めいほうは 梶原景季の乗馬した名馬 磨墨の故郷らしい
道の駅でも 梶原景季よりも 磨墨のほうが主役やし (⌒▽⌒)アハハ!
岩倉の実相寺を拝観 話題の床緑(ゆかみどり)は想像以上に綺麗でした。GWあけなので土曜の午後なのに人はガラガラ。紅葉の秋は順番待ちになるくらいらしいのですが、ゆっくり鑑賞できました。
ついでに岩倉具視幽棲旧宅にも立ち寄りました。
瀬田の唐橋の欄干の塗り替え工事をやっております。 へうげものにも登場したギボシも外されてちょっと変な感じ
しかしこんなへんな色になるとはなあ ( ̄ヘ ̄)ウーン黄土色?昔どおり朱色にしようぜ、ねえ。
録画してあった南極大陸最終回をやっと見れました。デジタルならではの美しい映像とストーリーに感動・・。なんですが、ちょっと見方を変えるととんでもないはなしになるのです。
生き残った二頭の犬の生命力には驚くばかりですが、いったいこの犬は何を食べていたのか?
当然ペンギンやアザラシでしょう。ドラマ中では凍った魚を食べるシーンしか出てきてませんが、きっと環境問題やらなんやらあって(ほんとは安っぽいヒューマニズムやとおもうけど)ペンギンやアザラシを襲うシーンを意図的に描写しなかったのだと思います。
実際南極大陸のペンギンやアザラシにしてみればとんでもない話で何十万年も大陸に存在しなかった獰猛でずる賢い肉食獣が毎日ハンティングを行なうわけですから、それこそエライコッチャだったと思うのです。南極大陸に生活しているペンギンやアザラシにしてみれば美談でも何でもなく、災厄以外の何者でもないわけですわ。
同様に年末のこの時期必ず話題になる 忠臣蔵も見方を変えると・・・
松の廊下の刃傷事件その原因は実際のところ謎で、芝居や映画では吉良上野介がいかにも意地悪をしたと、繰り返し描写されていますがあくまでも憶測に過ぎません。ひょっとして浅野内匠頭はただ単に錯乱しただけでさしたる理由もなく斬りかかった可能性も十分考えられるわけです。
もしそうだとすると、吉良はなんの落ち度もないのに、朝廷からの使者を迎える大切な朝に突然松の廊下で切りかかられ。相手の家臣団から勝手に敵呼ばわりされ、突然屋敷に乱入されて首をはねられ家臣は主家を失って路頭に迷い、江戸中から悪人呼ばわりされるという仕打ちにあったわけです。
いやはや 美談の影には・・ですね
会津中将 松平容保公の陣屋跡である。実はここが目的ではなく うさぎの神社のついで
(T▽T)アハハ! しかし思った以上に素晴らしかったわ
なんといっても会津藩の墓地が感動もの。はからずも賊軍と呼ばれ日陰者の運命をたどった会津藩殉職者の方のお墓は、香華を手向ける方も少なく、ひっそりと佇んでいました。いま故郷の福島県はまた大変な局面ですが、お力を貸してくださいね。
帰りにはほんと夏らしい夕立に 凄かったわ
雨宿りしたお店 うまかった
JIN ついに最終回 グスン
コミックで結末はわかっているつもりだったのに、コミックとはぜんぜん違う以外な終わり方にびっくりと感動。(‘-‘*)(,_,*)(‘-‘*)(,_,*) ウンウン
いやー原作も終わっているしこれ以上の続編はないですよね、残念。しかも龍馬好きの私にとっては、龍馬伝の龍馬よりJINの龍馬の方が本物の雰囲気というか、生き写しじゃないの?と思わせる点がよくありました。
ところで、ドラマからもわかりますが、あの時代の西洋医学は、解剖学と外科手術に関しては東洋医学に抜きん出ていましたが、そのほかは実はたいしたことがなかったのです。長崎で西洋医学を伝えたシーボルトにしても、現在お医者さんといえば欠かせないツールの聴診器も無く、患者と接するときには前後でよく手を洗う、ということすらやっていませんでした。おまけに当時西洋で使われていた薬はほとんど薬効が無く、その点では現代も使い続けられている漢方薬の方が優れているといえるのではないでしょうか。まあその後西洋医学は飛躍的に伸びるのですけどね。何でも西洋のものが優れていて、日本や東洋は遅れているという考えはいい加減やめにする時が来ているのではないでしょうか。
2週間後に迫った父の一周忌を目指して現在我が家の歴史DVDを作成中です。
実は戦前生まれの父の戸籍謄本にはなんと江戸時代生まれの曽祖父母(私にとっては曽曽祖父母になります)の戸籍が付いてくるのです。その生年を見て(ノ゜⊿゜)ノびっくり!!しました。なんと曽祖父 利平 天保九年生まれ ひさ 弘化四年生まれなんですわ。越前国浜四郷村とか書いてあるし、ほんとにビックリしました。これらの資料をもとに古写真群を組み合わせ、もう年老いてしまった叔父叔母たちのためにDVDを作成しているのです。
おやじの葬儀のビデオが リンクはコチラ
(*^-^)ニコ 一晩の突貫工事だったのに対して、こちらはちょっと長丁場なのと内容が盛り沢山なので、編集で苦労しています。
兄弟の居ない私にとって同じ実家(物理的にも空間的にも)で生活した叔父叔母たちは最大40歳以上年は離れていますが、やっぱり家族同然です。小学校5年生まで暮らした明治建造の旧家も今となってはいい思い出デスネ。
木之本にパルテノン神殿が !!
このエンタシスの柱を見よ!実はこれは 滋賀銀行木之本支店!!
建設 昭和10年でした いやーまいった こんなに渾身の力が入った建築が
今は鄙びた木之本にあるこのアンバランス 北国街道ぞいの往事の殷賑がしのばれるけど
完全に時代の波に逆行してるし。あだ花だなあ ほんと。