横溝正史は小説に様々な禁忌を巧みに盛り込み、殺人事件発生の伏線にする。それから奇妙な事件が次々に起こり容疑者が浮かんでくるが、金田一耕助は振り回されるだけでなかなか犯人は捕まらない。最後に犯罪に手を染めざるを得なかった悲しい人間の生き様が明らかになる。
極悪人としては描かれない犯人に対して読者は憐憫の情がわき「自分ならばどうしただろうか」と自問自答する。これが作品を「味わい深いもの」にしているのではないだろうか。
「定石を否定することから進歩は始まる」という私の考え方は横溝作品の影響を強く受けて生まれた。仮説を幾つか立てて可能性の低いものから一つずつ潰して結論を導き出す手法(所謂理系の証明)は金田一の推理と非常によく似ているのに気づく。
疎開宅の管理人を務めるお爺さんは立ち話をした後に音声を流し障子に影絵を映してくれた。
「この家は築何年くらいでしょうか?」
「そうなー。100年以上は経っとろうなー」
「上にも部屋がありますね」
「二階へ上がるには梯子をかけたんじゃ」
「なるほど」

