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そこはかとな紀

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桂離宮

2011-01-01 17:23:05 | 歴史

 桂離宮を訪れました。ここは他の観光地とは違い宮内庁に申し込んで抽選で参観許可をもらわないといけないのです。幸い12月27日の2:30の回が当たり、約30名の参観者と共に離宮の中を見学してまいりました。桂離宮と言えば書院が有名ですが、庭園がこんなに素晴らしいとは知りませんでした。しかもここの庭園は写真やTVでは体感できない素晴らしい設計で、名ガイドさんの解説も相まって感動の1時間20分でした。とにかく20歩歩くと全く違う景色になる!実に計算されつくされた庭園なのです。当時は愛宕山比叡山を借景とし、中央の池に船を浮かべて茶事を楽しんだようですな、いやー素晴らしい。


この方が 名ガイド 阿部さんです

関ヶ原 訪問!!

2010-11-07 16:29:07 | 歴史
 
石田三成布陣 笹尾山

 笹尾山より徳川家康布陣桃配山遠望 



桃配山より笹尾山遠望

のぼりが見えるところが笹尾山です
 
 折角長浜まで来たことだし 小谷城って この前行ったので ちょっと足を伸ばして関ヶ原に行ってまいりました。 笹尾山や桃配山は何にも無いからおもろない とおもてたらとんでも無いわ。やっぱり歴史ポイントで感じるオーラが出てる\(・o・)/ワア! 特にねえ 笹尾山の上で三成の感じた焦燥感なあ 毛利はどうした 島津は何をしておる 金吾!!(小早川秀秋ね)ってねええ 徳川家康の布陣した桃配山から終盤陣を進めたところまで移動してみると、かなり進出してきたのが分かるなあ。最終的には三成の陣の間近まで進出したのが分かります。そしてその目前を島津が退却していったのですね。(⌒・⌒)ゞイヤァ感動したわ

新緑の清水寺

2010-05-05 22:52:18 | 歴史
 いやー絶景絶景

小学校の修学旅行以来の清水寺に行きまして舞台から新緑の景色を堪能してまいりましたGWらしいねええ
 これが有名な音羽の滝でございまして 落語の「はてなの茶碗」の舞台にもなった茶店も確認してまいりました。

池田屋

2010-04-24 08:35:49 | 歴史
 念願の居酒屋池田屋に行って参りました。以前はトリビアでも紹介されたように、パチンコ屋でした。たしか4年前か春休みに研修として「京都龍馬巡り」した時に訪れたときはそうでした えーっとそん時の写真どっか行ってしまったわい・・。まあ今年は龍馬伝の年だし人多いかなと思ったのですが結構簡単に予約とれたし。中は大階段が再現されって これは違う映画やないか?? まあ池田屋を満喫して参りました (⌒▽⌒)アハハ!

寺田屋

2009-12-28 00:11:59 | 歴史

 竜馬で有名な寺田屋を訪れました。
 当時の建物は鳥羽伏見の戦いで焼失してしまい、我々が参観できるのは後に再建されたものらしいです。まあしかし当時の雰囲気を味わうのには充分でこんな感じの部屋に竜馬が泊まっていたのだなあということは味わえるようになっている。
 伏見は当時大阪と京都を結んでいた三十石船の始発点になっており多くの船宿が在った。三十石船は上方落語の大ネタにもなっており、当時の賑わいが活写されています。といっても、現在の交通量からは想像もできないくらい少なかったことでしょうね。有名な寺田屋ですら、この規模だったわけですからね。この三十石船は寝ているうちに大阪に着くと言うところが好評で、夜に出発したみたいですね。ただ、伏見から大阪までは川下りなので、船頭さんは舵を取ってるだけなんだけど、大阪から京都までは上りなので、人夫が延々引いていくのですよ。曳舟道これは結構重労働で、寿命も短かったらしいです。
 さて肝心の寺田屋ですが、やはり当時の建物は鴨居が低く日本人の身長が低かったことが実感されますね。お竜さんの駆け上った階段も一応あるのですがこの階段は再建の後さらに増築されたものらしいです、ちょっと残念かな。
 ですから内部にある弾痕や刀疵はおそらく龍馬が襲われた時のものではないわけです。
まあ龍馬を偲んでという意味では、TVドラマ見るよりよっぽど正しい方法なのかもしれません。古地図を見ると寺田屋の正面に寺田屋の浜があり、専用の港なわけで、寺田屋が薩摩藩御用達の船宿だった理由もわかるというものですね。

伏見の酒蔵

2009-12-28 00:06:43 | 歴史

 龍馬ゆかりの寺田屋を訪れ、ついでに、伏見の酒蔵を訪問した。ここには有名なもので黄桜酒造、月桂冠酒造がある。そのほかにもい中小の酒蔵があり、江戸時代からの伝統を今に伝えている。酒蔵が成立するには条件が二つある、第一の条件はおいしい水である。当然おいしい米も必要だがこれは運んできたら終いであるから、別にかまわない。おいしい水が潤沢にないと銘酒が生まれない。京都は古くから名水で有名であり今でも、市内には古井戸が今でも数多く残っている。
 第二の条件は水運である。生産された清酒は、重量もかなりのものであり当時の運搬手段では水運に頼らないと、消費地に運ぶことができない。
 兵庫の灘もその点条件に合致しており、伏見もまたそうである。ちなみに大阪は名水に恵まれず、酒蔵はほとんどない。
 黄桜酒造の記念館と、月桂冠の大倉記念館を訪問して、改めて当時殷賑を極めた伏見の様子を想像することができた。また酒造の過程も想像していた以上に大がかりで、大量の清酒がここから江戸に運ばれていったというのもうなずける。大吟醸のための精米は本当に米を1/4ぐらいにしてしまうのも目の当たりにできて興味深かった。



また 大倉記念館では酒造りに使われる水を飲むことができる。実にまろやかな味でした。



NHK幕末知られざる決断 徳川慶勝

2009-09-23 08:56:46 | 歴史
 NHK幕末知られざる決断 徳川慶勝を見ました。いい内容で勉強になると同時に、感動しました。
 
というのも彼は尾張藩主だけど、養子であの有名な高須松平家の出なのですよ。ということは松平容保や松平定敬などが実弟なわけです。高須松平家は男児の出来が良く文武両道にたけ健康だったため多くが養子になり、桑名藩会津藩水戸藩一橋家などの当主になりました。慶勝自身も御三家の一つ尾張家の当主になります。しかし最も興味を引かれたのは、彼が取ったの実弟たちの写真。徳川茂徳松平定敬 このお二人のお顔を良くご覧ください。
 いわいるあばた面です、この二人は幼少期に天然痘にかかってその後遺症がこうして残っているわけなんだね。現在では駆逐されてしまった唯一の病気がいかに恐ろしかったかがうかがい知れる写真ですね。あ、当時の写真顔が黒ずんで映ってるのは健康状態が悪いんじゃなくて、当時の写真が肌色に感光しにくかったためです。そのため顔に白粉を塗って写すのが普通だったとか。