一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

『老年の読書』(前田速夫) ……「読まずに死ねない本」がこんなにあるとは……

2024年09月08日 | 読書・音楽・美術・その他芸術


『老年の読書』(前田速夫)という本は、
ネット検索しているときに、偶然見つけた。


『老年の読書』というタイトルに、
「読書好き」の「老人」である私は、興味をそそられたのだ。
ただ、前田速夫という著者は知らなかったし、
(老人をターゲットにしたような)“いかにも”なタイトルだ……とは思った。
〈はたして読む価値のある本なのか……〉
本の画像を見てみると、
本の帯に、私の尊敬する川本三郎の推薦文があり、そこには、
「賢者たちは老いをどう考えていたか。これを読めばもう死は怖くない」
と書かれてあった。


〈川本三郎が推薦する本ならば読んでみたい……〉
そう思って、メルカリで安く購入し、読んでみた。
すると、これがめっぽう面白く、(いろんな意味で)役に立つ本であったのだ。





まず、著者はどんな人物なのかを紹介しておこう。

【前田速夫】(マエダ・ハヤオ)
1944年、福井県生まれ。東京大学文学部英米文学科卒業。
1968年、新潮社入社。
初めて担当した作家は武者小路実篤で、
1995年から2003年まで文芸誌「新潮」の編集長を務め、
平野啓一郎『日蝕』の持ち込み原稿を一挙掲載したことで知られる。
1987年に白山信仰などの研究を目的に「白山の会」を結成。
著書に、
『異界歴程』『余多歩き 菊池山哉の人と学問』(読売文学賞受賞)、
『白の民俗学へ 白山信仰の謎を追って』
『古典遊歴 見失われた異空間(トポス)を尋ねて』
『「新しき村」の百年 〈愚者の園〉の真実』
『海人族の古代史』
『谷川健一と谷川雁 精神の空洞化に抗して』などがある。



1944年生まれということで、1954年生まれの私よりも10年先輩であり、
長年に渡って出版物と関わってきた本のプロ。
「はじめに」を読むと、
(68歳だった)2013年の年頭、旅先で下腹部の激烈な痛みに襲われた……とある。
大腸がんの「ステージ4」と診断されて、大腸と転移した肝臓を切除し、命拾いをする。
退院すると、残された時間を考えて、書斎や書庫の断捨離にとりかかる。
長年愛読した文芸書、思想書、哲学書や各種の全集以外は、思い切って処分し、
これだけはもう一度しっかり読んでおこうと思った本をより分けて、
書斎のすぐ手の届く棚に備え、時おりページに目をおとすようになる。
70代後半にもなると、同じ本なのに、身に沁み方、響き方が違う。
比べると、初読では単に読み上げただけで満足していたごとくだ。
教養としての読書と、死を前にした老年の読書とはおのずから違った。






元来、読書は人に奨められてするものではない。自分で気に入った本を見つけて、好き勝手に読むからこそ、喜びも深い。けれども、大小の書店が軒並み閉店し、近くの図書館にでも行かないと、じかに本に接することも難しくなってしまった今、せめて書名、著者名ぐらいは知っておかないと、アマゾンで本を探すことすら覚束ない。
(中略)
老いと死は、どんな偉人にも、どんな平凡な人間にも、百パーセント間違いなく訪れる。その老年をどう生き、この世との別れをどう済ませておくか、これはなかなかの難題である。さればこそ、古今の名著をひもといて、偉人達人の境地に、一歩でも半歩でも近づきたいと思うのだ。
老年の読書は、みずからの老いをどう生き、どう死を迎えるかに直結している。そのことを考えるのに、本書がいくらかでもお役に立てれば幸いである。


こうして執筆された本書は、
50冊を超える名著から、より善く老いるための箴言を厳選し、懇切にガイドする。
私など、目次でそれら名著の書名を見ただけでワクワクしたし、
もうそれだけで価値ある本だと判断できた。

➀晴れやかな老年を迎えるために
キケロ『老年について』
セネカ『生の短さについて』


➁老いの正体、ここにあり
テオプラストス『人さまざま』
モンテーニュ『随想録』
ラ・ロシュフコオ『箴言と考察』


③無用者の存念
鴨長明『方丈記』
吉田兼好『徒然草』
『芭蕉文集』


④幸と不幸は綯ない交ぜ
シェイクスピア『リア王』ほか


⑤ありのままの死とは
トルストイ『イワン・イリッチの死』
チェーホフ『退屈な話』
正宗白鳥『一つの秘密』


⑥「老いづくり」から真の老いへ
永井荷風『新帰朝者日記』『日和下駄』『断腸亭日乗』

⑦上手に年をとる技術
アンドレ・モロア『私の生活技術』
ケストナー『人生処方詩集』
井伏鱒二『厄除け詩集』


⑧死からの呼び声に目覚める
ハイデガー『存在と時間』


⑨残炎の激しさ
川端康成『眠れる美女』『片腕』
谷崎潤一郎『鍵』『瘋癲老人日記』
室生犀星『われはうたえども やぶれかぶれ』


⑩いよよ華やぐいのち
宇野千代『幸福』
瀬戸内寂聴『かの子撩乱』ほか
田辺聖子『姥ざかり』『姥勝手』


⑪晩年の飄逸と軽み
内田百閒『日没閉門』
木山捷平『軽石』
尾崎一雄『片づけごと』『だんだんと鳧がつく』


⑫病いの向こう側
高見順『死の淵より』
色川武大『狂人日記』
耕治人『一条の光』『天井から降る哀しい音』『そうかもしれない』



⑬作家の生死と虚実
古井由吉『白暗淵』ほか
小島信夫『うるわしき日々』
藤枝静男『田紳有楽』


⑭老いと時間
ボーヴォワール『老い』
ジャンケレヴィッチ『死』
ミンコフスキー『生きられる時間』
吉田健一『時間』


⑮死後を頼まず、死後を思わず
山田風太郎『人間臨終図巻』
岸本英夫『死を見つめる心』
佐野洋子『がんばりません』
キューブラー・ロス『死ぬ瞬間』
文藝春秋編『私の死亡記事』
富士正晴『どうなとなれ』



一応、読書案内という体裁をとっているので、ここぞというところは、原典からの引用を多めにして、いくつかの勝手な感想を付した。すなわち、本の紹介が主で、論評は付けたりである。紙幅の都合で、それでも収まらないところは、コラム風にまとめた。(「はじめに」より)

この所々に置かれているコラムが、本編と同じくらい充実しているので、
こちらで採り上げられている本も紹介しておかねばなるまい。

【コラム】


老年には老年の楽しみが
壇一雄『壇流クッキング』
芦原伸『60歳からの青春18きっぷ』
深田久弥『日本百名山』
川本三郎『今ひとたびの戦後日本映画』
種村季弘『徘徊老人の夏』


生き物たちの摂理
コンラート・ローレンツ(日高敏隆訳)『ソロモンの指輪』
デズモンド・モリス(日高敏隆訳)『裸のサル』
エドワード・ホール(日高敏隆・佐藤信行訳)『かくれた次元』
本川達雄『ゾウの時間ネズミの時間』
稲垣栄洋『生き物の死にざま』


天晴れな老人たち
『西行全歌集』
幸田露伴『幻談・観画談 他三篇』
武者小路実篤『人生の特急車の上で一人の老人』
田村隆一『青いライオンと金色のウイスキー』
『まど・みちお 人生処方箋詩集』
谷川俊太郎『ひとり暮らし』


シルバー川柳の純情
『シルバー川柳』シリーズ
『笑いあり、しみじみあり、シルバー川柳』シリーズ


遅咲きの人生
井上ひさし『四千万歩の男』
『熊谷守一画文集 ひとりたのしむ』
古今亭志ん生『なめくじ艦隊』
尾崎放哉『大空』
幸田文『季節のかたみ』
宮尾登美子『櫂』
須賀敦子『ミラノ 霧の風景』


ああ、懐旧
松山巌『銀ヤンマ、匂いガラス』
奥成達・文 ながたはるみ・絵『駄菓子屋図鑑』
小泉和子編『ちゃぶ台の昭和』
朝日ジャーナル編『小さい巨像』
東海林さだお『ショージ君のALWAYS』


風土のめぐみ
『芭蕉七部集』
柳田國男『雪国の春』
青柳瑞穂『ささやかな日本発掘』
司馬遼太郎『街道をゆく』シリーズ
白洲正子『十一面観音巡礼』


私など、むしろコラムの方に魅せられ、感心させられた。
たとえば「生き物たちの摂理」。
人間だけではなく、植物や人間以外の動物にも目を向け、
人間の生死と比較し、
その整然とした行動の論理、生き物としての摂理を説く。
稲垣栄洋『生き物の死にざま』の解説文にはこうある。


セミは必ず上を向いて死ぬ。昆虫は硬直すると脚が縮まり関節が曲がる。そのため、地面に体を支えていることができなくなり、ひっくり返ってしまうからだ。仰向けになりながら、死を待つセミ。彼らはいったい、何を思うだろうか。彼らの目に映るものは何だろう……。ゾウは死期を感じると、群れを自ら離れ、「象の墓場」と呼ばれる場所へ向かう。しかし、これは象牙を密猟するハンターたちが広めた伝説に過ぎなかった。そのかわり、研究が進むにつれ、ゾウは死を認識し、仲間の死を悼む様子が見られる……。ほかに、子に身を捧ぐ生涯(ハサミムシ)、メスに食われながらも交尾をやめないオス(カマキリ)、生涯一度きりの交接と子への愛(タコ)、生きていることが生きがい(クラゲ)、なぜ危険を顧みず道路を横切るのか(ヒキガエル)など。限られた命を懸命に生き、黙って死んでいく彼らの姿に、胸がいっぱいになる。

老年の読書といえば、哲学書や思想書や文芸書などを思い浮かべがちだが、
地球上に生きているのは、人間ばかりではないということ、
そして、様々な生き物に学ぶ点もたくさんあることを本書は教えてくれる。


本書には、川端康成、宇野千代、瀬戸内寂聴、田辺聖子、耕治人、古井由吉など、
すでに故人となった作家も多く採り上げられているが、
これら作家たちは、著者の前田速夫が編集者として担当したことのある作家たちなので、
その交流から生まれたエピソードなども交えながら紹介される作品、その中の箴言は、
説得力があり、読む者の胸に刺さる。


いつもなら、箴言のいくつかも紹介するところであるが、
本書に限っては、それはあえてすまい。
著者が言うように、本書は「本の紹介が主」であるからだ。
箴言はあくまでも参考で、読む人にとっての箴言は、
本書を読み、本書に紹介されている本を読み、それぞれが、
自身にとっての箴言を発見すべきなのだ。
それにしても、「読まずに死ねない本」がこんなにたくさんあるとは……
私は、恐ろしさと歓びに打ち震えているのである。(笑)

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