「永遠の武士道」研究所所長 多久善郎ブログ

著書『先哲に学ぶ行動哲学』『永遠の武士道』『維新のこころ』並びに武士道、陽明学、明治維新史、人物論及び最近の論策を紹介。

済々黌先輩英霊列伝㉒「武藤正弘 第一線決死中隊長として中支・常徳城一番乗りを果たし、激闘の末に戦死」 

2021-03-09 16:45:41 | 続『永遠の武士道』済々黌英霊篇
士官学校卒業恩賜組・聯隊旗手
武藤 正弘(むとう まさひろ)S15卒
「第一線決死中隊長として常徳城一番乗りを果たし、激闘の末に戦死」  

 武藤正弘は大正11年9月に生まれた。済々黌1年を終了して東京幼年学校に進んだ。隊付は名古屋の歩兵第6聯隊となる。昭和16年7月陸軍士官学校(第55期)を卒業、優等に就き恩賜品を拝受した。9月に中支派遣軍第三七〇二部隊(第3師団・歩兵第六聯隊)付として中支漢口に上陸。聯隊旗手に任じられる。18年3月第十中隊長を拝命、11月の湖南省常徳城攻略の最先鋒(決死隊長)を命じられた。

この年の9月、太平洋方面でのわが軍の劣勢が続く中、我が国は絶対国防圏を構想し、その守備兵力としてシナ大陸方面の戦力を大量に転用する事とした。既に10月には先遣隊がマリアナ諸島へと出発を始めていた。特に第3師団の属する第11軍(華中方面に展開)は、精鋭3個師団の転出が予定された為、第11軍司令官横山勇中将は、自軍の戦力が十分なうちに出撃して中国側の戦力を削ぎ、以後の防衛作戦を容易にするという作戦を立案した。具体的には、中国の第6戦区軍の拠点である常徳に侵攻して、守備隊と救援にくるだろう中国軍を捕捉撃破した上で撤収するという、積極防御作戦だった。

11月25日、第6軍は常徳城に総攻撃を開始、深更、武藤中隊は常徳北方城壁に最先鋒として突入し一番乗りを果たした。敵は逆襲を反復して失地奪回を図ったが、武藤中隊はその都度撃退して占領地を固守した。しかし26日、武藤中尉を敵弾が襲い武藤は戦死した。

戦死の日の武藤中尉と常徳城壁での攻防について、陸士同期生の金子英夫中尉が記しているので、それを紹介する。

「二五日夕方、武藤正弘が我が陣地に来た。前面の敵情を見つつ、渡河及び渡河後城壁突入までの手順を説明してくれる。そしてこれに協力する射撃の要領を打ち合わせる。私は開口一番、武藤に「おいこりゃ生きて帰れんぞ」と言ってしまった。武藤はすでに覚悟している様だった。「うん」と軽くうなづき「聯隊長も死んだ」とつぶやいた。生きられそうも無い状況で、同期生二人静かに語り合った。彼が死を決しているのがよくわかる。肩に下げた防毒面の袋から「もういらない」と言って、缶入り煙草と紙に包んだ駄菓子を私にくれた。数時間後に死ぬかもしれない同期生を、なんと言って励ましてやるべきか言葉が出ない。よし彼を死なせないぞ。死なしてたまるか。一発一発彼の行手の敵に必中させ、敵を皆殺しにして、彼と彼の中隊のために射撃をしなくてはならないと決心した。私の部下達も、武藤が私と同期であることをよく知っている。部下にもその気持ちが通じたのか必死で準備している。

 二五日二四〇〇、歩兵聯隊の重火器は勿論、全砲兵の一斉射撃が開始された。曳光弾が矢のように飛ぶ、城壁に命中した砲弾は真赤な火の玉となる。一瞬にして耳をつんざく万雷のひびき。(略)

 歩兵はそれぞれ自分の乗るべき舟を担いで、沅江に次々飛び込む。数十隻の小舟は一斉に対岸に向かう。私は、無中で撃ちまくる。虚をつかれた敵からの射撃はない。無事の到達を祈る。然し敵もさるもの、寸時をおかず熾烈な射撃を開始してきた。また敵は常徳城壁と沅江との間に密集していた民家に火を放つ。民家が次々と燃え上がる。真っ赤な炎が河面を赤く染める。(略)その間を突いて、黒く見える多数の小舟がグングン進む。(略)敵弾の水しぶきを物ともせず、敵前渡河の小舟は次々と対岸に到達する。(略)渡河成功の青信号が上がる。予定通り城壁を撃ちまくる。必死になって城壁をよじ登った友軍が、敵の逆襲により射たれて城壁から落ちるのも見える。城壁上は友軍と敵が交互に争奪している。わが中隊は、敵が城壁上を飛び回っているときは城壁上を、友軍が城壁上に登れば城壁の後方の建物から射撃する敵を撃つ。渡河部隊の主力は城壁にへばりついているらしい。敵は退路を断たれたため、城内から続々と兵力をつぎ込んでくる。

 攻防は朝になってもやまないばかりか、日中になってますますこの争奪がはげしくなる。対岸に立って「弾を送れ」と叫んでいる兵の声も聞こえる。やがて東門の占領の知らせとともに、勇敢に死闘を繰り返した武藤中隊長も、多数の部下とともに戦死したという悲しい知らせを受けた。

 頑強に抵抗する敵の退路を開放し、常徳北門に転進、城内に突入した。道路の要所要所のトーチカを零距離射撃で潰し、堅固な建物から射撃して来る建物を破壊しつつ包囲網を圧縮した。猛攻八日目、敵は完全に投降した。

 武藤中隊長の善戦した東門付近の城壁は、彼我の戦死者が折り重なって、山を成していると聞いた。遺体の収容が行われた。武藤、君の敵は殲滅したぞ。武藤の英霊よ、静かに眠れ。好青年だった武藤、美男子だった武藤、君の思い出を忘れることは出来ない。」


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