タイトルが長いので、サブタイトルのスペースが少なくなり(短くなり)、
「吉沢亮の巧、忍足亜希子の美、呉美保の才」
と、ちょっと何言ってるか分からないものになってしまったが、(笑)
本当は、
「……吉沢亮と忍足亜希子の演技と美が秀逸な、呉美保監督の傑作……」
としたかった。
理由は後ほど……
本作『ぼくが生きてる、ふたつの世界』を見たいと思った理由は、ただひとつ。
呉美保監督作品であるから。
初めて見た呉美保監督作品は、
『そこのみにて光輝く』(2014年)であった。
このブログに掲載したレビューで、
映画を見た感想はと言うと……
上映時間120分、
スクリーンに目が釘づけになり、
一瞬たりとも目が離すことができなかった。
それほどの傑作であった。
貧困、歪んだ性、薄汚れた日常、人生の底辺、
不器用な人間たちの暗い夏……
そこに差し込む一筋の光。
どこまでも絶望的な救いのない場所での、
どこまでも純粋な魂をもつ達夫と千夏の、
泥水に咲いた美しい蓮の花のようなラブ・ストーリーだったのだ。
なによりも、呉美保監督の手腕を褒めたい。
新人監督は三本目が勝負といわれているが、
三本目でこれほどの傑作をものするとは……
いやはや、「呉美保監督、畏るべし」である。
と記したのだが、その後、
(記念すべき)第1回 「一日の王」映画賞・日本映画(2014年公開作品)ベストテンで、
作品賞:第1位『そこのみにて光輝く』
最優秀監督賞:呉美保『そこのみにて光輝く』
最優秀主演女優賞:池脇千鶴『そこのみにて光輝く』
最優秀主演男優賞:綾野剛『そこのみにて光輝く』
と、主要部門を独占したのだった。
次に見た呉美保監督作品は、
『きみはいい子』(2015年)で、
そのレビューでも、私は、
ひとつの町を舞台にした、いくつかの家族の物語で、
呉美保監督のこれまでの作品とは異なり、
ワンシーン、ワンシーンが短く、
それぞれの人物も登場時間が短いので、
最初はなかなか感情移入ができずに戸惑った。
だが、
丁寧に描かれたそれら短いシーンが心に堆積していくうちに、
いつしか涙があふれ、
心を揺さぶられている自分がいた。
やはり呉美保監督は優れた監督だと再認識させられた。
と褒め、
第2回 「一日の王」映画賞・日本映画(2015年公開作品)ベストテンで、
作品賞:第5位『きみはいい子』
最優秀助演女優賞:池脇千鶴『きみはいい子』
に選出した。
かように高評価した呉美保監督であったが、
その後、結婚、出産、育児などがあった所為か、
新作の発表はなく、残念に思っていたところ、
今年(2024年)、9年ぶりに、
『ぼくが生きてる、ふたつの世界』が公開されることを知り、歓喜した。
原作は、作家・エッセイストの五十嵐大による自伝的エッセイ、
「ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと」。(原作のタイトルはもっと長かった)
主演は、
コーダ(聴力に障害のある親の元で育った、健聴者の子供)の五十嵐大役の吉沢亮。
母役の忍足亜希子や、
父役の今井彰人をはじめ、
ろう者の登場人物には全てろう者の俳優が起用されており、
その他、
ユースケ・サンタマリア、烏丸せつこ、でんでんなどのベテラン俳優陣が脇を固める。
脚本は、『とんび』『アナログ』『正欲』などの港岳彦。
9月20日公開の映画であったが、
佐賀では少し遅れて、10月4日から公開された。
で、先日、佐賀での上映館であるシアターシエマで鑑賞したのだった。
宮城県の小さな港町。
耳のきこえない両親のもとで愛情を受けて育った五十嵐大にとって、
幼い頃は母(忍足亜希子)の“通訳”をすることもふつうの日常だった。
しかし成長するとともに、
周囲から特別視されることに戸惑いやいら立ちを感じるようになった大(吉沢亮)は、
母の明るさすら疎ましくなっていく。
複雑な心情を持て余したまま20歳になった大は逃げるように上京し、
誰も自分の生い立ちを知らない大都会でアルバイト生活を始めるが……
結論から言うと、傑作であった。
9年ぶりの新作であったが、呉美保監督は(私が思った通りの)呉美保監督であった。
しかし、作品自体は、私の予想したものとは違い、(好い意味で)期待を裏切ってくれ、
もっと質の高い、より良き作品であった。
コーダが主人公の映画と言えば、
『Coda コーダ あいのうた』(2022年)を思い浮かべる人が多いことと思う。
家族の中でただひとり耳の聞こえる少女ルビーの勇気が、
家族やさまざまな問題を力に変えていく姿を描いたヒューマンドラマで、
2014年製作のフランス映画『エール!』のハリウッド版リメイクであったのだが、
主人公は歌の才能がある少女で、
家族(両親や兄)の気性は激しく、
娘の才能を信じられない両親は、家業の方が大事だと、名門音楽大学の受験に大反対する。
ルビーも自分の夢よりも家族の助けを続けることを決意するが……という物語。
いかにも欧米人が好みそうなラストで、これはこれで悪くなかったが、
ステレオタイプな障害者家族の物語に感じられる部分もあった。
呉美保監督『ぼくが生きてる、ふたつの世界』は、
『Coda コーダ あいのうた』とは真逆の作品であった。
主人公の五十嵐大(吉沢亮)は、役者を志すが、その才能はなく、
パチンコ屋でアルバイトをしながら生計を立てている。
両親(忍足亜希子、今井彰人)は穏やかな性格で、
息子が両親を恥じる発言をしても、悲しみの表情を浮かべるだけだ。
東京へ行くことに反対せず、むしろ都会へ行くことを勧める。
派手な演出はなく、
呉美保監督は、主人公の五十嵐大の幼少期からの映像を丁寧に積み重ね、
じっくりと五十嵐大の為人(ひととなり)を描いていく。
子役たちも素晴らしい演技をしている。
なので、上映時間105分の内、序盤の30分ほどは吉沢亮は登場しない。
驚くべきことに、吉沢亮は中学時代から演じ始める。(笑)
だが、まったく不自然さはなく、すんなり受け入れられる。
吉沢亮の端正な顔立ちと、醸し出す純粋さが、そうさせるのだ。
この手の映画は、感動を無理強いするものが多いのだが、
本作は(当然のことながら)そんなことはしない。
お涙頂戴の演出もない。
だが、後半にかけて、じわじわと目に涙が溜まってくる。
そして、不思議と、自分の両親(特に母親)のことが思い出されてくる。
母親の様々な表情が思い出されてくる。
すると、目に溜まった涙は決壊してしまう。
単なる聴覚障害の両親とコーダの物語ではなく、
観客の思い出をも誘発させ、普遍的な感動へと導いていくのだ。
これは凄いと思った。
主人公の五十嵐大を演じた吉沢亮。
聴覚障害の両親への屈折した想いを繊細に演じ、素晴らしかった。
イケメン俳優でありながら、(こういう言い方も偏見であり差別なのだが)
役に向き合う真摯な態度は特筆すべきもので、
こうなったら、もう「鬼に金棒」状態だ。(コラコラ)
五十嵐大(吉沢亮)の母・明子を演じた忍足亜希子。
青葉学園短期大学を卒業し、銀行勤務を経て、
『アイ・ラヴ・ユー』(1999年/毎日映画コンクールスポニチグランプリ新人賞受賞)で、
日本初のろう者の主演女優として(オーディションで選ばれ)29歳で女優デビュー。
その後もTVドラマや映画でたまに見ていたし。
著書も読んだりしていたのだが、
今年(2024年)になって、
本作『ぼくが生きてる、ふたつの世界』にキャスティングされていることを知り、
嬉しく思った。
『アイ・ラヴ・ユー』から25年。
1970年6月生まれなので(もう)54歳になられたのだが、(2024年10月現在)
スクリーンで見る忍足亜希子は美しく、デビュー当時よりも魅力的に感じた。
顔も雰囲気も、
映画『月とキャベツ』(1996年)で話題になり、『心に吹く風』(2017年)で16年ぶりに女優復帰した(私の好きな)真田麻垂美に似ていると思った。(コチラを参照)
忍足亜希子も(54歳とは思えない)清潔感や透明感があったし、
清楚で、凛とした佇まいに惹かれた。
演技も素晴らしく、その静かで慈愛に満ちた表情にも魅せられた。
きこえない親から生まれ育ったコーダの五十嵐大さんの人生、撮影を通して私も親の気持ちで成長させていただきました。 私は五十嵐大さんの家庭とは逆の境遇で、私は生まれつききこえない子供で、きこえる親から生まれ、きこえる世界で育ちました。自分は何者なのか孤独感や苦悩と葛藤しながらもきこえる世界ときこえない世界を行き来するという、同じ立場だからこそ、とても共感しました。コーダの世界をひとりでも多く知ってもらえる良い機会になれば見方も変わると思います。呉美保監督をはじめ吉沢亮さんと共に五十嵐大さんの人生を歩みながら、沢山のことを学ばせていただきました。
とコメントしていたが、
そんな忍足亜希子という女優が演じたからこその傑作『ぼくが生きてる、ふたつの世界』であったと思う。
この他、
五十嵐大の祖父・鈴木康雄を演じたでんでん、
五十嵐大の祖母・鈴木広子を演じた烏丸せつこ、
五十嵐大が勤める編集プロダクションの編集長・河合を演じたユースケ・サンタマリアが、
確かな演技で本作を傑作へと導いていた。
この映画には、ポスターが数種類作られているのだが、
この下のポスターが一番内容を伝えているような気がする。
なぜなら、この映画のすべてのシーンを思い出すからだ。
呉美保監督の9年ぶりの新作『ぼくが生きてる、ふたつの世界』は、
今年(2024年)を代表する映画であった。
何度でも見たいと思わせる傑作であった。