精神療法家 増井武士のブログ・バリ島日本人自殺予防ヴィラオーナー(レンタル可)

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今度の本の後書きで書けなかったことのついて(3)

2019-06-03 06:49:20 | 日記
 本書に示したように、良いものを見て、上をむいて歩こうとした時、なにかが掴めるチャンスを作るのでしょう。下を見てはいけません。この世は地獄のように下には下があり、それを見てると、自分自身まで落ちて行くからです。

話はパニック障害に戻りますが、私のパニック障害は、わかりやすく言えば、少し出来の悪そうな母親をみて、直ぐにその子ども達を心配してしまうということにも通じます。
しかし、問題は国家規模で行われる試験が心理臨床の大切な部分の問い方を違え、結果的に治療上何も考えられないような方が患者さんの苦しみに充分共感してその問題に寄り添えるか?
その結果は、私には火を見るより明らかなのです。
歴史的に見て、人民にとり有害な法はその法にてその国家は滅びていきます。これは歴史が我々に教えてくれる極めて基本的な事柄です。
歴史的にみて、国が患者さんが最も必要としている心理臨床の要件の教育とその査定や国家試験に注目してその舵取りをしないと我々の心理臨床の質は必ず低下の一途を辿るでしょう。私はただ我々の質の低下のみなら何の憂慮もありません。私が憂慮するのは、その結果は常に患者さんにしわ寄せがくると言う事態です。
多くの人は、そういう他人事は、どうでも良いと割り切れる事が、私に取っては歴史的に重要な問題になって来るのです。
パニック障害のゆえんでしょう。これは、たとえが悪いかもしれませんが、環境保護問題に熱中している方が、他人がつい海の中にポイと捨てた空き缶をみて、とっさに海に飛び込んで空き缶を拾う姿にも少し通じます。

そして大事なところですが、私はこの病気を嫌いでもなく、治そうとも思っていません。むしろ、この傾向は常に私の治療的な面接の中核的なエネルギーにさえなっているからです。
このような公認資格の弊害は私達の世代の後ぐらいから顕著になると思います。
他の方は、自分の死んだ後までは考えても仕方ないと言うかもしれません。しかし、自分の死んだ後のことへの考えを生きている間に述べていくと、少し後悔の少ない死に方ができるとも考えられます。
人は「個性」と言う障害を皆が持っているとするなら、日本中の多くの人がこのパニック障害にかかってくれたら、日本の心理臨床の質は必ず向上するでしょう。
勿論私のスーパーバイズは、バイジーの方がこのパニック障害に生産的にかかってくれる事を目的としています。

天性この病気にかかりやすい人は、恵まれた方です。また、天性この病気に掛からない人もそれなりの恵みはあるにしても、これほど豊かな体験はできないように思います。

患者さんが良くなりたいと思うはずなら、条件さえ整えば良くなるはずです。
心理臨床において○×式の「正解」など前もって治療者の中に無い方がいいのです。その方が共感や寄り添うことが容易になります。そして正解もどきものは来談者の中で自然に生まれて来て、初めて来談者が自覚できる「正解」となるのです。
治療者とは、正解を与える役と考えることを越えないと寄り添い能力のある治療者とはならないようです。