そこはかとな紀

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京都鉄道博物館

2016-05-30 18:25:44 | 博物館

 行ってきました京都鉄道博物館!

おいら別に鉄じゃないんだけど 楽しかった

そもそもUSJ TDLやハウステンボスなんかは所詮偽物じゃないですか。動かないとはいえ、本物ばっかり並んでるここの凄さな。いや動くのもあるしさ。感動モンだね 

 

 

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金環日食

2012-05-21 16:27:19 | 博物館

 金環日食を観測いたしました 一番落ち着いて観測できるのは当然 職場 

いつもよりも1時間早く出勤して同僚と観測 ヽ(´Д`ヽ)(/´Д`)/イヤァ~感動した

しかし部分食だときっと古代人は気が付かなかったのではないのだろうか。食の最大の時でも

あたりは明るかった ちょっと薄暗いかな?という程度それくらい太陽の光度はすごいって言うことだ。

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wataridori

2011-10-03 22:41:19 | 博物館

 渡りが始まりました あきだなあ シミジミ

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うさぎの神社

2011-08-15 22:28:22 | 博物館

京都岡崎神社

かわいいんだけどどれもここ最近のもの。

まあ経営戦略としては正しいのかもしれないけど

社務所のしょくいんせめてTシャツはやめて欲しいし

お守りを投げてよこすのはやめてね

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梅小路機関車館

2010-12-26 21:57:30 | 博物館

 梅小路機関車館に行ってまいりました
むちゃむちゃ寒い(((゛◇゛)))カタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタ
日でしたが 鉄男もいっぱい??
いやあ 鉄の固まりが蒸気で動くって歴史を感じて感動
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中江藤樹記念館

2010-05-22 21:25:23 | 博物館

 中江藤樹記念館を訪れた
 近江の偉人と言うことだがイマひとつ業績なり思想などわからない方である。しかしいきなりの中国庭園(陽明園)にはおどろいた。奇石と龍に囲まれた色鮮やかな東屋 (-_-)ウームここは一体どこやねん。しかしこの庭園の名前は「陽明園」なるほどきっと彼は陽明学者だったのだ。しかし陽明学者の記念館に中国庭園なら、フランス哲学者の記念館にはエッフェル塔か??ちょっと奇異な感もあるアプローチであります。藤樹記念館で彼の生い立ちから業績について学びました。生い立ちはちょっと複雑で、安曇川で農民の子として9歳まで過ごすが、9歳で武士の祖父に跡継ぎとして引き取られるとあります。(-_-)ウームこれはいわいる鬼平犯科帳の長谷川平蔵と同じではないですか。つまり彼はたぶん庶子だったのですね。ところが当時のこと、跡継ぎが絶えて彼に白羽の矢が立ったのでしょうねえ。そして米子に引き取られるが、藩の転封により四国の大洲で成長するのです、学問も得意で最初は朱子学を学ぶが、途中から陽明学に傾倒したとあります。陽明学は幕府にとって正統な学問朱子学の何よりも秩序を重んじる考えと全く反対の立場 知行合一! つまり正しいと思ったことはすぐ実行しなくてはならないという思想です。養子にもらわれてからの藤樹が母のアカギレを聞いて取るものも取り敢えず駆け付けると「学問を途中で放り出してどういう事だ」と逆に叱られ、家の中にも上げてもらえなかったとか。それが戦前の尋常小学校の教科書には美談として載っていたそうです。
 結局母への思いが断ち切れず、なんと脱藩して安曇川に帰ってきたとか。脱藩と聞いても、どうも現代の我々は辞職ぐらいにしか思わなかったけれども、それが実は武士にとっての大罪であることは、吉田松陰や坂本龍馬の例から理解できますねえ。そしてなんとか村人を相手に私塾を開き「近江聖人」と呼ばれるようになるのですが、折角門人たちの努力で立派な塾の建物が完成した直後に彼は病没してしまうのです・・。しかしこれがそこで終わってしまわずに現在も藤樹院や墓所の手入れが集落の方たちの手で行われているのはすごい事ですね。
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紅葉と金閣寺

2009-11-23 22:22:16 | 博物館
 紅葉狩りに 金閣寺へ行って参りました

圧倒的な存在感 っていうか義満の感覚が国際感覚豊かで
日本の感覚とちょいと違うのだということが良くわかる
異次元体験でした いやそれにしても紅葉が美しかった
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文化ゾーンも紅葉が始まりました

2009-11-01 11:14:21 | 博物館
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玄宮園 虫の声を聞く会

2009-09-23 10:10:14 | 博物館
国宝彦根城、のお庭玄宮園の虫の声を聞く会ってのがすごく良いのです。木曜日には雅楽の演奏もあって、虫の声とあいまって幻想的なことこの上なし。11月には紅葉のライトアップもあるとか、いやーいいですね。
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関宿場町

2009-09-06 21:52:36 | 博物館
 関宿場町がけっこうよかった
まず奇跡と言うほど町並みがよく保存されている。当時の東海道に立って街道沿いに見ると、旧東海道の道筋とそれに沿った宿場町の町屋の町並みが、がうねうねと、曲がりながら続いている。定規で引いたような直線の街路に慣れている私たちには本当に新鮮で珍しい風景だ。


 そういや、なんか彦根城の自然木をそのまま使った梁の木組みを思い出した。現代社会ではすべてが規格品で、同じような製品や町並みが全国にあふれているのに対して当時は違ったのだ。日本中の町並みがこのように優しいフリーハンドで描かれた町並みだったわけだから逆に平安京や平城京の町並みが如何に衝撃的だったかがわかると言うもの。当時は自然に人間が合わせていたのですね。
 町を歩くとゆうに2kmちかくの街並が往時をしのばせる。これは関が江戸時代は交通の要衝だったのに、鉄道や、国道などの後世の交通機関と程よく距離を置き開発が進まなかったことが大きい。歴史を調べると最初の町並み保存の意見が出されたのは昭和5年 つまり1930年と言うのだから驚く。関宿旅籠玉屋歴史資料館・関まちなみ資料館は本当に保存状態もよく、当時のままの建物が参観することができる。


 思うに江戸時代はわれわれが想像する以上に豊かで、熟成された時代だったのではないのだろうか?
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