海賊日記

子育てと趣味の日記

こたつ あつっ

2015年02月25日 23時54分06秒 | Weblog
のっそり出てきたと思ったら、この格好で熟睡。
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10年もいる理由

2015年02月19日 23時36分21秒 | Weblog
前回、幼稚園に心惹かれてるっぽく書きましたが。
昨日出勤したら同僚に肩を掴まれてゆっさゆっさ。「昨日休みだったじゃん~~大変だったんだよぉ~~」
え。火曜日は比較的ヒマな日のはず・・・「え~~ほんとに?」
「うっそ~~v」

高校生ですか(笑)(←4歳上)

他の同僚も「あ~~さっちだ~~おはよ~~v昨日寂しかったよ~~」(←5歳下)

やっぱ楽しい、この職場(笑)
仕事ってキャリアや収入だけじゃないよね。
やめられませんな~。

でも最初からこうだったんじゃないんだよ。
最初の三年くらいは嫌な人もいて、毎日辞めたいって思いながらも重い足を引き摺って通ったのだ。

この経験から子供たちには「石の上にも三年ってほんとだよ」って言ってる。
仕事が長続きしない人は、ここが堪えられなくて結果何度も転職することになってると思うよ。
嫌だと感じる人はやっぱり淘汰されて辞めて行く。
我慢した方が勝ちだよ。

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20年ぶり?

2015年02月17日 22時39分17秒 | Weblog
今日は仕事を休んで幼稚園時代の同僚の家に遊びに行って来ました。
退職後は年賀状のやり取りだけだったんだけど、今年は『お会いしたいです』と携帯番号まで書いてあったので(笑)引き籠りにムチ打って行って来ました。
同僚、と言っても一緒の学年だったのは一年だけ、しかもその人はあたしより15歳近くも上なんだけどね。
その人は一緒に居た当時からとてもアクティブな人で、幼稚園退職後も育児サポートのボランティアやったり、食育に興味を持ってからは調理師の免許を取ったり。(50過ぎてから!)で、公民館で料理教室開いたり。民生委員もやったし、今は行政相談員ってのもやってるそうで。
お話を聞いててほんとに溜息が出るほど積極的な人生を送ってる人でした。聞いてるだけで疲れました(おい)

お食事をご馳走になった後は、当時の幼稚園を見に行きました。
新採の時一緒の学年だった先生が、それぞれ教頭と教務になっていて、少しお話も出来て。
何より当時のままの園舎・・・懐かしかった・・・///この場所で7年間も過したんだよね~色んな事があったよなぁ。降園時に行ったんだけど、その雰囲気・・ああいいなぁ。遠い世界になったとしか思ってなかったけど、やっぱり惹かれるな、と思った。

今年の春からは「こども園」になって、幼保一貫になるそうで。・・想像するだに大変そうです・・・てか可能なのか?てか必要なのか?
幼保一貫になるにあたって、職員も幼稚園教諭と保育士両方の資格が必要になるそうで。
・・あたし出来んじゃん。(笑)ちらっと、いいかもな~と思った。

まーとにかく刺激的な一日でした。
会う人みんなに「全然変わらないねー!」って言われたけど、そんなわけなかろう

65歳の今も生き生き活動してる彼女をみて。子育てが終わった後の自分。
今から線路を拾っておかないとな~と思いました。



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イチ

2015年02月08日 17時35分56秒 | Weblog
地域猫という言い方がある。
ねこの動画を探しては見ているうちに、自分がどういうのに関心があるのかが分かって来た。

可愛い子猫の動画も勿論見るけど、それよりも猫と人の関わりが見えるものが面白い。
中でも、個人の家猫より、地域に住む猫とそれを見守ってる人。

前にここにあげた「野良猫に生まれて」(『瀬戸の野良猫日記』@ゆーちゅーぶ)の茶トラくんも、地域猫。
テトラポットに住んで釣り人から魚を貰って生きている。
住宅街に住む猫は、糞尿や車の危険があったりして人間との共存が難しいのは容易に想像付くけど、ここの猫にはそういった心配がないので比較的平和で彼ららしく生きていると思う。

公園を住みかにしている猫の集団(『公園猫戦争』@ゆーちゅーぶ)もあるけど、そこは保護団体が関わっていて、ちゃんと避妊去勢をしたのち、あとは積極的にエサをあげるわけではなく見守ってる感じだ。おそらくねずみとかねずみとか食べて生活しているのだろう(笑)

そもそも猫は、穀物を食べる動物を食べて貰おうと、海外から連れて来られたわけなので。
本来の生き方は人間に望むものだったはずなのだ。今更「この野良猫が!」と箒で終われるのはさぞ心外だろう。


で、もうひとつ。
河原で暮らす猫たち。ここも釣り人さんから魚を貰って生きているけど、ここの猫たちはもっと深く人間と関わっていて、沢山の人に可愛がられている。
エサを貰ったり、ノミ取りの駆除薬を付けて貰ったり、雨風の防げるねこの家を作って貰ったり。半分家猫のような、でも自由気ままな外の生活が出来て、全国の猫が羨むような素敵な関係なのだ。
誰の膝にも乗り、一杯撫でられて幸せそうな姿に癒される人が沢山いた。

そんな中でも一番の個性派「イチ」
『どんくさくて痛い猫』ってことで人気者だった。見れば見るほど味が出る(笑)
そのイチくんは10歳と結構な高齢で、去年のクリスマスから調子が悪くなり。
地域猫でありながらゆーちゅーぶで資金を募って、病院に入院していた。
あたしも更新される動画でイチの容体を気にしていたのだけど・・みんなの願いも空しく昨日亡くなってしまった。


地域で生きてきた猫だから、最後は河原に帰してやりたい、でも季節的に病身には大変厳しいので、入院してもう少し回復してから・・・

アップ主さんも随分葛藤されたと思う。
河原に帰す事は「治らないと諦める事」だから。
どこかで諦めて河原に帰して、一日でも半日でも馴染んだ風の中で息をさせてあげたい。
そう思ったはず。でも、天気は無情で・・・


何が良かったのかは誰にもわからない。どんな風にしても後悔は残るんだろうけど。



亡くなる一週間前に更新された動画。




これを見て沢山の人が泣いた。
河原を歩く姿を、もう一度見たいと切望した。

そして思っていたより早く、イチは虹の橋を渡ってしまった。




早朝更新されたこの動画を見つけ。
まさかと思いつつ、最初に映ったイチを見て涙が溢れた。
今もこうして打ってるだけで泣けて来る。悲しくて動画のイチはまだ二回しか見れない。

にわかファンのあたしでさえこんななのに、もう何年も前からイチたちを見てきた人たちには耐えがたいだろうなぁ・・・



動画に寄せられたコメントを読んでいると、たった一匹の地域猫に、日本中の多くの人が癒されて、慰められていたのかが分かる。

もう会えない、って辛いね・・。
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ねこは人を救う

2015年02月06日 23時39分32秒 | Weblog
息子を亡くした同僚。
一か月ほど仕事を休んでいたのだけど、有給もなくなって今週から復活してきた。
あたしだったらとても仕事する気持ちになれないと思うけど、家に居たらずっと泣いて晴れる事はないだろうし・・やっぱり外に出なきゃ、なんだよね。

今までは通所のリーダーの立場だったけど、あたしと同じ半日パートにすることにしたらしい。
何て声掛ければいいかと思っていたけど・・・その人とは共通の話題があった。

去年の夏、次男がこむぎを拾って来た時どうしていいか途方に暮れて電話をしたのがこの人。
猫を5匹飼っててお嬢さんが動物病院に勤めてるってのがあったので頼ったんだけど、すぐに来てくれて色々教えてくれた。
その後もこむぎの様子を度々気にしてくれてた。

子供の話題は禁句。でも猫の話なら・・・

一緒にいる間は猫の話が弾む。声も明るくなる。
良かった//あたしがこの人にしてあげられる事があった。



夜は5匹の猫が一緒に寝てくれてるそうだ。
「重くて寝られないんだよね~」って言うけど嬉しそう。

猫に限らないかもしれないけど、飼い主の不調や悲しみに同調してペットが何かしらいつもと違う行動を起こすって話はよく聞く。
猫の柔らかい感触や暖かい体そのものも、十分癒し効果があるけど、言葉で言えない何かを、飼い主は猫から感じるんだと思う。

猫は気まぐれではあるけど、ほんとは愛情深い生き物。

こむぎもそうだといいな。


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あたしはこれで笑いました

2015年02月02日 21時39分07秒 | Weblog
節分でしたね。
子供たちが小さい頃は、クリスマスに次いで楽しみな行事でした(親が)が、今となってはかろうじて恵方巻きを食べる程度です。子供たちを恐怖に陥れて笑っていたあの頃が懐かしい・・・

恵方巻きはいつも義母の妹さんが持って来てくれます。毎年ありがとうv



海鮮恵方巻きのせいか、こむぎが寄って来ました。
食べる作法がありますが、うちは「美味しく食べる」のが一番なので全然拘りません。
長男が「オレ切って食べる」って言うので「縁を切るって言うよ」「だって食べやすいじゃん」「じゃあお母さんの縁もついでに切っといて」そんな感じで。勿論楽しくお話しながら頂きますとも。
てかあれ、一本多くね?

節分の思い出と言えば、幼稚園の先生時代。節分行事をやるわけですが、先生扮する鬼相手に豆まきした後、NHKのみんなのうたでおなじみ「赤鬼と青鬼のタンゴ」を全園児で踊り狂う、という。まるでディスコのような熱狂ぶりでした(古)これも楽しく懐かしい思い出です。




さて、少し前ツイッターでも話題になったという、「寝顔が壮絶すぎる猫」の動画。
泣くほど笑えましたので良かったらv





・・どっか病気でもあるんじゃないでしょうか・・・個性と片付けるには、あまりに特異です(笑)
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生きてるだけで丸もうけ

2015年02月01日 22時51分58秒 | Weblog
さんまの名言。有名ですよね。

自分が毎日充実してるせいなのか、娘にはあたしが「何だか自分を後回しにしてて可哀想」に映るようで、気を使ってくれてるような事を時々言います。
それは嬉しいのですが、娘にそんな風に映ってるのってどうなのよ?とも思ったりしてね。
別にそんな風に思ってないんだけど・・・好き勝手やったら楽しいのかって言えば、そんなことないでしょう?それはそれできっとあとで後悔したり付けが回ってきたりもするじゃない。
それが苦にならないパワーがあるならそれでいいし、あたしはそれがないから自分はまぁどうでもいいかーになってるだけ。

でもまぁ、娘がそうやって母親を気に掛けて何とかしてやりたいって思うように成長してくれてるのは嬉しいですねv

で、ありがたくバッグを買って貰いました。



一緒に買いに行ったけど「好きなのを買いなさいv」って選ぶのに付き合ってくれました。
これから春に向けて毎日持ち歩きますv


で、冒頭の明言はなんじゃ、ですが。

自分後回しの理由ってそこかなーと思ったんですよね。

小6の時。
転校したばかりで辛い事もあったけど、そんな自分に優しくしてくれた同級生。
クラスでも人気者で成績も優秀でとても優しかった彼女が、何故自分を気に掛けてくれたのか当時は不思議だった。
その子が完治が難しい病気だと知ったのはじきで、入退院を繰り返すようになって。
そのうちその地には一年しかいなくてまたあたしは転校した。
その子は丁度遠い所に入院していて、さよならが言えなかったけど、その後元いた家に母が片付けに行ったら、たまたまその子が訪ねて来て。
転校したと知ったら、泣いてくれた、と。

遊んだのは大した時間ではなかったのに。それを聞いてとても嬉しかった。
でもその子は中2の夏、亡くなってしまった。

一人でバスを乗り継いで、その子の家にお別れに行った。
もう亡くなって何日も経っているのに、可哀想で火葬に出来ない、と真夏なのに何か措置をしたのか、その子はまだお棺のまま実家で眠っていた。
傍でお父さんが、号泣しながらあたしに色々と話してくれたんだけど、あたしは死んだ人を見たのも初めてで、大人の男の人が号泣してるのも初めてで。
何を聞かされたか分からなかった。

でもその時に感じた気持ちは、その後やっぱり自分の中に根付いているんだな、と思う。


もう一人。
幼稚園の先生になって、山奥の僻地園の勤務になった時に、2クラスしかないもうひとクラスの相棒だった先生。偶然にも同じ年。
週末しか家に帰れない山奥。平日も仕事が終わったって遊びに行く所もなく、よく2人で夜中車に乗って途中で自販機でアイスを買い(笑)真っ暗なダムを眺めながら色々話したっけ。
翌年ようやく採用試験が行われて(3年に一度くらいしかなかった)その子は落ちてしまって、幼稚園の先生やめてしまったけど、その後もご飯食べたり遊びに行ったりして付き合いは続いていた。先に結婚したあたしの家におかず作って遊びに来てくれたり。

一年後くらいにその子も結婚して、電力会社の人だったのでダムのある山間部に嫁に行ってしまった。しばらく手紙だけの付き合いになってしまっていたけど、それでも元気だと思っていた。

でもその子は子供を産んで一年も経たないうちにガンで亡くなってしまった。何も知らなかった。

山奥までお通夜に行った。お棺の中には若い人がガンで亡くなるとこうなる、って見本のような彼女が。
腰が抜けたように立てなくなって、涙が止まらなかった。

あまりにも早く人生が終わってしまった2人の友人。

だから、生きて、元気でいられることはそれだけで他に望む事がない、と言うか、望んだらその子達に悪い、って思ってしまうところがあるんだと思う。


更に先月、親の立場での悲しい出来事が同僚に起こった。
うちと同じ三人の子、性別も年の間隔も同じ。うちより上だったので、何かと参考にしていたのに。

真ん中の男の子。
ちょっと家計的に大変な家なのだけど(失礼ながら)お母さんが友達と出掛ける、と言うとお小遣いをくれるような子。小学校の講師をしてて。
クリスマスの日妹に「お菓子買いに行って来る」と出掛けて永遠に帰って来ない。



「幸せの尺度」あたしの好きな言葉。
小さい方がいいよ。幸せを逃すから。
沢山の幸せを感じる事もなく若くして逝ってしまった友達に。
今の人生に満足して生きる事が供養になるのかな、と思ってます。



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