海賊日記

子育てと趣味の日記

その人

2011年08月07日 22時47分44秒 | Weblog
父は、母とはよく喧嘩していましたが、子どもにはとても優しい人でした。
子どもの頃、怖がりのあたしは、雷が鳴った、暗闇が怖い、お化けが出そう、と不安を感じるといつも父の手を握っていました。そうすると落ち着くんです。母とはスキンシップの思い出がないのですが、父にはよくこうして触れていました。
・・そういえば、父が最後の戦いをしてる間も、終えて安らかになっている時も、暇があれば父の布団の中に手を入れて腕に触れていました。小さな頃の記憶が無意識にそうさせてたのでしょうか・・。


人付き合いが上手くなく、対外的なことでは母も苦労していたようでしたが、子どものあたしたちにはそんなことは預かり知らず。
父に真剣に叱られたことなど、あたしたち兄弟は思えがないです。やって欲しいことは何でもやってくれた。遊ぶ事に否定的な母(人の漫画とか平気で捨てる・バラエティ番組をバカにする)とは対照的に、何でもやりたいようにやらせてくれた。
転勤続きの苦労の多い中で、経済的にも豊かではなかったけど、父のそういう「許容」の姿勢が、あたしたちを不足の感情に落とさなかったのではないかと今は思います。

最後の日々を過ごす中で、父から貰っていたもう一つの事に気付きました。
祖父の苦しむ姿に、一生懸命語りかけボロボロと涙を流す子ども達。 
葬儀の日、孫代表で長男が弔辞を言いました。

「会いに行く度にとても喜んでくれた。祖父に愛されていたことは、僕たちはよく分かっていました。
ジージ、大丈夫だよ、僕たち頑張るからね」
話し始めから泣きながら、長男はそう父に語りかけていました。

無償の愛を与える事で、父は孫たちの心を育ててくれていたんですね。



物を作るのが得意で、大きな棚から、小さなどんぐりを使った動物作りまで。細部までこだわって工夫して、キレイに仕上げます。
書道と詩吟は師範の免許を持っています。コツコツと努力の出来る人です。その才能を受け継ぎたかった。


病を患ってから7年。余命2年と宣告されてから今まで、あたしには想像付かないほど不安で苦痛で一杯だったでしょう。でも我慢強く、弱音を吐く事はあまりなかった。
だから、気付かなかった。それが、今の一番の後悔です。もっと、気持ちを聞いてあげれば良かった。娘だから出来たことがあったと思うんです。
父にされた分の半分でも、優しくしてあげれば良かった。
最後の一か月、折角傍にいたのに、もう少し何か出来たんじゃないか。どうして最後の日、家に帰ったりしたのか。
沢山の後悔があります。

あたしは記憶力が悪いので、忘れたくない事は記録するに限る、と長々日記に綴ってきました。読めば、その時が薄らと蘇ります。

父が「さっちゃん」とあたしを呼ぶ声はこうして残せない。
どうか、いつまでも忘れないでいられますように。

まだ写真に呼び掛けるしかないことに馴れないけど、いつかそこに父を感じられるようになったら、一歩前に進めるのではないかと思っています。



来週の火曜日で、37日(みなのか)(三週間目)です。
一人になった母が心配で毎日のように実家に行っていますが、兄弟三人揃うのは久しぶり。
おっさんのお経を聞きながら、一杯祈りたいと思います。

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