東千田町の大学に私は一年半通った。昭和62(1987)年4月から昭和63年9月までのことである。日本国内はバブル景気にわいていた。キャンパス周辺の店は学生のおかげで繁盛していた。
約1万人の学生が東広島市に移住してしまって、銭湯や弱小の飲食店はことごとく廃業した。当時の活気を知る者としては悲しいものがある。
千田キャンパス南門の近くに【松浦商店】というお好み焼き屋があった。大学御用達と言ってもよいくらい学生でいつもいっぱいだった。
安くてボリュームがあったので、貧乏学生は大いに助けられた。松浦さんが店を閉めてからも店舗はそのままの状態で残っていたが、この春取り壊されて駐車場になった。


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約1万人の学生が東広島市に移住してしまって、銭湯や弱小の飲食店はことごとく廃業した。当時の活気を知る者としては悲しいものがある。
千田キャンパス南門の近くに【松浦商店】というお好み焼き屋があった。大学御用達と言ってもよいくらい学生でいつもいっぱいだった。
安くてボリュームがあったので、貧乏学生は大いに助けられた。松浦さんが店を閉めてからも店舗はそのままの状態で残っていたが、この春取り壊されて駐車場になった。


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