ちなみに3月11日は千葉のルートフォーティンでライブしますから是非とも遊びに来て下さいね。
詳細はまたわかり次第報告します。
今僕は、故郷に身を預けている。
カーテンを開け、窓を開けると、一面銀世界で、いつの間にこんなに雪が降ったのだろう?と驚くばかり。この町に降る雪も年々少なくなっているようで、昔のように近所の人が集まって雪かきをしたり、塩カル(雪を溶かすカリュウム)をまく機会も減ってきた。
家は山の途中にある為、雪が降ると決まって車を坂の下に止め、歩いて家に帰ったものだ。しかし挑戦的な父親はいつも車で山を登ろうと挑んでいた。
しかしそのたび、坂道の途中でタイヤは空回り。家族はその車のケツを押して登らせる。何時間もかけて、家に到着させるのだ。母親は、夫を叱り、父親はスマン、スマンと苦笑い。
そんなやり取りも、雪が降らない限りは行う必要もないのだ。
いつの間にか、老いてく両親に気付く。
そんな両親に生を執着させようとする自分がいる。余計なお世話かもしれない。きっと受け入れがたいのかもしれない。それでもそれは愛であるかもしれない。
僕達を繋ぐモノ。姿や形ではなく。
それは間違いなく瞳には写らない、でも確実に握り締めている温もりであろう。
夜が来て、降った雪は、もう融けている。
カーテンを閉めて。
少し温もりを握り締めて。
絆
この前テレビでやっていました。絆は糸に半と書く。
半分ずつお互いが糸を持ち合って、切れないように、途切れないように。
あなたが引っ張ったならば、私は近づいて。
私が引っ張ったならばあなたが近づいて。
「駆け引きというよりは掛け合い」
そんな風に感じました。
大事に大事に、永く永く。
その糸は大事にしていたいな。
もうやめよっか?? もうちょいがんばろうか。
この辺で良いかな?? もうちょっとやってみるか。
もう故郷に帰ろうか?? もうちょっと東京にいようか。
そんな会話が、耳の裏側で聞こえてきました。 耐・耐・耐える。きっとそんな時期もあるんですね。 そこで辞めなくて良かったと思える日が来ることが幸せではなくて、その戦っている姿が、他の人に感動を与えたりするものですね。 自分の心は、他人が写してくれる、そんな言葉を思い出しました。