「永遠の武士道」研究所所長 多久善郎ブログ

著書『先哲に学ぶ行動哲学』『永遠の武士道』『維新のこころ』並びに武士道、陽明学、明治維新史、人物論及び最近の論策を紹介。

石田梅岩に学ぶ⑦「我が倹約するは世を貪り度思ひを止めんが為なり。」

2021-08-18 07:27:25 | 【連載】道の学問、心の学問
「道の学問・心の学問」第六十六回(令和3年8月17日)
石田梅岩に学ぶ⑦
「我が倹約するは世を貪(むさぼ)り度(たき)思ひを止めんが為なり。」
                  (『石田先生語録』)

 石田梅岩と言うと「倹約」の哲学と言っても良い程に、梅岩は「倹約」を推奨し、実践した。山本七平は『勤勉の哲学』の中で、「梅岩は生涯独身で、きわめて質素な生活をしており「歿後宅に遺りし物、書三櫃、また平生人の問に答へ給ふ語の草稿、見台・机・硯・衣類・日用の器物のみ」であったという。「文字芸者」でない彼は、自らの主張をそのまま実行しており、その生涯はまさに、彼が意味したところの「倹約の生涯」であった。」と記している。

 梅岩は何故、「倹約」を強調したのか。「私が倹約するのは、世の中の様々な事を貪る様な卑しい思いを止める為なのである。私が倹約を守ったからと言って、元々貧乏で福も無い身の上だから、倹約する事でお金の一銭や米の一合を世の中の人に施す事にはならないが、私が貪らない分は、世の中の他の人に施される、というのが理(ことわり)なのである。」。更にそれを政治に及ぼすなら、「為政者が、例え民を恵みたいとの志があっても、財宝の蓄えが無い時は、恵みたいとの志も徒(いたずら)なものとなってしまう。水害が起こり、国や村や里で堤防が決壊し山が崩れた時に、橋を建て替える事が出来れば、万民が難儀に及ばなくなるのも、日頃倹約を守っているから出来る事なのだ。」「倹約を守る事は義を積む事と同じである。義を積めば仁は其の中にある。」

 他の所でも梅岩は「倹約と言う事は、世俗の説とは異なって、自分の為に物事を吝(しわ)くする意味ではない。世界の為に、三つ要る物を二つで済む様にする事を倹約と言うのである。」(『遺芳録』)と述べている。

梅岩の言う「倹約」は己の私欲によるものでは全く無い。自分が生きている、共生している世界全体の為に、自分が出来る節約を言うのである。それ故に、倹約を行う事は、世界全体を考える事であり、正義の行動であり、他者を思いやる事に繋がるのである。

 倹約を人に勧める事について梅岩は「私が倹約を言うのは、人々を生まれながらの正直な姿に戻したいからである。天が人間をこの世に下し、万民は悉く天の子である。人間は小天地と言って良い。それ故、元々私欲は無いはずだ。」「私の物は私の物で、人の物は人の物である。貸し借りをきちんと行い、毛筋ほども私が無く、ありのままにする事が正直である。この正直が行われるならば、世間一同が和合して、四海兄弟の様になるであろう。私が願うのは、人々をここに至らしめたいからである。」「欲心に蔽われて、此の正直を行わずに、あさましい交わりとなって行くのは何と悲しい事では無いか。それ故、私はこの十五年来、この私欲を離れる事の重要さを説いて来た。私欲程世に害を為すものは無い。この事を思わずに為す倹約は、皆吝(しわ)きに陥り、害を為す事甚だしい。私が言う所は正直から行う倹約なので、人を助ける事となるのである。」(『斉家論』下)

 現代は「消費の時代」と言われ、使い捨てを推奨するが、地球全体の事を思えば、今日こそ梅岩の言う「倹約」の精神が求められている時は無い。道に志す者それぞれが「倹約」を実践し、人々に少しでもそれを施して行く精神が大切なのだと思う。


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