「玉川上水に親しむ会」へ入会-活動記録

20年前、玉川上水の市民講座に参加された方々が、立ち上げられた「玉川上水に親しむ会」に入会が叶いました。活動を記録します

玉川上水探索-5月23日「一橋学園駅~三鷹駅」その3(梶野橋~境橋)

2015-05-28 20:00:00 | 日記

快晴を覚悟して出かけた玉川上水散策ですが、

薄曇りの空模様と見事な巨木に助けられ、却って気持ちよく歩けます。

 

梶野橋へ到着

橋の手入れは殆ど無し。名盤も剥がれ落ちたままです。

玉川上水の流れも穏やか、緑がとても元気です。

テントウムシも、・・・。

木陰になる北側の側道を歩きます。

 

少し狭い道幅ですが、対向者がほとんどありません。

上水では珍しい陸橋「桜橋歩道橋」をくぐります。

新橋到着

 

新橋南側の紫陽花

 

三鷹方向へ進むと、一寸開けた場所に目立つ水栓があります。

川の中ほどに並んで立つ木も、気になります。

以前何かしらの施設があったのでしょうか?

(千川上水の取水口跡、と教えて戴きました。)

 

 

対岸からは降り口が有り、鉄製の渡り板が置かれています。

 

曙橋に到着、親子の会話が微笑ましい、・・・・。

 

通り過ぎてきた水栓が気になり、上流を見返ります。

先ほどの仕様がどうしても気になり、南側の側道を戻りまして、・・・・・・。

やはり、取水口があったような感じです。

間違いないと思い込み、曙橋へ戻ります。

 

5月28日深夜・ご指導頂いている櫻井様より、メールが届きました。一部を抜粋して追記させて頂きます。

曙橋の上流の二つの分水口跡は千川用水の分水口です。

以前は、草に埋もれており茂みの中で探すほうが大変でした。

撮影は冬場に行かなければ無理でした。

 千川用水は五代将軍・綱吉のゆかりの地に引水された上水で、後に農業用水にも 使われた分水です。

現在も途中までですが、玉川上水と同じ再生水が流されています。(境水衛所で分水)

 

「曙橋」上流の二つの分水口ですが・・・

千川用水は、明治3年 に、新堀用水につながれたのですが、一番流末なので水量が少なく

再び上水から直接分水しなおした経緯があり、その時の分水口が下流側の堰があ るところです。

上流側の杭があるところは、明治13年 から明治43年まで千川水道として使われたときの名残です。

 

上記メール情報は、ブログを見て戴いて、疑問点をご丁寧に教示頂きました。

櫻井様、いつもご指導有難う御座います!!

 

鯉が物凄い量泳ぎ、餌を欲しがっています。

 

くぬぎ橋到達

 

玉川上水の北側を進みます。

流れがはっきり見える高さになりました。

もみじ橋到達

 

橋は狭いですが、手入れは行き届き、良い環境に見えます。

 

次いで、堺橋到着

境橋水衛所跡があります。

 

水衛所跡ほぼ全景

 

案内板

 

安全柵

 

分水口があります。

左が千川上水、右は玉川上水へと流れます。

左側の千川上水口。

 

右側は玉川上水へ流れます。

 

分岐の上、蝶が休んでいました。

 

 

うど橋到着

流れが見えないほどの木々が茂っています。

側道の隙間から上水を眺めます。

以下櫻井様より戴いた情報。

「うど橋界隈は、東京うどの栽培地が多くあります。」

 

独歩橋

 

とても新しく、他の橋と一寸違います。

国木田独歩に由来する橋のようです。

南側の側道を進みます。

{このさらに南側に、国木田独歩氏が愛した「独歩の森」が拡がっているそうです。}・・・櫻井さん情報。

 

境橋が見えてきました。

境橋交差点に到達、此処から北側に境浄水場が広がります。

 

国木田独歩の碑があります。

 

 

車の通りが極端に多くなり、道幅も広い道になりました。

なんとなく三鷹が近づいてきた雰囲気。

 

時間は12時12分ですが、おにぎりの準備をしてこなくて、お腹が空いてきました。

しかし、食事処はゼロ。 

もう少しで三鷹だ。  一寸我慢!!



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