新年、おめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
年賀状を戴いておりながら、そのお礼も遅れて申し訳ありません。
今、私は寒さに縮みながら、小説の続きを書いています。早く書き終わって、次に書きたい課題に取り組みたいです。
日本心理臨床学会から,心理臨床の広場26号
の原稿依頼で書いたものをお知らせします。
「心理臨床家は悩みを誰に相談するのか?」
自分こそ最高の相談相手です。
私は神田橋先生との教育分析的なスーパーバイスを終えて、数年後、自分や患者さんの中にもっと賢い自分が居る事が、徐々に明確になってきました。 その賢い自分とは、まず、自分の中に何となく、しかし、明確に感じられる悩みの母体となる、悩みについてのある「感じ」です。それは、悩みについての内容や論理ではなく、悩みに命を吹き込んでいる、今、ここの、私の中にうごめいている「感じ」です。そして、そこに着目し、その「感じ」とよく相談する自分自身なのです。
例えば、最近、ようやく、私のライフワークである小説を書き終えました。 自画自賛するようですが、割と面白い作品となり、数名の方に読んでもらい、私と同じような感想なり、それぞれの視点からの興味関心を示してもらいました。 私は、その小説に随分、時と心を使いました。ありのままに生きるというテーマが底辺に流れ、私としても思い入れが強かったのです。ところが、専門書でない本の出版は難しく、そう簡単にはいきませんでした。ある有名な出版社は、もう少し時代が早ければ出版でき、また、売れる可能性がある作品だという返信がありました。 そして、別の出版社は好意的な評価をしてくれて、何しろ長編なので、前半をもっと膨らませて1冊、間に1冊、後半で1冊の三部作ではどうかという提案でした。
その後、私は大分落ち込み、外に出るのも億劫になるほどの悩みに見舞われました。 自分自身としてはこの作品に早くケリを付けたかったので、自費出版することも考えましたが、そうしたとしても気が晴れない感じで、自分の悩みの感じを少しずつ、確認していきました。 とても重い感じや大きな山の洞穴に閉じ込められて、なかなか出口がない、にっちもさっちも行かない感じなどが浮かび上がりました。そして、その「感じ」に対して「一体、お前はどこに行きたいのか」と、問いかけたのです。 すると、その「感じ」は左斜めのとても高い所へ向かって、星のようにスーッと動き、輝いているのです。私は直感的に、この悩みから、「もっと高い所、高い次元で考えて欲しい」というメッセージを受けとりました。 「私が今、あれこれ思っていることより、もっと高い次元で、豊かに考えてみてはどうか」というメッセージを、自分自身に当てはめる(話しかけてみる)と、何か、全身が「うん、うん」と頷いているのです。
このように、自分の「悩み感」に、体感的に相談すると、他人に相談するよりも数段質の高いメッセージを受けとったり、大切な気づきを得たりする事は少なくありません。
無論、ケースにおける悩みも、同じように自分の苦慮感に問い合わせます。 私は過去に、この心の問題の原発的な苦慮感を「原苦慮」と示しました。
・・・仕事帰りにスーパーにより、食べたい物と食材のその時の値段などから「あれを作ろう!」と閃き購入しました。しかし、自宅へ帰り冷蔵庫等を眺めていると「いや、待てよぉ!?」と当初の予定がひっくり返ることがあります。そのような時、たまに意外な料理や味付けやアレンジをしていることがあるのではないでしょか。・・・より高次といえば、賞味期限前後の食品をその料理に活用できた時に・・・「食品ロス」という世界的な社会問題へ少し貢献できたと私は思うことがあります。