江戸時代の初期、江戸の人口が増えて、飲料水の不足が懸念され、玉川上水が計画された。
昭和40年の淀橋浄水場の廃止に伴い、玉川上水に水が流れることは無くなりました。
しかし、流域住民の方々のご努力により、浄水ではあるが浅間橋まで流される今日。
(今回の実踏で、玉川上水は神田上水へ流れ込む仕掛けを教えて戴きました。ビックリです!!)
江戸時代を思わせる上水の流れを直視できるのは、今回の踏破が最後です。
山本有三記念館い立ち寄り、小休止。
小雨がぱらつく中を、踏破再開です。
吉祥寺通りに架かる「萬助橋」に到着。
八代目萬助氏が昭和26-30年ごろに書いたと言われる文字が未だ残る。
下流側欄干
此処から下流部分は、井の頭恩寵公園。
ホタル橋まで下り、
牟礼分水口跡を見に戻ります。
左が取水堰、右中程が取水口跡と思われます。
渡れそうですが、今回は渡りません!!
部分的に色が変わった案内看板
左岸の「松本訓導殉職の碑」を見学
身をていして生徒を守った先生・松本氏の説明パネル。 (大正8年)
公園を抜け、井の頭池方向へ歩きます。
かなりの段丘があり、江戸の人の造詣の深さに感動します。
小雨に煙る井の頭池
井の頭弁財天を眺める。
神田川の源流だったらしく、湧き水が流れ始めた場所だそうです。
現在は涸れ、ポンプで吸い上げた水を流しているそうです。
後方の巨大なマンション建設が、水涸れの原因という人も居るそうな、・・・・。
お茶の水の由来、説明。
弁天橋北側に立つ親之井稲荷跡の案内看板
井の頭弁財天へ到達
以下次回へ・・・・