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『一所懸命』か『一生懸命』か?

2012-07-03 21:05:27 | 愚痴
人間、呑気に生きている方が良いに決まっている。

でも、人間、そうそう、呑気に居られるものではない。 人生90年を考えなけらばならない、現代である。 

今から90年まえの1922年とは、オスマントルコ帝国が滅び、ソ連が成立した年である。アイルランド南部の独立もこの年であり、ファシスト党がローマに侵攻したのも1922年である。 

今から思えば、全て歴史上の遠い過去である。

今威勢が良いからと言って、90年先も存在しているかもわからない。 

来年五十路の私にしてみれば、残り40年である。 逆に40年前に振り返ってみると、1972年とは田中角栄第一次内閣が組閣された年である。日中正常化もこの年である。 私にすれば、そんなになるのかと言う思いだが、この時代にはスマホどころか、カシオのカシオミニが発売されて話題になった年である。

何をいわんや?

最近は、誰でも『一生懸命』と言うのだが、『一生』も懸命にしてたら体も心も持たない。

私の国語の知識が正しいか不安であるが、『一生懸命』とは『一所懸命』の誤用が一般化したものと聞いている。

『一所懸命』とは鎌倉時代の地頭が、幕府から任された所領(荘園)を生活の全てをかけて守ったことを言った。

大辞林では、『武士が、生活のすべてをその所領にかけること。』となっている。

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今、色んな意味で不安なのである。 自分の生活のことはもちろん、電力の足りないこの国だとか、盛りを過ぎて斜陽を感じるこの国のことだとか。じゃ、この国から逃げ出して幸せに暮らせる場所があるかと思えば、自身の器量からすると、そうそう居場所もありそうもない。

エンジニアとしての自分としても不甲斐ない。 これだけ、社会に色んな問題が起きていると言うのに、他人を食わせるどころか、自分は他人に食わせてもらってるようなもの。ちょっとだけ、先の仕事をしているとは言うのは言い訳にしかならない。

だから、『一生懸命』なんてとても言えない。『一所懸命』が精々。 それ以上、何ができるか? 

40年先の未来まで考えるなんて、人間の想像力ではとても無理。 今、目の前にある課題を解くしかないという結論に行き当たる。 そうでも考えないと、しんどくて、生きているのが辛い。 

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