8月20日(日)から22日(火)にかけて、Ty、Wt、Uo、Sa、Tg、Nj、Ftの7人で兵庫県姫路市の家島諸島に属する無人島・太島(ふとんじま)にサバイバルに行った。食料は非常食以外は持って行かず、自給自足の生活に挑戦した。
20日は、午前10:30にJR姫路駅に集合した後、バスに乗って姫路港に移動し、そこの売店で無人島へ出発前の最後の腹ごしらえをした。そして定員86人の割と大きな海上タクシーを7人で貸切り、20分ほど海を進むと太島に到着した。サイト地は島の北東部の平坦地にした。穏やかな瀬戸内海の向こうには、東は淡路島、西は相生まで見渡せた。海も空も青々としていて、非常に気持ちがよかった。周辺の海には漁の仕掛けがしてあり、時々漁船が島に来ていた。テントを張った後、早速、食糧を確保すべく、もりを使っての漁と魚釣りが始まった。この日はあまり夕食を獲得できなく、成果は魚5匹とNjさんが見事捕らえたタコ、そしてさわ蟹サイズの蟹数匹だった。魚と蟹は焼き、タコは粉末味の素等の調味料を使って茹でた。魚も茹でタコも、結構おいしかった。夜は皆疲れていたため、9時には寝た。
21日は朝から再び漁が始まった。Ftの釣竿で15センチ弱の魚が2匹釣れた。この日の午前中で合計魚が11匹釣れ、昼に焼いて食べた。昼過ぎにはみな言葉少なになり、空腹や高い気温、強い日差しのため、体に倦怠感を感じる人、熱中症のような症状がある人、立ちくらみがする人も現れた。そのため、臨時のミーティングを開き、当初は22日の16時に島を出る予定だったのを9時に変更することにした。また、漁は海にもぐり続ける体力と、魚を捕らえるための根気・集中力を要し、結構しんどいので、結局午後はあまり漁をしなかった。ミーティング後は日陰にロルマを敷いて全員で昼寝し、その後は寝続ける人、ボーっとしている人、海辺に腰掛けて美しい海を延々と眺めている人、はたまたキャンプファイヤーの準備をしてくださる人、頑張って漁を続ける人もいた。誰にも邪魔されず、騒がしい日常を忘れ、蝉の鳴き声と波の音しか聞こえない無人島で、ゆったりとした時間を過ごしたわけだが、ここまでゆったりする事はなかなか私たちの日常ではできないので、贅沢ができたような気もした。この日の午後の収穫はNjさんが捕らえた魚1匹だけだったので、晩御飯は団装の調理セットの中に入っていた調味料を駆使して2品作った。1品目は粉末味の素、醤油、みりん、料理酒を煮立たせ、片栗粉を加えた特製スープ。スープに加えた片栗粉は、あえてダマにすることでスープに歯ごたえを与え、食べていると言う実感がより湧くように工夫した。意外と空腹を満たすことができたと、みな喜んでいた。2品目は砂糖と水から作った水あめを作った。鍋に作られた水あめは、久々に甘い食べ物を口にすることを喜びながら、みなで箸をつついて食べた。普段の食事の何十分の一の量ではあったが、皆いい顔して食べていた。夕食でほんのわずかであるが元気が出てきた後はキャンプファイヤーをした。大きな炎を囲んでのんびりし、9時ごろ就寝した。夜は満点の星空を眺めることができた。
最終日の22日は、午前7:30くらいから、やはりほとんど会話もなく、黙々とサイト地の撤収が始まった。そして9:00に迎えの船がやってきた。本土に到着した我々は、売店にはたくさんの食べ物が売ってあり、蛇口をひねれば真水が出て来、舗装された道にはたくさんの車が走っているという光景を目にし、改めて文明のすごさを感じた。売店では思い思いの食べ物を買い、皆、おいしそうに食べていた。その後、姫路駅に移動し、皆でサーティーワンアイスクリームを食べた。36種類もあるアイスクリームはどれもおいしそうだ。どれを食べようか迷うとは、幸せな悩みだと感じた。この頃には皆よく喋るようになっていた。そしてJR姫路駅で解散し、帰阪組と姫路散策組に別れた。姫路散策組は、テンションは高かったものの、お金をほとんど持っておらず昼ごはんや飲料すら買えなかったため、強い日差しの中、約2時間ただ黙々と姫路の町を歩き回った後、帰阪した。帰る途中、強い雨が降り始めた。島においてあの状況で雨に降られたらどうなっていただろうと考えるとぞっとした。
今回の活動は、本当に参加した者にしかその状況は分からないと思う。今回の活動を通して、「無人島に行きたいなどというのは、飽食の時代に生きる日本人のおごりである」と言う格言が生まれたように、食物のありがたみを参加者全員が強く感じることができた。このことは一生忘れずにいたい。無人島サバイバルは大変ではあったが、自分にとってプラスになる経験であったことは間違いない。と思う。 (かなり長くなってしまいすみません。)
20日は、午前10:30にJR姫路駅に集合した後、バスに乗って姫路港に移動し、そこの売店で無人島へ出発前の最後の腹ごしらえをした。そして定員86人の割と大きな海上タクシーを7人で貸切り、20分ほど海を進むと太島に到着した。サイト地は島の北東部の平坦地にした。穏やかな瀬戸内海の向こうには、東は淡路島、西は相生まで見渡せた。海も空も青々としていて、非常に気持ちがよかった。周辺の海には漁の仕掛けがしてあり、時々漁船が島に来ていた。テントを張った後、早速、食糧を確保すべく、もりを使っての漁と魚釣りが始まった。この日はあまり夕食を獲得できなく、成果は魚5匹とNjさんが見事捕らえたタコ、そしてさわ蟹サイズの蟹数匹だった。魚と蟹は焼き、タコは粉末味の素等の調味料を使って茹でた。魚も茹でタコも、結構おいしかった。夜は皆疲れていたため、9時には寝た。
21日は朝から再び漁が始まった。Ftの釣竿で15センチ弱の魚が2匹釣れた。この日の午前中で合計魚が11匹釣れ、昼に焼いて食べた。昼過ぎにはみな言葉少なになり、空腹や高い気温、強い日差しのため、体に倦怠感を感じる人、熱中症のような症状がある人、立ちくらみがする人も現れた。そのため、臨時のミーティングを開き、当初は22日の16時に島を出る予定だったのを9時に変更することにした。また、漁は海にもぐり続ける体力と、魚を捕らえるための根気・集中力を要し、結構しんどいので、結局午後はあまり漁をしなかった。ミーティング後は日陰にロルマを敷いて全員で昼寝し、その後は寝続ける人、ボーっとしている人、海辺に腰掛けて美しい海を延々と眺めている人、はたまたキャンプファイヤーの準備をしてくださる人、頑張って漁を続ける人もいた。誰にも邪魔されず、騒がしい日常を忘れ、蝉の鳴き声と波の音しか聞こえない無人島で、ゆったりとした時間を過ごしたわけだが、ここまでゆったりする事はなかなか私たちの日常ではできないので、贅沢ができたような気もした。この日の午後の収穫はNjさんが捕らえた魚1匹だけだったので、晩御飯は団装の調理セットの中に入っていた調味料を駆使して2品作った。1品目は粉末味の素、醤油、みりん、料理酒を煮立たせ、片栗粉を加えた特製スープ。スープに加えた片栗粉は、あえてダマにすることでスープに歯ごたえを与え、食べていると言う実感がより湧くように工夫した。意外と空腹を満たすことができたと、みな喜んでいた。2品目は砂糖と水から作った水あめを作った。鍋に作られた水あめは、久々に甘い食べ物を口にすることを喜びながら、みなで箸をつついて食べた。普段の食事の何十分の一の量ではあったが、皆いい顔して食べていた。夕食でほんのわずかであるが元気が出てきた後はキャンプファイヤーをした。大きな炎を囲んでのんびりし、9時ごろ就寝した。夜は満点の星空を眺めることができた。
最終日の22日は、午前7:30くらいから、やはりほとんど会話もなく、黙々とサイト地の撤収が始まった。そして9:00に迎えの船がやってきた。本土に到着した我々は、売店にはたくさんの食べ物が売ってあり、蛇口をひねれば真水が出て来、舗装された道にはたくさんの車が走っているという光景を目にし、改めて文明のすごさを感じた。売店では思い思いの食べ物を買い、皆、おいしそうに食べていた。その後、姫路駅に移動し、皆でサーティーワンアイスクリームを食べた。36種類もあるアイスクリームはどれもおいしそうだ。どれを食べようか迷うとは、幸せな悩みだと感じた。この頃には皆よく喋るようになっていた。そしてJR姫路駅で解散し、帰阪組と姫路散策組に別れた。姫路散策組は、テンションは高かったものの、お金をほとんど持っておらず昼ごはんや飲料すら買えなかったため、強い日差しの中、約2時間ただ黙々と姫路の町を歩き回った後、帰阪した。帰る途中、強い雨が降り始めた。島においてあの状況で雨に降られたらどうなっていただろうと考えるとぞっとした。
今回の活動は、本当に参加した者にしかその状況は分からないと思う。今回の活動を通して、「無人島に行きたいなどというのは、飽食の時代に生きる日本人のおごりである」と言う格言が生まれたように、食物のありがたみを参加者全員が強く感じることができた。このことは一生忘れずにいたい。無人島サバイバルは大変ではあったが、自分にとってプラスになる経験であったことは間違いない。と思う。 (かなり長くなってしまいすみません。)
現在大阪に住んでる優希といいます。
あなたのブログを読んで
無人島でサバイバルなんて
本当に凄いとな思いました!\(//∇//)\U+2728
なかなか出来ない経験だと思います!
ブログを読んで、僕も
サバイバルを経験してみたい!!U+2728
と思ったんですが、出来れば
予約などの仕方教えて頂けないでしょうか?(´・_・`)