“ママノリア放浪記”

アリノママのウタウタイ

2019年05月27日 | 忘れられない大切なこと


一読願う。
※『大切な大切な大切な 心便』※ずっとずっと言えなかったこと。新しい自分のこれからの為に勇気を持って書き射止めました。



2013年4月5日 一本の電話が鳴った。
『弟のトモ(仮名)が自殺しました、明日お葬式なので、ママノリアさんにはどうしても来て頂きたい』

僕は、翌々日に控えていた下北沢モザイクでのワンマンライブも忘れ、発する言葉さえも忘れ、ただただ、抜けがらの魂のまま翌日お葬式に行った。
生涯忘れることはない出来事。





トモと出会ったのは、2008年。彼は17歳。
僕が長野から上京したての頃、毎日ストリートライブをしていた、小田急相模原駅前にて。

あの日彼は突然に現れて、僕の前からずっと離れず歌を聴いていた。

3時間程経ち、まだ聞いていた。

『ごめん、今日はこれで終わりなんだ』
僕は彼に言うと彼は唐突に話し始めた。

『昨日、彼女が交通事故で死んでしまったんです』
泣いているような、感情のないような、なんとも言えない声で話していた。

尋常ではない彼の面持ち。
僕は詳しく聞いた。

すると、彼女とデートで待ち合わせをしていたらいつまでもこない。
そうしたら、待ち合わせの場所への道中、彼女は交通事故で亡くなったとのこと。

かける言葉なんてなかった、、、



彼はただ彼女を追いかけて死ぬことばかり考えていた。
『君が死んだらダメだ』
僕には彼を説得する術がないけど、命ある限り生きることだけただひたすら説いた。

そして出来る事は、一緒にいること。
一緒に泣く事。一緒に笑うこと。
ただそれだけ。

その日から、彼は僕の弟のように、いや、僕の子供のように、毎日毎日一緒にいた。

歌ってから、終電にも乗らず、朝までガストで過ごした。

そんな生活をずっとずっと繰り返し、、、.
数年が経った。

彼も少しずつ自立して、僕ともそれ程の頻度では会わなくても大丈夫になった。




2012年11月23日の町田プレイハウスでのワンマンライブ『愛すべき人よ』では、僕が友人の死から受けたメッセージを伝えるというライブになったが、響いたのか、彼はそこに来て英気を養い夢も持ち始めた。

『瀧澤さん(ママノリアの本名)ありがとうございます、僕夢が見つかりました!!頑張ります!』あの言葉は僕の宝だった。

良かった、これで僕の役割が果たせたと思った。
出会って4年。二十歳を過ぎた彼、あの頃の痛みも悲しみも自身の力で光に変えたんだと、生きる希望を見出せたと思っていた。
彼と向き合ってきて良かったと本気で思った。

それから、数カ月後。
彼は命を絶った。





2013年4月に入り、彼からの電話が激しく続いた。
異常な程に続いた。しかし僕は出れなかった。いや、でなかったんだ。

ママノリアは2013年4月7日に150人規模の下北沢モザイクでのワンマンライブが迫っていた。
僕は日々ライブの準備に追われた。

着信は何度もきた、でも見て見ぬフリをした。
彼に情熱を傾ける余裕はなかった。
自分のことで精一杯だった。

電話がなくなり。
メールが来た。
彼も来るはずだったそのライブに行けなくなったという趣旨のメール。そして


『瀧澤さん、ごめんなさい』
『たすけて』
『ごめんなさい、たすけて』


どうした??違和感に気づき
やっとメールを返した。



返信はない。
彼は仲間と喧嘩をしょっちゅうしていたから、またその喧嘩の相談かと思った。
自分で頑張れと思っていた、俺は今自分のことで精一杯なんだ、、、



『たすけて』それは




喧嘩ではなかった。
もう身動きが出来なくなっていた彼。
彼はガスボンベを大量に買い込み、それを狭い部屋で放っていた。


ガス自殺




当時Cメールというものがあった。
生き絶えるまで、ガスの音を僕に送り続けた。



『スーーーーーー』



その時はなんの音かもわからなかった。
自殺しているなんて想像もしなかった。



もう、喋れなくなった彼が助けを求めていた、最後の僕へのメッセージだった。
親でも、親戚でもない、最後の最後まで僕に助けを求めたんだ。






2013年4月6日お葬式。

そこにはお父さんと、彼が頼りにしていた、高校の先生がいた。

高校の先生は僕に言った。


『何度もしていたあの電話に、あなたが出ていたらトモは死んでいなかった。』
『どうして電話に出なかったんだ』
『トモはいつも貴方のことばかり話していたのに』



僕が殺したんだ。
僕が殺人犯だ。
そうか。そうだよな。




言われたくなかった一言、心に刺さった。

胸の痛みを通り越すと人は無感情になる。



僕は何も言わず、頭を下げて帰りました。
ただ、心臓の音だけが聞こえていた。





その日湘南の海で祈りを捧げた。
いっそのこと死のうと思ったがどうしても死ねなかった。



死ぬ人は強いのか弱いのか、そんなことを考える振りを自分にして、、、




その高校の先生を恨んだ。
彼の親も憎んだ。
そして彼さえ憎んだ。
全て誰かのせいにして、忘れようとした。
自分は、悪くないと。



でも、毎日彼に祈りを捧げた。
あの日から毎日、毎日。

天国へ行けますように。
毎日、毎日。今日の今日まで。





昨日夜、多摩川へ行った。




前提として人間は一人で超えなければならないものもある。
ここ最近抱えきれない想いが沢山あったのだが、人とそれを共有するのは簡単なことではない。
電話帳を探しても本当に想うことを、言える人はそうはいないんだ。
そういうものだ。

なんか泣けてきた、、、

彼の想いがわかった。
寂しかったんだ。
死ぬ程に。
話したかったんだ、孤独を。
共有したかったんだ。
分かち合いたかったんだ。

それを、最後僕に託したんだ。





僕は自分のことで精一杯だった。
だからしょうがないと、片付けた。
自分のせいではないと。


でも違う。
俺のせいだ。
それで良いと思えた。

それが正しい答えじゃなくても、
一度思いっきり土手っ腹で受け止めて、受け入れた。


自分の波長が上がれば、そういう人には出会わないとか、映し鏡だから僕が変らなければならないとか、言ってくれた人もいるけど。


僕の中では、 そういう類いのことじゃなかったんだ。
それだけでは到底片付けられなくて、自分を深く見つめるしかなかった。




僕は柔らかくなりたいな、トモ。
フワフワマシュマロみたくさ。

自分の命も削らずに、相手を柔らかく包みたい。
自分のことで一杯なら相手のことで二杯。
きっと無限の杯があるはずだ。


限りなく無限の心になりたい。
自分も他人も犠牲にすることなく。
ただただ分かち合う。
喜びも悲しみも分かち合う。
僕にとって最善で貴方にとって最善。
そこには負担とか自分で精一杯だとかない気がする。


おんなじ人間。
いるだけで調和するはずなんだ。
争いもないはずなの、本来。


シーソーのよう。


貴方が乗ったら、僕が上がる。
僕が乗ったら貴方が上がる。

当たり前に在る。
委ねる必要もない。

当たり前に調和する。


もう一度あの時のように、電話がなったら僕は躊躇わずにでるよ。

そして、腹減ったから飯でも食い行こうかって。
トモ、俺はお前に言うよ。

ラーメンでも食いに行くかってな。

トモ、

もう逃げないよ。

天国のラーメン屋、いいとこ探しといてな。まだまだ先の話だけど笑

宜しくたのむぜ、トモ






最後に、、、
自殺する奴が悪い!、依存させてはいけない!
という意見があるのは充分承知していますし、私もこの件で人間との関わり方を深く見つめました。


でも誰かが救わないと生きていけない繊細な魂もこの世界には共存していることも事実です。


それでも、、
一生懸命に寄り添ったつもりでも彼は死んでしまった。



彼のような繊細な魂に、生きる希望を灯す歌を作り、そして歌い続ける覚悟を持ちました。
私に出来ることは、歌で寄り添うこと。
それしかない。





最後に、今の彼に言いたいこと、やっと言える気持ちになった。



トモ、ずっと夢を探していたよな。

トモ、
今度生まれ変わったら、自ら命を絶とうとする人を止めて欲しい。
トモ、今まだ後悔しているなら、そんなことを全部話してあげて欲しい。自殺したあと本人も周りもどれだけ苦しむか、全部話して欲しい。
そして、生きさせてあげて欲しい。
トモ、他人のどんな言葉や行動があったら生きれた??
トモ、全部伝えて欲しい。
そして、生きさせあげて欲しい、弱き、美しき、優しき魂を。
どうかそんな仕事をして欲しい。

経験した魂にしか、死のうしている人に、言葉は響かない気がしているんだ。

僕には出来なかったよ、ごめんよ
その時に君の心に響かせる歌がなかった

どうか、次は生まれ変わったら、そんな仕事を生き甲斐にして欲しい。

早く暗闇から抜けてこい!!!
光に包まれて!!
光の国から、生まれ変わってこい!!

沢山、必要な人がいるよ。
トモ、お前がそうだったように。



そんな願いを込めて







最後まで長文にお付き合い頂いてありがとうございます。共有して頂いてありがとうございます。
これで、ママノリアは新しく生まれ変わり生きていきます。

ありがとう。


全ての出会いと出来事に
愛と感謝を込めて

ママノリア

命とお金

2018年04月06日 | 忘れられない大切なこと


大切な大切心便。
忘れられない言葉がある。
心の扉が開かれて、ふと想い出した。


きっかけは、大谷選手。
メジャーリーグで活躍中だが、契約の際、様々な選択肢があったのだが、低年俸でも自分を理解してくれる球団を彼は選んだのだ。
何百億を捨てて、最低年俸。



私は自然に涙が溢れた。
そして、あることを想い出した。




12年程前まで。
私の実家は事業を営んでいた。
しかし、景気の波に左右され大きな負債を抱えていた。

約25億の負債。
大変な額だ。


もう会社の舵取りが上手くいかず、父親は借金をしている数社の銀行の方と頻繁に会っていた。


父親が銀行の偉い方に言われた一言を私に話したことがある。



『心臓売ってでも金にしろ』





厳しい言葉で取り立てをしなければならないのでしょう。銀行の方の立場もあるでしょう。この言葉の前後もあったのかもしれません。



しかし、とっても胸が痛くなる響き、言葉



『心臓売ってでも金にしろ』





私は大学を卒業して、夢を追っていましたがその後、事業は倒産し、夢を捨て実家に帰ることになるのです。





『お金と命』
『命とお金』






大谷選手を見て
とめどもなく涙が溢れて止まらない



ママノリア