海賊日記

子育てと趣味の日記

月命日

2011年08月22日 22時28分41秒 | Weblog
今日はモコの三回目のワクチン接種に行って来ました。これでやっとシャンプーしたり外を散歩したり出来るそうです。
母が退屈しのぎに、モコに変な事して遊んでるようで。
「待て」を早々に覚えたモコですが、その待ってる姿が実に可愛く。
何度もやってるうちに・・・「よし!」でなくて「よしこ!」とか「よしだ!」とか言うと、一瞬「びくっ」となるけどちゃんと聞きわける事に気がついたそうで(笑)
頭いいんだな~~

20日は父の月命日でした。毎日のように行ってるので今更なんですが、その日は家族みんなで行ってお祈りしてきました。今日は仏壇も届きました。

あの日が一か月前だなんて信じられない。もっとずーーーーっと遠くのように感じます。
入院してた時期が長かったので、母もあたしも子どもたちも、また病院に行けばいるような気がする、と。
いなくなったとは思えない・・もしかしたらずっと思えないのかもしれないですね。逢えないけど、どっかにいるような感じがする。
それは位牌やお墓や仏壇の中ではなくて、「逢えないけど、どっか」な場所。

花を添えても、お線香をあげても、父が喜んでくれるとはいまだに思えないのだけど、「どこかにいる」その感じが救いになってる気がします。


今週末にはちょっと早いけど49日の法要があります。
残された母のサポートで忙しく、ゆっくり父のことを思い出す時間がない今ですが、その日は少し浸れるかな。
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五年ぶりの家族旅行

2011年08月19日 22時08分04秒 | Weblog
息子達が中学で野球をやるようになってから、家族旅行にはめっきり行けなくなって。
だってたまにしかない部活の休みを、更に2人分揃えようなんて全然無理で(><)
部活を休む、ってのは「無理」って一蹴されるしで・・・最後に家族で泊を伴う旅行をしたのは、確か長男が中2の冬、北海道に行ったのが最後・・・今娘がその中2であることを考えると、五年ぶりにもなるんですね;

長男の野球がなんちゃってになったので今年のネックは次男。
休みが急に入りそうな感じだったので、毎日ネットで宿泊先の予約状況をチェックして、行けそうな辺りを予約したのが16日の夜(笑)
県内なんですが、涼しそうだし(富士山の裾野で)お料理も美味しそうだったんで(生ビール飲み放題v)温泉もついてるし、安かったしでv
18日は午前中それぞれ仕事や部活やバイトの面接なんかがあったんで、夕方3時半に出発。でも5時には着いたよ(笑)

一度行ってみたかった場所なんだけど、宿泊施設が色々あって、普通のホテルもあれば、ロッジやヴィラもあって・・・その中で取れたのがロッジ。
洋室和室キッチンの2DK、勿論ユニットバス付き。そういうの初めて泊まったけど、広々しててホテルより周りの音が気にならないし、とっても良かったですv家族で行くならちょーお勧め。

食事も美味しかったし、温泉も気持ち良くて時間一杯のんびりしました。
帰りながら割と有名な駒門/風穴(洞窟好きv)に寄ったんですが、鍾乳洞とはまた違って実にサバイバルな気分にさせてくれました。めっちゃ涼しかったし。ここもお勧めです。

後はキリンのウイスキー工場の見学・・試飲目当てで。樽出しのはやっぱ美味しかったv
その後数日前に友人も寄ったという滝に行ったんですが、着く頃には土砂降りで;;
目の前にしながら寄れませんでした・・;;
でもそこまでの道のりが、富士山の裾野らしい何もない草原の中の道で、旦那は喜んでました。日頃の鬱も多少(多少・・)すっきりしたvそうです。良かった良かった。

久し振りの家族旅行、子どもたちは5年前と少しも変わらず相変わらずベタベタくっついて楽しそうにじゃれてました。それをみて親のあたしたちも嬉しい気分になれました。強行軍だったけど行けて本当に良かった。

相変わらず不安定な気持ちではいますが、時々子ども絡みで悲しい出来事にも遭ったりしてますが(;;)でも何とか夏休みを乗り切れば、何とかなっていくんじゃないかと、毎日踏ん張っているところです。

早く一人の時間が持てて、ゆっくり自分を落ちつけたいです。

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癒し

2011年08月11日 22時17分53秒 | Weblog
心が不安定になる度に、仕事しててほんとに良かったな、と思います。
どうしようもないこと考える間もなく体を動かして働く事、元気で明るい仲間とバカ言いながら協力しあう事。
父の事は随分前から折々話していたし、色々力も知恵も貸して貰っていたのもあって、心おきなく弱音を吐けるのもいいです。お陰で昼間はだいぶ頑張れるようになってきました。
でも夜になると色々考えてしまうので寝酒が欠かせなくなってしまった・・・何とかしなきゃ//

一人になってしまった母が今は一番の気掛かりなんですが、全くの一人ではあまりにも可哀想なので、前から考えていた犬を飼う事になりました。
ペットショップに見に行って一目惚れしたらしいんですが、生後二カ月のトイプードル♪

世話も掛るし、もう少し落ち着いてからでも・・と思ってたのですが、見た翌日には妹と一緒に買って来てました(><)
・・・・物凄く可愛いです・・・・///
もこもこしてるので『モコ』と命名。最初は「くりくりしてるから『くりちゃん』」だったんですが、ちょっとそれは秋の果物をあまりに連想させるので大多数が却下(笑)
頭も大変良いです。あっという間に「伏せ」と「待て」を覚えました。トイレも大体失敗しなくなりました。まだ二カ月なのに//

子どもたちも姪っ子、妹も、モコに会いたくて溜まりません。みんなが寄りつきやすくなって、そういう意味でも良かったと思います。


さて、自動二輪免許も取得してバイクで大学通うようになった長男。所要時間も約40弱、乗り換えの面倒もなく大変お気に入りのようです。
で、もう夏休みなのですが、今日はバイクを旦那が使いたい(駐車場のない研修会場に行くから)ということで、学校にレポート出しに行くのにあたしの車を貸してくれ、というので付いて行きました(笑)初めてですよ、大学入るの・・・

長男の運転で、あたしと娘が同乗。
守衛さんに訳を言って(車での通学は禁止されてる)許可証を貰い、中へ進む。

・・・・広い・・・・・どんだけ広いんだ!!こんな建物他ではお目に書かれないんで表現しづらいんですが・・とにかく果てしなく学校なんです(?)全国で三番目だそうです、広さ。
長男が棟の中も色々案内してくれましたが・・・ボロい!!!ボロすぎる!!華麗なキャンパスライフとかありえない古さです。
県内で一番最初に出来た高校が三校あるんですが、その内の一校があたしの母校、もう一校が長男の母校(笑)校舎の古さには慣れてるんですが・・・それ上のボロさ(くどい)でした。
これオープンキャンパスとかで見たら、受験する気が萎えるんじゃないかと真面目に思いましたよ・・もうちょっと教育費にお金掛けてあげて欲しいわ。



ジャンプ合併号なんですね・・・ワンピ面白くなってきたところなのに残念。
ルフィったらまた美人の心鷲掴みにしちゃって//

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その人

2011年08月07日 22時47分44秒 | Weblog
父は、母とはよく喧嘩していましたが、子どもにはとても優しい人でした。
子どもの頃、怖がりのあたしは、雷が鳴った、暗闇が怖い、お化けが出そう、と不安を感じるといつも父の手を握っていました。そうすると落ち着くんです。母とはスキンシップの思い出がないのですが、父にはよくこうして触れていました。
・・そういえば、父が最後の戦いをしてる間も、終えて安らかになっている時も、暇があれば父の布団の中に手を入れて腕に触れていました。小さな頃の記憶が無意識にそうさせてたのでしょうか・・。


人付き合いが上手くなく、対外的なことでは母も苦労していたようでしたが、子どものあたしたちにはそんなことは預かり知らず。
父に真剣に叱られたことなど、あたしたち兄弟は思えがないです。やって欲しいことは何でもやってくれた。遊ぶ事に否定的な母(人の漫画とか平気で捨てる・バラエティ番組をバカにする)とは対照的に、何でもやりたいようにやらせてくれた。
転勤続きの苦労の多い中で、経済的にも豊かではなかったけど、父のそういう「許容」の姿勢が、あたしたちを不足の感情に落とさなかったのではないかと今は思います。

最後の日々を過ごす中で、父から貰っていたもう一つの事に気付きました。
祖父の苦しむ姿に、一生懸命語りかけボロボロと涙を流す子ども達。 
葬儀の日、孫代表で長男が弔辞を言いました。

「会いに行く度にとても喜んでくれた。祖父に愛されていたことは、僕たちはよく分かっていました。
ジージ、大丈夫だよ、僕たち頑張るからね」
話し始めから泣きながら、長男はそう父に語りかけていました。

無償の愛を与える事で、父は孫たちの心を育ててくれていたんですね。



物を作るのが得意で、大きな棚から、小さなどんぐりを使った動物作りまで。細部までこだわって工夫して、キレイに仕上げます。
書道と詩吟は師範の免許を持っています。コツコツと努力の出来る人です。その才能を受け継ぎたかった。


病を患ってから7年。余命2年と宣告されてから今まで、あたしには想像付かないほど不安で苦痛で一杯だったでしょう。でも我慢強く、弱音を吐く事はあまりなかった。
だから、気付かなかった。それが、今の一番の後悔です。もっと、気持ちを聞いてあげれば良かった。娘だから出来たことがあったと思うんです。
父にされた分の半分でも、優しくしてあげれば良かった。
最後の一か月、折角傍にいたのに、もう少し何か出来たんじゃないか。どうして最後の日、家に帰ったりしたのか。
沢山の後悔があります。

あたしは記憶力が悪いので、忘れたくない事は記録するに限る、と長々日記に綴ってきました。読めば、その時が薄らと蘇ります。

父が「さっちゃん」とあたしを呼ぶ声はこうして残せない。
どうか、いつまでも忘れないでいられますように。

まだ写真に呼び掛けるしかないことに馴れないけど、いつかそこに父を感じられるようになったら、一歩前に進めるのではないかと思っています。



来週の火曜日で、37日(みなのか)(三週間目)です。
一人になった母が心配で毎日のように実家に行っていますが、兄弟三人揃うのは久しぶり。
おっさんのお経を聞きながら、一杯祈りたいと思います。

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