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石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

1月22日の石仏巡り

2006年01月22日 | Weblog
今日は、足利市の石仏巡りでもこれまでと場所を変えて名草方面へ入る。まずは、名草上町から始めたが、車を置いて山側の小径ばかりを2時間ばかり探索したので、大寒の最中だというのに大汗をかいてしまう。そのお陰で、滅多なことでは見つからない庚申塔などを幾つも見つけることが出来た。
そしてルンルン気分で、その後は廃寺となったお寺さんや無住のお寺さんを訪ねて、以前に調べてある碑塔を再確認する余裕である。
お昼になったので、今日は名草中町の金蔵院で昼食とする。この金蔵院、一年に何度も来ていながら、その境内にある碑塔類を調べたのは今から10年以上も昔のこと。しかもその当時は、今のような環境の良い所にはなかったので銘文を読むのに四苦八苦したことを思い出す。それ以来、来ては眺めるだけで満足していたのだ。そこで今日は、既に今日一日分の成果をあげていることに気を良くして、もう一度全ての碑塔を調査することにする。と言いつつ、始めて見ると時間ばかりが過ぎていく。結局は9割の碑塔調査で諦めてしまう。そしていつも写真を撮りたくても、光線の具合が悪くて撮れていない「録事尊」を眺めるが、今日も一向に光線は良くならない。ついにしびれを切らして、またもや中途半端な写真を撮って金蔵寺を離れる。
その後も、名草下町の細い道を通って幾つかの碑塔類を調査し、やがて菅田町へと入る。菅田町では、共同墓地の庚申塔群へ迷い込んでしまったので、全ては記録できないと端から諦め、数庚塔や紀年銘のある庚申塔などを調べることにする。と、そこへけたたましいサイレンの音。顔を上げれば、東に連なる山から大きな煙が立ち昇っている。山火事の発生である。私のいる場所は高台のため、地元の人々が続々と山火事見物に登ってくる。こうなると、もう石仏調査どころではなくなる。集まった地元の人々と一緒になって、山火事見物である。そんな騒ぎも30分程で納まったので(見物が)、再び碑塔調査に入るが既にその気持ちは無くなっていたので、適当に調べて今日はここまでとする。
帰路は、ついでだからとまだ煙が昇っている山火事を、もう少し近くで見ようと道を選んで路肩に止まり、またしても車の中から見物する。それもこれも、人家が少ない山火事だから暢気に見ていられるのだろう。そんな暇な時間に、今日の調査碑塔記録を数えてみると、いくら再調査の碑塔が含まれているとはいえ、55基もあった。こりゃ~、帰宅してからの今夜の時間は、この清書に全て取られてしまうと苦笑する。
それにしても、今日は暖かだった。これから毎週末毎の石仏巡りが、行く度に暖かくなって楽しくなるというものだ。