つぶつぶタンタン 臼村さおりの物語

身体の健康と無意識のパワーへ 癒しの旅~Have a Beautiful Day.~

太陽ありがとう、亡くなった日のことを綴る

2020-03-13 22:09:44 | 太陽

今朝2020年3月13日(金)午前1時50分、愛猫太陽が死にました。悲しい。

心臓に持病がありました。肥大型心筋症です。

2019年7月には肺に何度も水がたまり、特に何度か死にかかりました。

立秋を境によい兆しがみえ、毎日に感謝して生きておりました。

一緒に暮らした6年間近くはあたしの宝物。とても感謝しています。一緒に暮らすことを選んでくれて、何度も生還してくれてありがとう。しあわせです。

元野良で推定9歳になります。

後悔いっぱい、でもまた同じことがあっても同じことしてしまう、これがあたしの実力だとおもっています。

つらい、くやしい。いまとてもしんどい。しんどいけど忘れるくらいならずっとしんどいほうがいいのだけど、でもだんだんと薄らいじゃう。だからしんどいのも堪能します。

散歩をさせる習慣がありました。持病があり、発作を考えるとひとりで外に出すのが怖い。でも外に出たがる。だから散歩にしました。

亡くなる前、24時間にも満たない前、ご機嫌に散歩していました。

お医者さんは我慢していた時間が長かったのでは?と分析されていました。無理させちゃっていて、もっと早く気付くべきだったし、今おもえばサインがあったのかもだけど見逃していました。

気づいてからの対応も遅かったとおもいます。何度も何度も奇跡を起こしてくれて、過信していたり、自分のなかに甘さがあったとおもっています。

最後まで散歩できたのはしあわせなことなんだろうね。いまはそう思えないけど。

14時過ぎに投薬のために、アールワンととろとろマグロペーストで混ぜたものをあげにいくと猫用のおこたにいました。お皿を差し出したけれど食べませんでした。おかしい。いつもなら散歩に行きたがるのに、それもない。

なんとなくケポッて音がする。肺に水が溜まっている気がする。

出かけていた母に電話すると、朝に投薬したときは普通だったけれど、トイレの交換をしているときに変だとおもったとのこと。そばでバタって倒れたそうです。けれども様子見したとのこと。

迷ったけれど、ひとまず酸素室に入れることにしました。久しぶりにしまい込んでいた酸素室キットを引っ張り出す。酸素室が乗っているホットカーペットのスイッチも入れました。

入れると、少し落ち着いたようなので、ほっと安心。夕方まで様子をみることにしてしまいました。16時過ぎ?に食事は摂らなかったけれど、午後の薬をあげました。

そのあと急にゲホゲホ言い始めた気がする。(あとでお医者さんがそれはたまたまでその動作が関係していていたわけではないとおっしゃってくれました)

酸素室のなかで苦しそうにしている。ついには口を開けたり、よだれが出たりもしている。母から「今から帰る」と連絡を受けていましたが、これは母の帰宅を待ったら間に合わないと近所に勤める叔母の元に駆け込みました。

叔母が車を持ってきてくれるのと、母の帰宅と同じタイミングでした。

母の車で病院に向かう。途中、赤信号が多くてイライラ。太陽は苦しそうでよだれが出たり、口を開けたり、ハアハア言ったりしてしまいました。

なんとか病院につく。まずは酸素吸入と、体温が低いとのことで、加温してもらいました。

そのあと、レントゲンと血液検査。レントゲンをみると肺に水がかなり溜まっており、かなり前から苦しかったはずと言われました。

治療、入院の開始。大山を越えるまでは待っていたほうがいいと言っていただき、19時過ぎまで待つ。途中、気持ちを落ち着かせるために近所の駅まで散歩に。

入院が決定し、面会に行くと、いつもの酸素室には先住猫がおり、初めて左下のボックスでした。母がいうには酸素室のメモリが45(%)になっていたとのこと。

太陽は、あごの下のタオルを置いた状態でぐったりしていました。膝をついてかがんで太陽に目を合わせようとしたけれど、太陽は視線がうつろで、定まりませんでした。お医者さんによると、疲れている可能性とぐったりしている可能性両方が考えられるとのことでした。

夜中に、先生が母の携帯に留守電を残してくれました。体調が急変せず亡くなったとのこと。すぐに迎えに来る人と、午前中に来る人、午後に来る人がいるとのこと。

母は私に確認をとろうとしてくれたのですが、あたしは気分を変えるために外に出ており、しかも電話を持っていませんでした。メールも気づかず。

帰宅後、知りました。先生に折り返すも、先生はすでに帰宅されたあとでした。

午後に母と迎えに行きました。久しぶりに最初によく太陽をみてくれていた先生でした。引継ぎによると、真夜中に呼吸困難に陥り、挿菅間に合わず、1時50分ごろ亡くなったそうです。

診察室に入ると、診察台の上に、白いタオルにくるまれた太陽がいて、ひざまずいて太陽と目の高さを合わせて泣いてしまいました。

先生の説明によると、心臓が限界まで来ていて、急変した可能性もあるとのことでした。帰りは病院の裏から、葬儀会社の白い段ボールに入れた状態で、先生たちが太陽を連れてきてくれました。あたしたちが持参したフリース、そしてお花も入れてくださっていました。まずはケージを受け取り、後ろの席に座ったあたしに太陽の入った段ボールを受け取って、帰宅しました。触ると、冷たいけどムチムチしている。

亡くなる直前まで元気に食べていたので毛艶よく太っている。もともとむっちりと体が固いタイプだったこともあり、今でも生きているかのようにお人形さん体型です。自撮りをする習慣がなく、太陽と二人の写真がないのが悲しい。


画像は9日(月)の散歩と、本日帰宅後に撮影したものです。一緒に撮ろうか迷ったけど撮ってよかった。

忘れる前に綴りたくて、書いています。また書きたいです。この場をお借りしています。

太陽、ありがとう 大好きだよ

臼村さおり twitter @saori_u
思考していることを投稿しています。

エネルギーサロン・タンタン
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