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日本の仏教は,12世紀以降の文明の進歩を反映しているか?

2014-12-28 00:46:19 | 愚痴
かつて,徳川幕藩体制の時代まで,日本仏教界の僧侶とは,日本の知識階級であった。

薩長明治政府による,廃仏毀釈政策により,日本仏教は,現代の「葬式仏教」になってしまった。

神社の宮司が掛け持ち職業をしているというのはあまり聞かない(そう言う神道の一派もあるが)が,僧侶が俗界の仕事を持っていることは,珍しくはない。

神道は,日本古来のシャーマニズムが21世紀の現代においても失われていないと言うことであり,良くも悪くも,太平洋戦争以前の日本文化を保存している。

一方,日本の仏教とは,7世紀に大陸から輸入された外来思想(外来宗教ではない)である。キリスト教歴で,紀元前5~4世紀に,気候風土も異なるネパールかインドで始まった仏教が,中国と朝鮮半島の土着宗教と千年近く混ざり合って,何が元々の教えかわからないような状態で,日本に入った。

先進地域の大陸からの外来思想であるから,丁度,明治以降のキリスト教文化と同様に珍しがれた。その後,日本独自の仏典解釈により,宗派の分裂に至る。

19世紀までは,その状態で良かった。 原子も分子も知られていなかったし,元素が100以上あるなんて知らなくても,目に見えるものと,書物に書いてあることだけを頼りに『色即是空』とでも言っていれば,多くの問題に答えを,一休さんのようにトンチで答が出せた。

でも,21世紀の現代は,紀元前4,5世紀のヒマラヤの世界で見た物を基に,宇宙や人を語ってもらっても,何の答も出ない。

DNAが切ったはったでき,太陽どころか,天の川さえ,無数にあり,人は原子どころか,電子や光子まで操っている。紀元前4世紀には見えなかった物が,今は見える。で,あれば,日本仏教界は,現代の知見と,自らが信じる教義との整合性を考えるべきであろうと思うのだが,そういうこと言う,僧侶を見たことも聞いたことも無い。

エレキギターを引いたり,パソコンで檀家の管理をしたり,肉食妻帯の僧侶は数多く居るが,自分が葬儀で語る仏典と現代文明と整合性を語る宗派や僧侶は居ない。

摩訶不思議なことに,今の日本は,冠婚葬祭すべてがマニュアル化され,葬儀でさえ,マニュアル通りに葬儀屋が進行させる。そして,悟りを開いたのかどうか分からない僧侶が,『導師様』と恭しく呼ばれて,現代語訳もされず,梵語を音訳した仏典をそのまま読む。一部の宗派は,一通り読み終えると,焼香の間,『南無阿弥陀仏』ばかりを繰り返す。

アジアの多くの場所で,大規模な紛争が起きているのに,日本の仏教界は,ほとんど,何ら声を発しない。かつて宿敵であったカトリックのローマ教会は停戦を呼びかけるのにである。

その最も大きな理由は,日本仏教界の僧侶が,『知識人階級』では無くなったことにあると思えてならない。仏典には,恐らく,ヒトという動物の本性が書かれてある。ヒトはとても凶暴な動物である。食料にするわけでもないのに,同じ種の固体を集団で殺害する。時には,享楽の為に。それを律するのが,仏教の思想なのであろう。法律用語で『自然法』と呼ばれる,『人の道』のことである。

しかし,日本仏教界が,内戦であっても対外戦争であっても,停戦を呼びかけたこは無い。何故なら,寺院は,荘園をもつ特権階級であったからであろう。

日本の仏教は,非常に世俗的である。それは,決して悪いことではない。しかし,世俗的であるならば,12世紀最後にほとんど発展していない,日本の仏教思想と現代文明との整合性を研究すべきであり,『自然法』としての仏教の本来の思想を考え直すべきである。

マニュアル化された商売になっている葬儀に出る度に感じる,日本仏教への違和感である。

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