「永遠の武士道」研究所所長 多久善郎ブログ

著書『先哲に学ぶ行動哲学』『永遠の武士道』『維新のこころ』並びに武士道、陽明学、明治維新史、人物論及び最近の論策を紹介。

利根氏の告別式に参列して

2006-07-07 00:31:08 | 日々の出会い・感動
急逝した利根洋一氏の告別式出席の為、日帰りで高知県土佐山田市まで行ってきた。今週、今日だけは動かせない他の予定が入っていなかった為に駆けつける事が出来た。福岡空港で利根氏の愛媛大学での活動の先輩となるK氏(佐世保市在住)と一緒になった。利根氏は医学部という事もあって、学生時代にはあまり目立ちはしなかったが、他のメンバーが日本文化研究会というサークルを作った時には、利根氏は自分で兵法研究会を作ったそうである。正に独立独歩の人であり、自らの信念に生きた人であった。

土佐竜馬空港で日本協議会本部から駆けつけた西澤氏、愛媛の越智君と合流し土佐山田のご自宅に向かった。昼過ぎにお母さん、奥さんにご挨拶をしてご遺体に手を合わせた。お話によると、亡くなられた当日は、郷土史の研究の為に田舎の方の神社に行き、その途中で具合が悪くなられたが、携帯電話の電波が届かない辺鄙な所だった為に、手遅れとなってしまったそうである。葬儀には非常に多くの方々が参列され焼香が延々と続いた。小児科医として、地区の医師会の会計担当として、更には日本協議会・日本会議高知の実務の中心者として、余暇には郷土史の研究家として、そしてお母さん・奥さん・息子さん・二人の娘さんの支えたる家庭の中心者として、本当に全てに於て誠実に真剣に生きて来られたのだと思う。52年の生涯を疾風の如く駆け抜けられたのだった。

告別式の前に、時間があったので休憩所に当ててあった利根小児科の待合室に行った。待合室の本棚を見て、利根氏の信念の強さに感動させられた。そこには当然子供向けの絵本や漫画もあったが、棚のひとつの段には、『日本の息吹』と『祖国と青年』と日本会議のパンフレット『首相の靖国神社参拝は当然です』の3冊のみが横にして目立つように置いてあった。その下の段には『祖国と青年』のバックナンバー数年分も置かれていた。医院に来る人に日本の事を少しでも解ってもらいたいとの利根氏の願いが込められていた。

出棺の前に、親しい人々はどうぞご遺体に花を捧げてお別れをして下さいとの事だったので、私も白百合の花を手向けさせて戴いた。ご遺体には日章旗がかけてあった。日本をこよなく愛した利根氏の志をご家族の方々が真に理解されて、その様にして送られたのであった。

終了後、告別式に駆けつけた方々と、日本協議会四国ブロックで利根氏の追悼集・遺稿集を是非作っていこうと話し合った。利根氏の生き方と思想は形あるものとして顕彰せねばならない。利根氏が天界に先立たれた丁度1年前に、利根氏のご尽力でこの高知の地で、日本協議会四国ブロックは結成されたのだった。日本協議会四国ブロックの人柱とも言える様な利根氏の急逝、「生きて死友に背かず」との言葉があるが、これからの吾々一人一人の生き方と、四国ブロックそして高知の日本協議会の今後のあり方で利根氏の志に報いて行くしかない。

それにしても、神は何故にかかる立派な人材を現し世から奪われてしまったのか。哀痛極まりなし。
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