一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

映画『人生クライマー 山野井泰史と垂直の世界 完全版』 ……極限の人……

2023年01月09日 | 映画


本作『人生クライマー 山野井泰史と垂直の世界 完全版』は、
日本を代表するクライマー・山野井泰史に密着取材したドキュメンタリー映画である。
監督は、自身もヒマラヤ登山経験のあるジャーナリストの武石浩明。


ナレーションは、映画『エヴェレスト 神々の山嶺』(2016年)で主演し、自らも登山を愛好する岡田准一。


2022年3月に開催された「TBSドキュメンタリー映画祭2022」で上映されたバージョンに、
9分間の新規映像を追加した「完全版」として、
2022年11月25日に公開された。
佐賀では(いつもの如く)遅れて、
今年(2023年)1月6日から公開された。
で、公開直後に、上映館であるシアターシエマで鑑賞したのだった。



山登りをする人に山野井泰史を知らない人はいないと思うが、
山登りをしない人にとっては知らない人が多いと思うので、
簡単にプロフィールを紹介しておこうと思う。


【山野井泰史】
1965年4月21日生まれ。東京都出身。
1980年、中学3年のときに日本登攀クラブに入会。
以降、高難度のフリークライミングから海外のビッグ・ウォールまで、
常に先鋭的な登攀を続けている。
主な登攀記録は、
1987年、ヨセミテ エル・キャピタン「ラーキングフィア」(単独第三登)。
1987年、アルプス ドリュ(3733m)西壁「フレンチディレッティシマ」(単独初登)。
1988年、カナダ北極圏バフィン島 トール西壁(単独初登)。
1990年、パタゴニア フィッツ・ロイ(冬季単独初登)。
1992年、ネパール アマ・ダブラム(6812m)西壁新ルート(冬季単独初登)。
1994年、チベット チョー・オユー(8201m)南西壁新ルート(単独初登)。
1995年、パキスタン ブブリモティン(6000m)南西壁(初登)
1996年、ネパール マカルー(8463m)西壁 単独、敗退
1998年、ネパール クスム・カングル(6367m)東壁(単独初登)。
2000年、パキスタン K2(8611m)南南東リブ(単独初登)。
2001年、パキスタン ビャヒラヒタワー(5900m)南壁(初登)。
※文部科学大臣スポーツ功労賞 受賞。
2002年、チベット ギャチュン・カン(7952m)北壁(第二登)。
※ソロ登頂に成功するものの、帰路に雪崩に遭い、両手および右足の指を計10本失う代償を払うことに。この登攀を含めた近年の目覚ましいアルパインスタイルでの登山が評価され、朝日スポーツ賞、植村直巳冒険賞を受賞。
2005年、中国四川省 ポタラ(5428m)北壁(単独初登)。
2007年、グリーンランド オルカ(初登)。
2013年、ペルー プスカントゥルパ東峰(5410m)南東壁(初登)。
2017年、インドヒマラヤ ルーチョ(6000m)東壁(初登)。
2021年、数々の登攀登山についての功績が評価され、登山界のアカデミー賞とも言われるピオレドール2021生涯功労賞 受賞。



これらの登攀記録を見ても、山をやらない人にとってはピンとこないと思う。
七大陸最高峰登頂とか、
8000m峰全14座登頂とか、
一般の人にも判りやすい記録みたいなものがあれば違うと思うが、
山野井泰史はエベレストにさえ登っていないので、
一般の人にとっては、なにが凄いのか理解不能であることだろう。
山野井泰史が受賞した、
登山界のアカデミー賞とも言われるピオレドール生涯功労賞は、過去には、
ラインホルト・メスナー(人類史上初の8000メートル峰全14座を無酸素で完全登頂)、
ダグ・スコット(エベレスト南西壁の初登攀に成功)、
ヴォイテク・クルティカ(アルパインスタイルによる高所登山のパイオニアの一人)
など凄い面々が受賞しており、
彼らに並んでクライミングの歴史にその名を刻んだ(アジア人初)……といえば、
少しは理解していただけるのではないかと思う。



本作『人生クライマー 山野井泰史と垂直の世界 完全版』は、
世界の巨壁に「単独」「無酸素」「未踏ルート」で挑み続けた山野井泰史の足跡を、
貴重な未公開ソロ登攀映像や、
生涯のパートナーである妻・妙子への取材、
関係者の証言などとともに振り返ったドキュメンタリーだ。


はじまりは1996年、ヒマラヤ最後の課題といわれる「マカルー西壁」に単独で挑むという《究極の挑戦》への密着取材。
その後、
凍傷で手足の指10本を失うことになるギャチュン・カン登頂後の壮絶なサバイバル。
2008年には奥多摩山中で熊に襲われ重傷を負うアクシデントなど、
“垂直の世界”に魅せられ、挑戦し続ける登山家の魂にカメラは迫る。


本作は、1996年と、2021年以降の、2つのパートに分けて構成されている。
山に魅入られ続ける山野井泰史が、
“ヒマラヤ最後の課題”と呼ばれる「マカル―西壁」に挑み挫折を経験するまでと、
25年後、妻・妙子さんとの穏やかな日々の暮らしや、未踏の地へ挑戦し続ける現在の姿を、
交互に、リアルに描く。






武石浩明監督は、

“ヒマラヤ最後の課題”とされる「マカル―西壁挑戦」を取材したのが26年前でした。しかし、それも失敗に終わってしまうんです。当時、放送はしたのですが、失敗を描くのって難しくて、僕の中で何かモヤモヤするものが残ってしまっていて。もう一度、山野井さんのことを描きたいってずっと思っていたんです。でも、なかなかタイミングが合わず…。
例えば、彼がヒマラヤのギャチュン・カン北壁登頂に成功し、両手足の指を10本失った時も、同行していたわけではなかったので難しいなと思って。
けれど、それから25年が経ち、四半世紀を迎える山野井さんを描けば、25年前の失敗がただの失敗に見えないんじゃないかと思ったんです。それを去年(2021年)の3月くらいにひらめいて、4月からは取材を始めました。
(「シティ情報ふくおかナビ」インタビュー)

と語るが、
あらためて撮影再開の話をした時は、山野井泰史はあまりピンときていないようだったとか。
そして、撮影再開を申し込んだ後に、山野井泰史がピオレドール2021生涯功労賞を受賞したのだが、彼の性格を考えると、
〈受賞後に取材を申し込んでいたら了承してくれなかったのではないか……〉
と、武石浩明監督は述懐する。


今回は、作品タイトルの通り、彼がインタビューで人生について語っていたので、そこから展開していった感じです。ドキュメンタリーって、偶然撮れたものやインタビューの中で着想してストーリーを構成していかないといけないから、結構難しいですよね。完全版は109分もあって、映像も昔にいったり、現代にいったりきたりします。そういう順番やインタビューの入れどころは特にこだわりましたね。言うなれば、30年のキャリアの集大成を詰め込みました(笑)。(同上)

こう監督が語るように、
過去の映像と、現在の映像の構成の妙が本作の要となっており、
そういう(山野井泰史の人生を描いたという)意味では成功していると思うが、
映像そのもののダイナミックさ、美しさという点においては、
やや劣っているように感じた。


それは、ここ数年、優れた山岳ドキュメンタリー映画が公開されており、
このブログでもレビューを書いた、
映画『フリーソロ』 …完璧なアレックスを完璧に捉えた傑作ドキュメンタリー…
映画『MERU/メルー』 ……山岳ドキュメンタリー映画の傑作……
などに比してという意味なのであるが、
機材や技術の進歩などを考慮すると、比べること自体、酷なことなのかもしれない。



本作の優れている点は、
山野井泰史と、妻・妙子の関係性が描かれていること。


以前、私は、
『白夜の大岩壁に挑む クライマー山野井夫妻』という本のレビューを書いたとき、


妙子について次のように記している。(※2008年03月30日に掲載したものです)

なかなか面白く、あっという間に読んでしまった。
私の場合、歩くことが好きで、歩き旅の延長で山歩きを始めた。
よって、私は、基本的に「岳人」ではない。
初歩的な岩登りはするが、バリバリのクライマーになりたいとは思わないし、先鋭的なクライマーに対しても興味がない。
だから、山野井夫妻のことは知ってはいたが、かれらのクライマーとしての活躍にはほとんど関心がなかった。
昨年の11月18日、NHKハイビジョンで「白夜の大岩壁~クライマー山野井夫妻」という特集番組があった時も、それほど興味深く観た訳ではなかった。
ただ何となく観たに過ぎなかった。
白夜の北極圏。
グリーンランドの無人島。
高さ1300mの前人未踏の大岩壁。
番組では、未踏の大岩壁に挑む迫真のドキュメントと煽ってはいたが、私はもともと原初的な風景に心惹かれないタイプの人間なので、山岳アドベンチャー的な面白さはあったものの、私の心を揺さぶってはくれなかった。
だが、ひとつだけ私の興味を惹いたものがあった。
山野井泰史の妻・妙子の生き方である。
映像で見たとき、妙子の両手には、指が一本もなかった。
いつもグーの形に握っているように見える。
二度の重い凍傷で、足の指も左足の小指と薬指の二本を除いて、切断している。
実に両手両足のうち、18本の指がないのだ。
それで家事もこなすし、家庭菜園で野菜も育てている。
夫と同行して、クライミングもする。
もともと妙子は世界的な女性クライマーで、アルプス三大北壁の一つ、グランドジョラス北壁ウォーカー側稜で冬季女性初登攀など、めざましい活躍をしてきた人だ。
その妙子が、泰史と一緒に、グリーンランドの高さ1300mの前人未踏の大岩壁に挑む。
泰史も言う。
「妙子のほうが僕よりもすごいよ。あの手でトップをいくんだから。1300メートルの未踏のビッグウォールに挑戦するんだから」
妙子は女性としては日本で一番、男性を交えてもトップクラスのクライマーだと、泰史は考えている(P.51)
妙子は、泰史より9歳年上で、51歳。
だが、その動きは年齢を感じさせない。
手足のハンディも感じさせない。
力強くグイグイと登っていく。
山野井泰史にはいつも緊張しているような雰囲気がある。
実際、自分でも緊張するタイプであることを認めている。
それにひきかえ、妙子の方は、ほとんど緊張しないという。
なぜだかいつも飄々とした雰囲気を漂わせている。
なにを考えているのか分からないような感じもする。
実に興味深い、いや魅力的な人物だ。
「山に行くことに関してはお金をかけるけど、ほかのことはどうでもいいです」(P.80)
妙子の言葉だ。
そうは言うものの、彼女に、日常生活に投げやりな部分は見られず、近所づきあいも良く、二人の生活をしっかりと支えている。
きっと、彼女は、山に登ることができなくなっても、きちんと生きていけるタイプの人間だ。
「この道一筋」人間に見えながら、実は幾筋もの道を持っている人間……妙子はそういう人間だと思うし、そこが凄いところだ。


このように妙子の方を絶賛したのだが、
「マカル―西壁挑戦」の際の、山野井泰史と妙子の無線のやり取りに、
そのことを象徴するようなシーンがあった。
頭に落下物が当り、それでも登り続けようとする山野井泰史に、妙子が、
「降りた方がいいと思う」
と諭すシーンだ。

作品にはいれていませんが、同じような状況で亡くなった方がいたそうです。登り続けようとする山野井さんに、「降りた方がいいと思う」ときっぱり伝えた妙子さん。彼女の頭には、きっとその亡くなった方の存在があったのだと思います。(同上)

武石浩明監督もこう語っていたが、
山野井泰史と同じような挑戦をしていた山野井泰史と同世代のクライマーがほとんど死んでしまっている中、山野井泰史だけが生き残っているのは、妙子という配偶者がいたから……というのもあながち間違いではないと思う。


本作は、山野井泰史のドキュメンタリー映画でありながら、
妙子のドキュメンタリーにもなっているのが、
(極私的に)嬉しかったし、感心させられた点であった。


登攀シーンも魅力的であったが、
野菜や果物を育て収穫したり、釣りをするシーンなど、
山野井泰史と妙子の日常生活の部分もそれ以上に魅力的で、
ふたりの関係性や人生観なども知れ、
とても参考になったし、
〈好い人生だな~〉
と思ったことであった。


私は、以前、このブログで、
沢木耕太郎の『ポーカー・フェース』という本のレビューを書いたとき、


山野井泰史・妙子夫妻のエピソードを紹介した。

山野井泰史さんがクマに襲われた話は有名だが、
見舞いに行ったときのことを沢木はこう語る。



山野井さんは奥多摩に住んでいるが、ある日、トレーニングのために林道を走っていると、曲がり角でクマとバッタリ遭遇してしまった。まずかったのはそのクマが子供を連れた母親だったことである。子供を守ろうと、クマはいきなり襲いかかってきた。山野井さんは勢いがついていたため急に回れ右ができず、クマに押し倒されるように山側の斜面に押さえつけられた。そして、眉間をガブリと咬みつかれてしまった。そのとき、山野井さんは咄嗟に判断したのだという。両手で押しのけると、咬みつかれたまま、額や鼻を持っていかれてしまうだろう。そうすると、復元は不可能だ。そこで、むしろ、クマの頭を片手で抱きかかえるようにして、反対の腕の肘で殴ったのだという。すると、咬んでいた歯を離してくれた。その隙に転がり出た山野井さんは、必死に逃げた。ところがクマも追ってくる。もう少しで追いつかれそうだったが、途中でふっと追ってこなくなった。後に残した子供が心配だったのだろうと、山野井さんは言う。
なんとか家に戻ったが、奥さんの妙子さんは北海道に行っていて不在である。そこで、山野井さんは隣の住人に救急車を呼んでくれるよう頼んだ。救急車からヘリコプターに移され、青梅の病院に運び込まれると、九十針も縫う大手術をすることになった。その結果、顔面はなんとか復元できた。
私が見舞いに行くと、山野井さんはこう言って笑った。
「あのクマは運が悪かった」
自分は野生のクマを抱くという滅多にないことができてよかったけれど、あのクマは自分に出会ったばかりに地元の猟友会の人に追われることになってしまったから、というのだ。そして、さらにこう続けた。
「うまく逃げてくれるといいんだけど……」


90針も縫う重傷を負わせられ、その襲ったクマに対して、
「うまく逃げてくれるといいんだけど……」
と語る山野井泰史もまた凄い人だ。

そして、沢木は最後をこう結ぶ。


もしすべての人がこんなふうに考えられるなら、「運」のよしあしなどということに、あまり拘泥(こうでい)しなくてもすむようになるかもしれないのだが。

このように考えられる山野井泰史だからこそ、
彼は現在もクライマーとして生き続けられているのではないか……
凡人の私はそう思ったことであった。

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