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寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

勝野地区の「龍組曳山蔵」を見て表通りに出る

2009年10月23日 | 日記

「総本家 喜多品老舗」を出て南へ進む。大きな曳山蔵があったので足を止めた。大溝祭には勝野の5地区から曳山が出るが、これは龍組のものだった。

龍組の曳山(絵)

これまでに長浜市と坂井市で同様の蔵を目にしたことはあった。豪華な曳山を見物した経験のない私の興味は膨らむばかりだった。蔵の脇道から「妙琳寺」の前を通って表通りに出た。

妙琳寺の門前

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喜多品老舗の「鮒鮨うまみ和ごはん(きざみふなずし入り)」

2009年10月22日 | 

喜多品の十八代目・北村篤士さんは「鮒鮨うまみ和ごはん」の食べ方について簡潔に説明してくれた。

「これをトーストに塗って焼くとチーズのような味になっておいしいですよ」

旅から戻った私は先ず教えてもらった通りに作って食べた。当たり前だが、日本酒のつまみとしては◎である。焼き具合をいろいろ変えてみてしっかり加熱した方がクセが和らいで食べやすくなったと感じた。

私なりの食べ方はこうである。4枚切りのトーストの耳を切り落とし、これに和ごはんをたっぷり塗って薄っすら焦げ色がつくまで焼くのがベストという結論に至った。ピザ感覚で食べられるので若者にも十分受け入れられるだろう。

鮒鮨うまみ和ごはんトースト

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鮒寿司の老舗「総本家 喜多品」を訪れる

2009年10月22日 | 

私はどうしても訪れたかった店の前に着いた。「総本家 喜多品老舗」は元和五(1619)年の創業で今年で390周年を迎えた。徳川家康からの感謝状の写しを某料理雑誌で見たのが1995年7月だから、実現までに14年もかかったことになる。

幸いにも十八代目・北村篤士さんの話を伺うことができた。「高価になった鮒寿司を若い人達にいかに食べてもらうかが今後の大きな課題です。私どもの店でも新しい試みを始めました。これまでは捨てていた(鮒を包む)ご飯を商品化したのがこれです。鮒寿司入門として考えました」

新商品の「鮒鮨うまみ和ごはん(きざみふなずし入り)」を手に取り、面白いと思った。80gで630円と価格も手頃だったので買い求めた。鮒寿司は小サイズで5250円~、大サイズは15750円~と庶民には高嶺の花だが、我が国の「発酵食品の原点」を多くの人に食べてもらいたいものである。奥行きのある複雑な旨みに関して私はこれ以上のものを知らぬ。

以前「駒方どぜう」の六代目主人が「古いものを守るためには新しいものをやらなきゃ駄目。そうしなければお客さんは満足してくれない」と語っていたが、老舗の「喜多品」でも同様の挑戦をしており、伝統を守り伝えることの難しさについて考えされられたのである。

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高島市勝野に建つ「紺屋町」の石碑

2009年10月21日 | 

滋賀県道300号線は小川が流れる辺りで緩やかに左に弧を描く。私はこちらを通らずに直進して脇道に入った。

小川

コンクリート三面張りの小川の上を通ってT字路を右折する。空き地の脇に「紺屋町」の石碑が建っていた。江戸時代はこの周辺に「藍染を生業とする人」が多く住んでいたのだろう。

紺屋町の石碑

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高島市勝野の「三嶋稲荷神社」

2009年10月21日 | 

「勝野交差点」を通過してまもなく滋賀県道300号線の左手に赤い鳥居が見えた。「三嶋稲荷神社」と書いてある。三嶋は「御島」からきているのだろうか。三嶋神社にお稲荷さんを合祀した形になっているものと思われる。

三嶋稲荷神社

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高島市を流れる「鯰川」と「和田打川」

2009年10月20日 | 

鶏小屋から再び「鴨交差点」まで戻った私は滋賀県道558号線を南下した。しばらく歩いて一級河川の「鯰川なまずがわ」そして「和田打川わだうちがわ」を越えた。

和田打川

この先の「勝野交差点」から道は細くなり、300号線と名を変える。私は第二目的地(高島市勝野)に到着したのだった。

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鴨稲荷山古墳の近くに鎮座する志呂志神社

2009年10月19日 | 

鴨川のほど近くに「志呂志(しろしの)神社」は鎮座している。「鴨稲荷山古墳」からは数十mの距離だ。地元の人が定期的に掃除を行っているようで境内はきれいだった。

祭神は瓊々杵尊(ににぎのみこと)、鴨祖神、玉依姫命(たまよりひめのみこと)の三柱。瓊々杵尊は天照大神の孫で神武天皇の曽祖父にあたり農業の神として知られる。玉依姫命は海神(わたつのかみ)の娘で水の神である。鴨川の氾濫を恐れる農民が五穀豊穣を願ってこれらの神々を手厚く祭ってきたことがわかる。

志呂志神社の本殿

神社を出ると鶏の大きな鳴き声が聞こえた。神社の少し西方に「かしわ肉」を扱う店があった。鶏は己の運命を儚んでいるのだろうかと思うとちょっと可哀想になった。鶏肉好きの男は「人間とはまことに身勝手な動物だ。普段は何も考えずにパクついているのに」と呟いて苦笑した。

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高島市の「鴨稲荷山古墳(かもいなりやまこふん)」を見学

2009年10月19日 | 

滋賀県指定遺跡「鴨稲荷山古墳」は畑の奥にあった。表示がなければ野原と見間違えるだろう。

横穴式石室を持つ前方後円墳は出土品の鑑定結果から六世紀前半に造られたと推定される。継体天皇擁立に尽力した三尾氏族の首長が埋葬されたという説が有力である。安曇川町の地名に三尾里(みおざと)があるが、この豪族の名に因んでいる。

鴨稲荷山古墳の説明

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大回りをして「鴨川」を越えた私

2009年10月18日 | 

初めて訪れる地では失敗を犯すものである。第一目的地へは滋賀県道23号線を南下した方が早かったが、誤って太い558号線に沿って移動し、一級河川の「鴨川」を越えた。

郵便物を配達していたおっちゃんに道を尋ねると「もう少しですよ」と慰めてくれた。鴨交差点を右折し「鴨老人憩の家」の前の道に入り表示を確認した。「随分遠回りをしてしまったな」とボヤき、ハンカチで汗をぬぐった。私は漸く「有名な古墳」のある高島市鴨(旧高島郡高島町鴨)に到着した。

鴨稲荷山古墳の標識

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黄金色に輝く鴨地区の稲田

2009年10月18日 | 

鴨地区の広大な稲田は日光を浴びて黄金色に輝いている。たわわに実った稲穂をしばらく眺めて「頭を垂れる秋の稲穂か。きれいなもんだな。町中から田んぼが消えてはや25年だ」という言葉が自然に口から出た。

この辺りでは農薬使用量を通常の5割程度に抑えて環境(河川や湖)への負荷を軽減する取り組みを行っていた。JR湖西線の高架下を流れる用水路で水生動物を観察してから「鴨川」方面に足を進めた。久しぶりの「晴れ男」に私は気をよくしていた。

高架下の用水路

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安曇川町三尾里の「式内箕島神社」に参拝する

2009年10月17日 | 

私は南を目指して歩くだけだった。高島市安曇川町西万木から同町三尾里(みおざと)に入り、境内が見えた。「式内箕島神社」に寄り賽銭をして手を合わせた。「みのしま」と読むものと思っていたら「みしま」が正しいとのこと。これだから日本語は難しい(笑)

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高島虎斑硯の看板を発見

2009年10月16日 | 

JR「安曇川駅」を出で高架に沿って南下する途中、「高島虎斑硯」の看板を発見した。高島市の産業として「扇骨せんこつ作り」は有名であるが、硯に関してはまったくの不勉強であった。

明治時代に安曇川町南西の阿弥陀山で虎斑石(こはんせき)の鉱脈が発見されて硯作りが盛んになった。その後、鉱脈は枯渇しペンの普及などにより産業は衰退の一途を辿る。現在、伝統を守る職人はただ一人になっている。

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JR湖西線「安曇川駅」に到着

2009年10月15日 | 

「近江高島駅」を出て4分後、「安曇川駅」に着いた。NHKのちりとてちん外伝「まいご三兄弟」の舞台になった安曇川(あどがわ)がどんな町なのか少し興味を持っていた私はあえて「近江高島駅」で降りなかったのである。

大量の荷物を背負ったおっさんの後に続いて改札を出た。予想以上の小さな駅に驚いた。「安曇川駅」の所在地は高島市安曇川町西万木(にしゆるぎ)である。JR赤穂線の駅並みの難読漢字だ。

安曇川駅の改札口

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新快速電車は高島市に入る

2009年10月14日 | 

田園風景をぼんやり眺めているうちに電車は高島市に入っていた。当初、「総合病院」のある「近江高島駅」で下車するつもりだったが、予定を変更してもう一駅先まで行ってみることにした。

滋賀県高島市内

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琵琶湖を海と言う理由がわかった瞬間

2009年10月14日 | 

JR湖西線の「大津京駅」を過ぎて田舎に向かう途中の風景である。私は一瞬、山陽本線に乗って「糸崎駅」を通過するような錯覚に陥った。湖はあの辺りから見える穏やかな「瀬戸内海」に酷似していた。滋賀県人が琵琶湖を「海」と言う理由がわかった瞬間だった。

琵琶湖を初めて見た中国人が「日本にも河があるんだね」と呟くのとまったく一緒である。この話をHさんから聞かされた時には思わず笑ったが、逆に自分の体験を苦笑しながら彼に語る羽目になってしまった。

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