中に突如ものすごい揺れに襲われたので一時騒然となったものの、運転手が原因を説明すると、乗客は皆安堵のあまり?手を叩いて笑っている。なんだぁ、あっはっはー。
待ち時間も、お弁当をほおばる人や、外に出て芝生に体育座りをしながら湖をまったり眺めている人や。何とまぁおおらかな人たちなんだろうか、と図らずもこのハプニングにフィンランドらしさを見た思い。日本だったら、腕時計をコツコツと叩きながら、おいおい全くどうしてくれるんだい、などと文句を言い出す輩の一人や二人、出てきそうなものだ。


そんなこんなで、ミッケリに到着。観光案内所の人が親切に色々と見所や散歩コースを教えてくれたので、その通りに小一時間ふらふら。
この街は、規模としてはさほど大きくはないが、第二次大戦中(フィンランドを舞台にした戦闘は特に冬戦争、継続戦争と呼ばれる)に軍の司令部が置かれていたそうだ。マンネルヘイム将軍(日本での知名度は高くないが、フィンランドでは多くの人が国家の歴史上最も偉大な人物と答える)の大きな銅像もある。いくつか関連施設の跡が残っているようだった。

同じく湖畔に位置するユヴァスキュラ(以前に訪れた唯一の地方都市)とかなり似たような雰囲気だと思ったけれど、フィンランドの地方都市て、どこもこんな感じなのかもしれない。そして、こんなに平和なところがあっていいんだろうかというくらいに平和だ。

 

 

ミッケリは、ちょうど音楽祭のシーズンを迎える。毎年この時期、ゲルギエフ率いるマリインスキー劇場のオーケストラが、サンクトペテルブルクよりやってきて公演を行うそうだ。そのコンサートを聴きに行った。



Valery Gergiev / Mariinsky Theatre Brass Ensemble and Orchestra
Alexander Toradze, piano

Messiaen: L'Ascension
Stravinsky: Capriccio for piano and orchestra
Shostakovich: Piano Concerto No. 2 in F major, op. 102
Mussorgsky: Pictures from an exhibition, arranged for Brass Ensemble

これがやはり、指揮者の力量ということなんだろうか。オーケストラってこんなことができるのかと、ちょっと目覚めさせられるものがあった。特に、何と言うのだろう、ハーモニーへの色彩感の与え方、とでも言うのか。うーむ、表現がしょぼいので無理に言葉にするのもやめよう。しかし、音の色と書いて音色、とはよく言ったものだと思った。
そして、圧倒的な音量、それでいて失われることのないアンサンブルの精緻さ。このあたりは、さすがロシアを代表するオーケストラと言うべきか。すごい。
ただ、正直、曲の好みとしてはちょっと微妙。特に前半のメシアン、ストラビンスキーあたりはかなり難解だった。けど、そんな曲だからこそ上記の感想を導く演奏が聞けた、とも言えるかもしれない。
メインのお馴染み「展覧会の絵」のみ、金管アンサンブル(15重奏くらい)での演奏。お腹いっぱい。総じて大満足。


夜の列車でクオピオに移動。