道しるべの向こう

ありふれた人生 
もう何も考えまい 
君が欲しかったものも 
僕が欲しかったものも 
生きていくことの愚かささえも…

本当のことを言おうか…⑦

2022-02-07 15:25:00 | 黒歴史



列車が動き出し
彼女の泣き顔が見えなくなると…

それまで堰き止められていた川の水が
勢いよく溢れ出してくるように
頬を濡らす涙を止めることができなかった

幸い
隣席に誰も座ってこなかったから
遠慮することもなく…

両手で顔を覆うと
少しくらいの嗚咽がもれたとしても
列車の走行音で
周りに聞こえることはなかったと…



どれくらい泣き続けていただろう?

発車して30分ほど経ち
次の停車駅まではずっと…

ようやく泣き止んだのは
その駅から乗ってきた誰かが
空いていた隣席に座ってからだったような…

顔を覆った両手の隙間から垣間見えたのは
茶色のスカートから出た黒タイツの足
どうやら女性が座ったみたいで…

ひょっとして
変なヤツに思われてるかもしれないと
心配しながら…

それでもずっと
両手で顔を覆ったまま
窓の景色に目をやることもなく
時おり肩を震わせ俯き続け…


頭の中では
不意に彼女から電話がかかってきてからの
この10日ばかりの台風のような出来事や
付き合っていた頃の幾つもの想い出が
走馬灯のように何度も何度も巡っていた

僕と結婚したいと泣いた彼女は
目前に差し迫った誰かとの結婚式
どうやって迎えることになるんだろう?

そして僕は
この先どうやって
生きて行けばいいんだろう?

こんな結末になることを
彼女は予想していたのだろうか?

このまま
誰かと結婚してしまうのか?

それとも…

まだ何ひとつとして
心の中では収拾がつかず
激しく揺れ動いたまま…

僕の記憶では東京に着くまで
トイレに立つこともなく
両手で顔を覆ったままの同じ姿勢でずっと…




終着駅に着いて
誰とも目を合わせることもなく
出来るだけ何もなかったように
振る舞おうと…

わずかばかりの荷物を持って
列車からホームに降り
出口へ向かい始めたそのとき…

おにいちゃん?

横から肩をトントンと叩かれて
誰かに呼び止められた

誰かは知らない女の人
40歳くらいのオバさん
というよりおねえさんっぽいか?
黒いレザーの上着に
ポニーテールを結んだ少しケバめの…

アタシ
恵比寿でお店やってるんだけど
いっぺん顔出しなよ!
ご馳走するよ!

(え?)

ヒマな時でいいから
いつでもいいから…

そう言って
小洒落たデザインの名刺を差出し…

(誰だ?この人…)
(何なんだ?)

そう思いながら
そのおねえさんの出立ちをよく見ると…

茶色の短めのスカートに
黒いタイツの足で…

(あっ…隣に座ってた女の人か!)

おねえさんから手渡された名刺には
料理屋のような
居酒屋のような
自分の呼び名を付けたのだろうか?
そんなお店の名前…

(でも…どうして?)
(見ず知らずの僕に…)

待ってるからね〜

そう言ってバイバイと手を振り
おねえさんは早足で
人混みに紛れていった

キツネにつままれたような…

嘘みたいでホントの話…

おそらく
東京に着くまでの何時間もの長い間
ずっと顔を両手で覆い続け俯いていた
髪の長い妙な若者の隣に座りつつ
その若者の身に生じた何らかの異変を
鋭く感じ取っていたのだろうか…

気遣いをありがたく感じたけれど
顔を出してみたい気もするものの
行ったところで…

お酒はほとんど飲めないし
第一
彼女と別れてきたばかりで
とてもそんな気にはなれなくて…

そんなことを思いつつ
おねえさんの名刺を
ポケットに捩じ込みながら
ゆっくりと乗り換えホームに向かった




結局
そのおねえさんのお店に
足を運ぶことはなかった

というのも
そのあともずっと揺れ動き続ける
僕の頼りない心に
そんな余裕などなく…

この先
どうやって生きて行けばいいのか?

どこにも道しるべを見つけられず…

(to be continued…)