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パクスアメリカーナの崩壊による、日本の実質的再武装

2014-06-28 13:07:44 | 愚痴
日本人と一般化して言ってしまって良いものか、わからないが、

日本において美徳とされることに、『忘れる』と言うものがある。

代表的な用例は、『水に流す』である。

さて、2014年は、冬季オリンピックがあり、サッカーのワールドカップもある年だと言うのに、世界は、スポーツではなく、武力闘争が拡大している。

シリア、エジプト、ウクライナ、イラク、そして、日本ではベタ記事扱いにしかならないアフリカの彼方此方。さらに、中国西部。

武力闘争になってもおかしくはない南シナ海。

そんな物騒になってしまった世界で、日本の政府が進めようとしているのは、まるで、明治期のような富国強兵政策である。

富国政策は、まぁ、なんとなくわかる。しかし、強兵政策を、急進的に、何故進めなければならないのか、政府からも、与党からも、明確な説明は無い。

現与党の綱領は、自主憲法制定であるから、先の国会で成立した、憲法改定のための国民投票法案を進めたことは理解できる。

しかし、解釈改憲もどきの、集団的自衛権を、国会閉会中に閣議決定しようとする、意図は、日本国憲法の理念を普通に習っできた、戦後生まれの者には、理解することは、とても難しい。

現行の自衛隊でさえ、日本国憲法9条を文言通りに解釈すれば、違憲と考えてしまうのにである。

日本国憲法9条において放棄した交戦権と、言葉を変えただけの集団的自衛権の何が違うのか、明確な説明は、ほとんどされていない。

集団的自衛権において説明されるのは、邦人が日本の法律が及ばない場所で不安全な状態になったら、どうするのか?その準備だと言う論理である。

この論理は、明らかに詭弁なのだが、別の論理を隠したいがためとすると、集団的自衛権を焦って既成事実化しようとする意図は推察できる。

日米安保条約において、日本の防衛責任を有するアメリカの、責任緩和である。

米ソの冷戦の下で作られた日米安保条約は、ソ連の崩壊と共に、無用になったが、安全保障費用を増やしたくは無い日本としては、条約を無効にするメリットは無かった。

一方、アメリカは、世界秩序と言う、アメリカに都合の良い現実を続けるために、それまで、ソ連が面倒を見ていた地域の政変にまで関与せざるを得なくなった。アメリカのある世界平和、パクスアメリカーナである。

そのために、アメリカは、世界の至る所に、自国の軍隊を派遣せざるを得なくなった。

しかし、アメリカの国家財政は、世界中に軍隊を派遣し続けられほどの軍事費を負担し続けられなくなった。イラクやアフガニスタンからの撤退である。

そして、フィリピンからも撤退した。

NATOのある欧州と日本と韓国からは、中々撤退できない。撤退する口実が見つけにくいと言うべきだろうか?

もし、日本が、自主的に自衛する政策を取ろうとすれば、アメリカは、日本に展開する部隊を、少しづつ減らす口実ができる。

日本と第三国間の有事が発生しても、日本が、再武装していれば、アメリカが、手助けする負担は、減らすことができる。

それは、正しく、シリアやイラクで起きている内乱である。

日本の実質的再武装化の端緒となる、集団的自衛権と言うのは、

結局、パクスアメリカーナが崩壊しつつあり、世界は再び多極化することへの、現実的対応と捉えることはできる。

しかし、日本政府の問題は、日本国憲法前文と9条に基づいた『積極的平和主義』を世界共通の理念として広めることはせず、20世紀前半の、暴力が正義であると言う、現実的だが、前時代的な状態を選択しようとしていることにある。

誰が草案を作った憲法であれ、その理念により、経済的恩恵を長く受けて来たことは、事実であり、理念を形骸化するとにより失うもののが何なのかが、全く議論されていない。

日本は平和国家と言う看板を降ろすのだから。

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