道しるべの向こう

ありふれた人生 
もう何も考えまい 
君が欲しかったものも 
僕が欲しかったものも 
生きていくことの愚かささえも…

本当のことを言おうか…Fin

2022-02-10 13:34:00 | 黒歴史



帰ってきた独り暮らしのアパートは
長い間誰も住んでいなかったように
静まりかえってて…

(当たり前のことだが…)

まるで廃墟さながら…

僕にはそう感じられ…

つい10日ほど前まで
この部屋にいたはずなのに
その名残もないほど乾いて…

彼女からの電話をきっかけに
この部屋を出たのが
随分と遠い昔のことのように思われ…


とりあえず
部屋の電灯だけは点けてみたものの
何かをしようという気にもなれず…

テレビを観ることも
レコードを聴くことも
本を読むことも
何もかも…

そして
空腹感もなく
食事を摂る気にもなれない

虚無感だけが…
虚無感だけが僕を支配して…


部屋に入ってから荷物を置いただけで
そのままベッドに寝転んだまま
どれくらい経っただろうか?

眠るわけでもなく
しばらくの間
ボ〜っと放心していたと…

いや
これまでのことや
これからのことが
なんの脈略もなく
グルグルと心の中で無意味に周り続け…


やがて
階下の住人の誰かから僕を呼ぶ大声
○○さん電話ですよ〜と告げられて
ハッと我に返った

彼女からの電話だろうという直感
すぐさま階下に降り
そっと受話器を取って耳に当てると…

やっぱり…

僕がアパートに帰ったのを
まるで待っていたかのようなタイミング


○○ちゃん?
アタシ…
無事に帰れた?
大丈夫だった?


受話器から聞こえた彼女の声は
間違いなく彼女の声に違いなかったけど
何故だか現実味があるような無いような…

つい何時間か前
地元の駅で別れてきたというのに…

遠く別の世界から聞こえるみたいで…


あぁ…
帰ってきたよ…

(彼女こそ大丈夫だったのだろうか?)

そう思いながら小さな声で答えたけど
そのあとどう言葉を続ければいいのか…

別れることを選択するしかなかった
情けないほど意気地なしの僕には
何の言葉も見つからなかった

しばしの沈黙が続いたあと
彼女の方から…


一緒にはなれなかったけど
これで終わりじゃないから…

(えっ?)

きっとまた逢えるから…
お互い生きてさえいれば
いつかまた逢えるから…

(どういうこと?)

また逢えるのか?

そう…
生きていれば
きっとまた逢えるよ
きっと…


また逢えるという言葉を繰り返しながら
彼女の声は段々とすすり泣くように…

そんな彼女の言葉に
僕は受話器を持ちながら
思わず膝から崩れていた


そうだよね
きっとまた逢えるよね
また逢えるさ…

そう…
きっとまたいつか逢える
そう思ってる…


そんな彼女の言葉を聞きながら
サヨナラと小声で呟いたあと
衝動につかれたように
僕の方から電話を切っていた

そして受話器を置いたと同時に
思いもかけない大きな嗚咽に見舞われた
階下のアパートの住人たちに聞こえるほど…

もう逢えないんだよ
たとえ逢うことができたって
キミはもう結婚しちまってるだろうし…

どんな気持ちで嫁いでいくのか
どんな気持ちで暮らしていくのか
僕と一緒になれなくて…

膝から崩れ落ちたまま
電話の前でずっと動けず
大声で泣くしかなかった
僕には…











彼女の声を聞くことができたのは
それが最後だった

それ以来
彼女の声を聞いたことはない

もちろん逢うことすら…

受話器の向こうで
きっとまたいつか逢えると
彼女は言っていたけど…










たぶん
もう死ぬまで
彼女と逢うことはないだろう

彼女と別れてから
やがて45年の月日…
半世紀近くにもなる

再び逢うことはなくても
目を閉じれば
瞼の裏には別れた時の
22歳の彼女が浮かんでくる
いまでも…

高校生時代とほとんど変わらない
まったく化粧っ気のない可愛い…

列車の窓越しの僕も
随分と若かったのだろう

そんな若い時の姿のまま
彼女の中で生き続けていたい


すでにもう戻ることのできない道を
僕も彼女もそれぞれ
別々に進んできてしまったのだと…

そう思いながらも
僕の耳の奥には
あのときの彼女の言葉が
いまでも鳴り響いている

きっとまたいつか逢える…

と…

(la fin…)







〈追記〉

年末に亡くなったバァさんの遺品の
アルバムの中から見つけた1枚の写真が
45年ほども前の死ぬほど辛かった想い出を
呼び起こすことになったけれど…

その後の僕に起きた事件は
まだ告白できそうにない
あまりに忌々しすぎて…


あのとき
死ななくてよかったと
今は思ってみるものの…

もし違う道
彼女と一緒の道を選んでいれば
どんな45年後になっていたのだろうか?

そう思うこと自体
詮ないことだが…




生きていく道のりで
分岐点は幾度もあらわれてくる

そしてその度に
どの道へ進めばよいのか
道しるべを見つけることができない
いつも…

道しるべの向こうさえ分かれば
こんなに悩みながら生きていくことは
ないのだろうか?

いや
わからないからこそ
生き続けていけるのかもしれない
少なくても僕は…


道しるべの向こう…

いつかは…