海賊日記

子育てと趣味の日記

大正時代

2020年11月06日 22時42分25秒 | Weblog
今日は仕事休みだったんで朝風呂行ってサウナかましてきました。いや~~人いないですね。
常連のおばちゃん達(60↑)が数人いるだけで、大変快適でした。
いつもは岩盤浴入るんですけど、朝風呂(といっても8時ちょい前)初めてだったけど、利用料安いし、塩サウナあり、サウナあり、炭酸泉ありで十分デトックス出来そうです。ありですね。

で、午後はのんびりお絵描きしてました。伊黒描きたいマン。



描いてて分かるけど、鬼滅のキャラってみんな瞳大きくて、それぞれ個性的なんですね。瞳も「丸」じゃないし。
というか髪の毛も曲線がない・・・みんなかくかくしてる・・・描きにくい・・・でも描きたい・・

描くのは良いけど残念ながらペインターの使用期間が終わってしまいました。取り込んで加工すら出来ないので、これはiPhoneで撮ったのをそのまま、です。

いよいよ何とかしなきゃ~~遊べない・・・。、

あとこれ。
おやつの後は外にいることが多いんですが、そうすると今の季節だと山の端に沈んでいく夕日が見れるんですよ。最高にキレイです。
長い時間ではないし、屋内だったらなかなか毎日は見れないと思うので、この仕事してて良かった、って思う瞬間です。







大正時代。
鬼滅の舞台がそれなんですが。
少し前に私が激ハマりしてた「憂鬱な朝」は明治時代のお話だったな・・・
それはともかく、その時代を想像するのに、私にはちょっと材料があります。

前職、デイケアの仕事に就いたのは今から15年くらい前で、その頃はまだ大正生まれの方がいて、いろんな話を聞かせてくれたんです。てか私が聞きたかったので沢山話しかけてたのもありますが。
一番古い人で明治生まれの人もいたなぁ・・・。

おばあさんたちの思い出話。大正時代って昭和の一つ前ジャン?って思うけど、想像以上に今と違います。鬼滅の世界、実に忠実に再現してると思います。

覚えてるだけ、箇条書きにしてみます。大正時代って実際はそんななんだ、ってのが伝われば。


・手や足の指の欠損がある人が割といて驚いた。
凍傷で失った人が多かったです。寒くても裸足or草鞋。ゴムの草履は高級品で、兄弟全てに行きわたらず、家督を継がない子は冷遇されてたみたい。

・娘の時代、東京の遊郭に奉公(売られた?)に出てた人の話。
夜になると家が恋しくて、屋根に登って泣くことが多かった。それをみてお姉さん(遊女?)たちがお菓子をくれることがあって嬉しかった

・新茶の時期になるとお茶農家に二か月ほど奉公に出た。期間が終わってお給金を貰えると、それで着物を一枚買うのが何よりも楽しみだった

・子供の頃、山の上で働いてる父親のところに半日かけてお弁当を届けに行ったけど、自分の分はないからひもじかった

・秋の村祭りが何よりも楽しみで、歩いて半日以上かかる村まで行った

・東京に奉公に出ていたが、関東大震災で焼け出されて静岡の実家に帰る途中、山ほどの死体を見た(具体的に色々言われたけど衝撃過ぎて覚えてない;)

・隼部隊の後方支援の飛行機に乗ってた。隼部隊を撃たせないために自分たちが盾になれと言われた

鬼滅の中には、子どもが理不尽な扱いを受けている、心が痛む場面が割と出てきますが、普通にあった時代だったのではないかと思いますね・・。ほんの100年くらい前なのに。

そういう話を聞いていたので。
今よりもずっと命の価値が低かった時代、それでも何とか生きて、戦争も経験して我慢の多い人生を送って来たのに、年を取ってまた邪魔者扱いされるのはとても気の毒で。
自分の出来る限りの事はしてきたと自負してます。まぁ仕事だから出来たんでしょうけど。実際おうちに高齢者がいる人は大変だ、というのも分かりますから。

さて、明日は三回目乗車してきます!!
コメント
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