そういえば、昔は日吉のナップというライブハウスで良くライブをしていました。
そして今日私事情で久々に日吉に行きました。
といってもライブハウスではなく日吉の坂を上ってずっと上の方。
なんか気持ちいいのです。
狭い街並み、割と広いい町並み、そしてちょっとした緑。 はしゃぐ子供たち、見守る親、時に身を委ねる老夫婦。
たいそうな温かさではないけれど、ほーっとおいてくれるような、さり気ない優しさを感じます。
色んな街に色んな風が流れていて、色んな人たちの想いも風にのって町を泳いでいるのでしょうか。
古い街並みに一人で暮らす老婦人に出会いました。
人生を駆け抜けた苦労がしわになって、体中に波紋のように広がっています。
「旦那に冷たくし過ぎたから、旦那はあの世にいっちまったよ」
90の老婦人は旦那さんが亡くなってもう十年も生きている。
ボロボロの家に、今日も一人明日も一人。
なんの弱さも、そして強さも感じない、
その老婦人を僕はとっても愛しく感じました。
膝が痛くて、歩くのもままならないのに、杖もつかずにひたすら歩く。
きっと人生の終わりが来るその日まで。
そして僕も風のように、日吉から電車に揺られて我が家へ帰っていきました。
また会えるかな?
その日まで。
そして今日私事情で久々に日吉に行きました。
といってもライブハウスではなく日吉の坂を上ってずっと上の方。
なんか気持ちいいのです。
狭い街並み、割と広いい町並み、そしてちょっとした緑。 はしゃぐ子供たち、見守る親、時に身を委ねる老夫婦。
たいそうな温かさではないけれど、ほーっとおいてくれるような、さり気ない優しさを感じます。
色んな街に色んな風が流れていて、色んな人たちの想いも風にのって町を泳いでいるのでしょうか。
古い街並みに一人で暮らす老婦人に出会いました。
人生を駆け抜けた苦労がしわになって、体中に波紋のように広がっています。
「旦那に冷たくし過ぎたから、旦那はあの世にいっちまったよ」
90の老婦人は旦那さんが亡くなってもう十年も生きている。
ボロボロの家に、今日も一人明日も一人。
なんの弱さも、そして強さも感じない、
その老婦人を僕はとっても愛しく感じました。
膝が痛くて、歩くのもままならないのに、杖もつかずにひたすら歩く。
きっと人生の終わりが来るその日まで。
そして僕も風のように、日吉から電車に揺られて我が家へ帰っていきました。
また会えるかな?
その日まで。