快気分析

何か快適な気分になれるような記事にしたいです。

仕組みとアプローチ -  プラセボ(新型コロナ用の偽物ワクチン)投与 「一つの属性だけ違い、他の属性は同じでなければ本当の効果比較などできない」はず

2021-03-20 15:20:37 | 新型コロナウィルスやパンデミック
 新型コロナ用ワクチンの効果を証明する為に、偽物のワクチン(プラセボ)を投与して、いわば接種された人を「騙す」わけですが、「騙さないと効果の証明はできない」ので仕方ありません。
 ですがこれってどうも「騙す以上は仮に新型コロナに感染、発症しても軽症で済む人達にしかプラセボを投与できない」と言う事ではないでしょうか。
 何故かって「それで死んだら非人道的な殺人的人体実験」だからです。
 それでそした「非人道的な殺人的人体実験(名目上は臨床試験)」となるのを避けるには「仮に新型コロナに感染しても発症しないか、或いは発症しても軽症で済む人達にだけプラセボを投与するしかない」、となるとそうしたグループは仮に新型コロナに感染して発症しても重症化しないとわかっている若年層とか高齢者でない健康な層なので、感染リスクの高い事も何でもなく生活や仕事で実行してしまうのではないでしょうか。
 それで「プラセボ投与グループの感染、発症率は高い」と言う数字ができるわけですが、では      「死亡率から見るとどうなるか?」ですが、死亡率もプラセボ群が仮に高ければ、ですがそれは確かにワクチンの効果が高いのか、とも思ってしまうのケースも有るのでしょうが、実は「もう自然死してもおかしくないような高齢者にもこのプラセボを投与してしまえば、それは死亡率を上げるデータを作れる上、更に非人道的な殺人的人体実験(名目上は臨床試験)にはならない」わけです。
 つまり「プラセボ投与グループを感染しても発症しないようなグループと自然死してもおかしくないようなかなりの高齢者層に二極化させてしまえば、死亡率の低下も合わせて、さもあたかもワクチンの効果が有ったかの様な『数字』を、『非人道的な殺人的人体実験(名目上は臨床試験)にはならない範囲で』作れてしまう」の可能性についてはゼロではないと思えます。
 ワクチンの効果が疑問とまでは言いませんが、「プラセボ投与グループとは一体如何なるものなのか? 糖尿かどうか、ビタミンD不足かどうか、5-アミノレブリン酸(5-ALA)の状況はどうか、肥満か否か年齢、男女、血液型、その他」などについてワクチン開発関係者らは「その詳細を情報公開すべきではないか?」と考えています。
 新型コロナで発症しやすい人間の属性はこのように既に多くが候補に挙げられているワケで、これらの属性で一つの属性だけで比較しないと本当に効果はわからないはずなのです。
 つまり「一つの属性だけ違い、他の属性は同じでなければ本当の効果比較などできない」はずなのです。

仕組みとアプローチ -  明智と言う名字の分布で思う事 歴史の真相は名字の分布である程度分かるケースも有るのか

2021-03-20 12:59:03 | 明智光秀
 光秀の名字である明智ですが、明智氏と言うのは岐阜県が発祥と言うのが通説のようです。
 「ならばきっと岐阜県あたりにこの苗字の人が多いのだろう」と調べて見ると意外な事実が有りました。

引用開始(一部抜粋)

https://myoji-yurai.net/searchResult.htm?myojiKanji=%E6%98%8E%E6%99%BA

明智さん都道府県別(市区町村別)ランキング!!
詳しい情報はこちら

愛媛県 およそ190人
千葉県 およそ150人
大阪府 およそ150人
神奈川県 およそ110人
福島県 およそ100人

引用終了

 と言う事で別に岐阜県が多いわけではなく、そして四国と福島県に多いのでした。(分布図はこのサイトを直接ご覧ください。)
 四国と言えば秀吉が天下統一する前まで力が有った長曾我部氏ですが、もう一つ、福(後の春日局)が山崎の戦いの後に一時、長曾我部氏のところに身を寄せていたと言う説もあるようで、もしかしたら多くの明智一族や将兵らも四国の長曾我部氏の所に落ち延び、そして戦闘ノウハウや将兵や武器弾薬なども持って行った事も有って長曾我部氏が一時四国をほぼ制圧したのに貢献したのでしょうか。
 また福島県にも明智姓が多いと言うについては、そういえば天海の生まれが会津だったとする説にかなっているような気もします。

引用開始(一部抜粋)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%B5%B7

天海の出自
『東叡山開山慈眼大師縁起』に「陸奥国会津郡高田の郷にて給ひ。蘆名修理太夫平盛高の一族」と記されていることから、三浦氏の一族である蘆名氏の出自で、陸奥国に生まれたとされる。しかし同縁起には「俗氏の事人のとひしかど、氏姓も行年わすれていさし知ず」とあり、天海は自らの出自を弟子たちに語らなかったとある。また、「将軍義澄の末の御子といへる人も侍り」と足利将軍落胤説も同時に載せられている。果ては姿を変えて生き残った明智光秀であるという説まである(天海=明智光秀説)[1]。

須藤光暉は、諸文献の比較検討により、蘆名氏の女婿である船木兵部少輔景光の息子であると結論づけている[2]。

引用終了

 そしてもう一つ目に留るのは千葉県と茨城県にも多い、と言う事でしょうか。
 千葉県と言えば明智重五郎(光秀の嫡男である明智十五郎を暗示しているとも考えられなくもない)の名がある墓が有るのが市原市不入斗です。
 そして江戸城から増上寺にいたるエリアと上総土岐氏の居城である万木城のほぼ中間にこの墓が有る事は以前の記事で既に書きました。
 やや多い茨城県は常陸土岐氏が1590年まで続いていたエリアです。
 それから和歌山県や大阪府にもやや多く多少分布しているのすが、ここは雑賀衆、根来衆、雑賀衆、粉河寺衆(小牧長久手の戦いでは家康方として長曾我部氏と共に加勢した)が拠点としていたエリアも含まれています。
 そして和歌山県も茨城県も共通するのは「紀州徳川家と水戸徳川家が有った所」と言う点です。
 また滋賀県もやや多いのすが、ここは明智光秀の拠点で配下である近江衆のエリアでした。
 明智と言う名字(苗字)の分布からは何かやはり明智光秀の嫡男、明智光慶がやはり天海なのか、或いは明智光秀か明智光慶が身を隠しながら天海を代理人として家康の徳川幕府を動かしていたのか?とも思えてしまいます。
 一方で明智平の有る栃木県には明智と言う名字の人が殆どい無いようで、これはやはり江戸時代以前にはここには明智平と言う地名が無かった事を意味していて(地名がそれまでに有ったのなら地元で明智姓の人が少なからずいたはず)、「安土桃山時代末期か或いは江戸時代以降、つまり天海が江戸幕府を強力に体制強化した時、徳川幕府としてここを明智平と名をつけた」と解釈できてくるような気もします。
 真相は現時点においてわかりませんが、何だかやはり、と言う気もします。
 個人的な見方に過ぎませんが「歴史の真相は名字の分布である程度推定できるケースも有る」とは考えていますがどうでしょう。