タイトルは죽은 자와 산 자
死んだ者と生きている者 です。
~者は同じ漢字で 자 を使います。
時制が過去連体形で산 자 ですが、これは生きたものというより生きているもの、って解釈でいいのかなぁ。と思います。
特に日本語で「~ている」という状態になるときに、韓国語で過去形を使うというか、形容詞的に解釈すると言うか、考え方はいろいろあると思うんですけど。
よく見る(聞く)のはこの形。
가진 자의 여유
これは日本語だと慣用的に「持てる者」と言いますね。
これも現代語的に解釈したら「持っている者」ですよね。
特に가지다は連体形で 가진 것 も 가지는 것 も両方見かるんですけど、深追いしないでおきます。
ただ、자 の前が必ず+(으)ㄴになると言うわけではなく、
김영수のイ・サン受賞作では『산책하는 자의 다섯가지의 즐거움』というのがあります。
中田さん、死んじゃいましたね・・・。
日本語でも一般的な表現ではないと思うのですが、「死に続けていた」は、
ひとつは 죽은 채로 있었다.
もうひとつは 나카타씨의 시신은 계속 누워 있었다.
となっています。
日本語は同じことだったら同じ言葉を繰り返し使いますが、韓国語ってできるだけ同じ言葉を繰り返さないようにしているのではないかな?と感じることがあります。
みなさんどうですか?
死体は、시신[死身] 시체[死体]とも出てきていますが、全くの固有語で 주검 と言う言葉もあります。
授業で사람は、分けられるか、分けられないかという質問が出たことがあって、私は分けられないと思ったんですが、留学生は
「現代語だったら分けられないけど、古語だったら살と암で分けられます。」と言うんですね。
사람は 살다の살+암 で「生きているもの→人」
주검は 죽다の죽+엄 で「死んでいるもの→死体」なのですね~。
(암と엄は母音調和の違い)
試験には出ませんが・・トリビアです^^
ベートーベンの台詞の「成りゆきってもんがあるんだ。」は、自分で訳そうとしたらすごく悩みそうですが、
어찌어찌하다 그렇게 된 거니까.
となっていますね。なるほど。
~하다 +過去形 の「~してるうちに(後ろは非意思形かな?)」の文型が成りゆきって言葉にぴったりですね。
「なりゆきでこうなったんですよ」
だったら
어쩌다 이랬어.
어찌어찌하다 이래버렸죠.
なんて言えばよさそうです。
어찌어찌하다 は辞書にはありませんが、어찌하다 어쩌다 でしょう。
~하다 の前の言葉を繰り返す言葉が時々あって、
고민고민하다と 불안불안하다はきいたことがあるんですけど、どんなルールなのかはよくわかりません。
とりあえず、そういうこともあるよ~ということで。
46章は、星野君が一人で返事をしない中田さんと、返事をしない石に話しかけています。
말이야, 말이지, 하자구 の形は、口語的だけど、二人で対話しているのではなくて一方的な語りかけ体とでも呼べそうです。
実はこれ、ラジオではよく聞く形。
DJがリスナーに語りかけたり、リスナーのお便りの文章だったり、返事が期待できないけど親しみをこめたい場面で使うんでしょうね。
別にラジオでなくても親しい人に手紙を書くときに使えそうです。
죽은 자와 산 자 と世界をふたつに分けるのが、カフカの世界なのかな。と思いました。
次の「カラスと呼ばれた少年」は★honeybee★さんです。
よろしくお願いします。
あと少しですね~。がんばりましょう。
死んだ者と生きている者 です。
~者は同じ漢字で 자 を使います。
時制が過去連体形で산 자 ですが、これは生きたものというより生きているもの、って解釈でいいのかなぁ。と思います。
特に日本語で「~ている」という状態になるときに、韓国語で過去形を使うというか、形容詞的に解釈すると言うか、考え方はいろいろあると思うんですけど。
よく見る(聞く)のはこの形。
가진 자의 여유
これは日本語だと慣用的に「持てる者」と言いますね。
これも現代語的に解釈したら「持っている者」ですよね。
特に가지다は連体形で 가진 것 も 가지는 것 も両方見かるんですけど、深追いしないでおきます。
ただ、자 の前が必ず+(으)ㄴになると言うわけではなく、
김영수のイ・サン受賞作では『산책하는 자의 다섯가지의 즐거움』というのがあります。
中田さん、死んじゃいましたね・・・。
日本語でも一般的な表現ではないと思うのですが、「死に続けていた」は、
ひとつは 죽은 채로 있었다.
もうひとつは 나카타씨의 시신은 계속 누워 있었다.
となっています。
日本語は同じことだったら同じ言葉を繰り返し使いますが、韓国語ってできるだけ同じ言葉を繰り返さないようにしているのではないかな?と感じることがあります。
みなさんどうですか?
死体は、시신[死身] 시체[死体]とも出てきていますが、全くの固有語で 주검 と言う言葉もあります。
授業で사람は、分けられるか、分けられないかという質問が出たことがあって、私は分けられないと思ったんですが、留学生は
「現代語だったら分けられないけど、古語だったら살と암で分けられます。」と言うんですね。
사람は 살다の살+암 で「生きているもの→人」
주검は 죽다の죽+엄 で「死んでいるもの→死体」なのですね~。
(암と엄は母音調和の違い)
試験には出ませんが・・トリビアです^^
ベートーベンの台詞の「成りゆきってもんがあるんだ。」は、自分で訳そうとしたらすごく悩みそうですが、
어찌어찌하다 그렇게 된 거니까.
となっていますね。なるほど。
~하다 +過去形 の「~してるうちに(後ろは非意思形かな?)」の文型が成りゆきって言葉にぴったりですね。
「なりゆきでこうなったんですよ」
だったら
어쩌다 이랬어.
어찌어찌하다 이래버렸죠.
なんて言えばよさそうです。
어찌어찌하다 は辞書にはありませんが、어찌하다 어쩌다 でしょう。
~하다 の前の言葉を繰り返す言葉が時々あって、
고민고민하다と 불안불안하다はきいたことがあるんですけど、どんなルールなのかはよくわかりません。
とりあえず、そういうこともあるよ~ということで。
46章は、星野君が一人で返事をしない中田さんと、返事をしない石に話しかけています。
말이야, 말이지, 하자구 の形は、口語的だけど、二人で対話しているのではなくて一方的な語りかけ体とでも呼べそうです。
実はこれ、ラジオではよく聞く形。
DJがリスナーに語りかけたり、リスナーのお便りの文章だったり、返事が期待できないけど親しみをこめたい場面で使うんでしょうね。
別にラジオでなくても親しい人に手紙を書くときに使えそうです。
죽은 자와 산 자 と世界をふたつに分けるのが、カフカの世界なのかな。と思いました。
次の「カラスと呼ばれた少年」は★honeybee★さんです。
よろしくお願いします。
あと少しですね~。がんばりましょう。