ランドヨット
バリの冬場は海が時化る(しける)。だから漁師は海が比較的穏やかな時を狙いすましていたように船を出す。だから穏やかな冬場の夜の海は、まるで海に見事なネオンサインが出来たように明々となる。
強い風と寒い海で私はヨットを出す気持さえも起こらない。しかし、ある日ふっと、強い風なので陸地を走るランドヨットを思いついた。
…そうそう、これこれ、強い風を波のスプレーを浴びない浜辺を走れば壮快で面白かろう。ヨットの醍醐味も味わえるし、冷たい水も荒い波もないし…
という思いつきは、一昔・舵・というヨットの専門雑誌にランドヨットの概要を図面にした記事を思いついた直後に浮かんできた。
あくる朝、ハウスキーパー達に図面て概要を示し、バイクか自転車のハンドルや車輪とか、パーツの販売と溶接職人を街中をくまなく探すよう依頼した。ある金具屋に後輪となる荷物運びの二輪車があったが幅は90センチ内外であり、とてもセールの揚力に耐えられの幅ではなかった。ランドヨットも海のヨットもセールで走る限り揚力が生まれて揚力側に力が生まれ斜めに傾くので最低、幅は150センチ必要な概算となる。それでも、かなりの風の風上に走る場合、200センチぐらいの幅が必要となろう。
あれこれ考えているうちに、一人のハウスキーパーがパーツと溶接をする小さなバイクの修理店を見つけた。そこに行き、じかに小さな店を見るとバイクや自転車のフロントのハンドルの部分やいろんな車輪があちこちに転がっていた。
本当はスクーターのような小さな太い前輪が欲しかった。浜辺の波打ち際を走る場合、小さな太い前輪が初動しやすいからだ。一度走り出せば、慣性と風力で走り続けるだろう、と考えたからだ。舵の雑誌にもそのような記載があった記憶もあった。
横に子供用のハンドル部分があり、ちょうどイメージとピッタリなので、これを使いたいと伝えるとどうやら自分の子供の自転車を修理しているらしいので諦めた。
話は変わるが、アイススケート様の長いエッジを持った前輪?に後輪として二本の固定エッジを付けるとアイスヨットとなる。それは、ある程度の風があれば時速100kmぐらいのスピードで走るらしい。水面抵抗が極めて少なく、走る摩擦抵抗も少ないせいだろう。
ちなみに南極や北極圏内の冒険にはソリを引く為にセールは必需品であろるらしい。グレイトジャーニーを達成した関根氏に世界一周のためのピースボートで、じかに本人に趣味のヨットの話などしていると、ソリを引く時セールは必需品だと言う。
ランドヨットに話は戻るが、結局、幅が1、5メートルで後輪よりわずかに小さいタイヤでハンドル付きのパーツしかなかったのでそれで妥協して、作成を依頼した。それを利用するように決めた。
>しかしタイヤなど高さの都合で当初の設計より30センチほど高くなり、幅も溶接工事のために負担限度を考えて、150センチくらいとなった。出来上がり、ペイントも済ませて以前作ったマストとセールをセットして浜辺まで運び、とりあえず風下に向かうフォローの方向に向かい試乗した。
それまでは正直、一体走るのか、走らないのか、心配だった。しかし斜め後ろぐらいの風を受けると、セールを絞っていないのに風下に傾こうとした。
小さなカタマランのヨットのように風をはらましながら沖合いにゆっくり出すというスローなものでなく、サット跳び乗りセールを調整するロープを引くと船は徐々に加速した。走りだして滑車を重ね合わせたシートをぐっと絞ると船はどんどん加速して、風に乗るような特有の心地よさがどんどん伝わってきた。
極端な話、風と一体になった走りをしばらく楽しんた。おそらくマックスのときは風に乗り、今にも跳びたとうとするスピード感が心地よくたった何十秒か分からないがその時の充足感はまさに、
…満ち足りた…
時間であり、生きる実感とは、時間の質である事を再度考えさせられた時であった。
誰にでも生きている限り明日はある。
しかし、その明日が待ちどうしい状態を通常、幸いというのだろう。
バリにくる。ヌガラのような田舎では、娯楽施設はまったくない。しかし、うっすらと明日が待ちどうしい状態が続く。明日が何ともなくやってくる日本との基本的な違いはそこにあるようだ。
ハワイにビィラを持ったとしてもおそらくそのような時が来るかどうか分からない。
>朝起きる。遮光カーテンを開ける。庭先の向かうに海がある。それだけの外的な環境が内定環境にも深く関係している事は確かな事実のだろう。我々はよく知っている表現ではないか。
…目の前が開けたような気がする。見通しがたってきたようだ。目先がきく。
真暗闇に灯台の灯りを見たようだ。
気持が前向きになる。…
これこそ私が考えた自殺予防としての家のロケーションとレイアウトとゼザインや素材選びの第一条件であった。
明日はランドヨットのハンドルを塩化ビニールパイプの中に真を入れて固くしてどうな形で延長しょうか。
マストを左右の横に支えるサイドステイの位置を広げるためにサイドバーを延長して、ブレーキを砂浜を鎌で掘るようにどうして取り付けようか?。
こんなある人が見れば、馬鹿らしい課題が明日の楽しみなのだ。それは、少年時代に工作に熱中して、明日の工作の仕組みを熱中して考ええているのとほとんど相似形のようにである。
そして明日テスト走行を始めた。そのブレーキの効きはまるで空想上から目線のものであり、現実的に、効くはずと考えていたのに海中にまで走り込み、やっと止まり、皆で大笑いしたのだ。
自作時には、このような事は頻繁にある。凝りにこった人工的な仕掛けはその精密な分だけ人工的であり、現実の大まかさと力には何の役にも立たない事をこれまで何度繰り返したか分からない。
ブレーキらしく砂浜に爪を立てたようにするには鉄制の溶接工事をして、農作業で使う三本鍬の倍ほどの広さの必要がある事をしった。
しかし、あらゆる自作の失敗の特徴は、
…ああ、やはりそうか、またやり直そう…と素直に前向きに取れる事だ。
一週間の間考ええて、考えて作りそれが上手くいかなかった時に、よくある後悔や残念や悔しさがまったと言えるほどカラリとしている点なのだ。
明日溶接職人に頼み大まかな図面を書く。
明日これでだいたい幾らかも想像する。しかし明日溶接職人と話をしているとまたいろんな意見が跳び散り、価格帯は少しずつあがって行く。
今日も1日ブレーキのテストをかねて走り回った。1日1事故が原則のようだ。
今日も浜辺の登り傾斜を無視して傾斜側に座り、後ろ向きに車体ごと倒れた。
無論マストも倒れた。その時、マストを横から引っ張って支えるサイドステイの先端が左側の付け根からポッキリ折れた。
通常、サイドステイは一本だからマストは倒れてしまって起き上がらないが、こんな事もあろうかともう一本サイドステイをとっていたので走行は続けられた。
またブレーキを溶接職人がしっかりし過ぎた物を作り付けてテストしてみると、やはり、いまいちで、上から押さえつける方が良いと判断した。
あれこれして、また静かな波打ち際の音しか聞こえない夜がきた。
バリの冬場は海が時化る(しける)。だから漁師は海が比較的穏やかな時を狙いすましていたように船を出す。だから穏やかな冬場の夜の海は、まるで海に見事なネオンサインが出来たように明々となる。
強い風と寒い海で私はヨットを出す気持さえも起こらない。しかし、ある日ふっと、強い風なので陸地を走るランドヨットを思いついた。
…そうそう、これこれ、強い風を波のスプレーを浴びない浜辺を走れば壮快で面白かろう。ヨットの醍醐味も味わえるし、冷たい水も荒い波もないし…
という思いつきは、一昔・舵・というヨットの専門雑誌にランドヨットの概要を図面にした記事を思いついた直後に浮かんできた。
あくる朝、ハウスキーパー達に図面て概要を示し、バイクか自転車のハンドルや車輪とか、パーツの販売と溶接職人を街中をくまなく探すよう依頼した。ある金具屋に後輪となる荷物運びの二輪車があったが幅は90センチ内外であり、とてもセールの揚力に耐えられの幅ではなかった。ランドヨットも海のヨットもセールで走る限り揚力が生まれて揚力側に力が生まれ斜めに傾くので最低、幅は150センチ必要な概算となる。それでも、かなりの風の風上に走る場合、200センチぐらいの幅が必要となろう。
あれこれ考えているうちに、一人のハウスキーパーがパーツと溶接をする小さなバイクの修理店を見つけた。そこに行き、じかに小さな店を見るとバイクや自転車のフロントのハンドルの部分やいろんな車輪があちこちに転がっていた。
本当はスクーターのような小さな太い前輪が欲しかった。浜辺の波打ち際を走る場合、小さな太い前輪が初動しやすいからだ。一度走り出せば、慣性と風力で走り続けるだろう、と考えたからだ。舵の雑誌にもそのような記載があった記憶もあった。
横に子供用のハンドル部分があり、ちょうどイメージとピッタリなので、これを使いたいと伝えるとどうやら自分の子供の自転車を修理しているらしいので諦めた。
話は変わるが、アイススケート様の長いエッジを持った前輪?に後輪として二本の固定エッジを付けるとアイスヨットとなる。それは、ある程度の風があれば時速100kmぐらいのスピードで走るらしい。水面抵抗が極めて少なく、走る摩擦抵抗も少ないせいだろう。
ちなみに南極や北極圏内の冒険にはソリを引く為にセールは必需品であろるらしい。グレイトジャーニーを達成した関根氏に世界一周のためのピースボートで、じかに本人に趣味のヨットの話などしていると、ソリを引く時セールは必需品だと言う。
ランドヨットに話は戻るが、結局、幅が1、5メートルで後輪よりわずかに小さいタイヤでハンドル付きのパーツしかなかったのでそれで妥協して、作成を依頼した。それを利用するように決めた。
>しかしタイヤなど高さの都合で当初の設計より30センチほど高くなり、幅も溶接工事のために負担限度を考えて、150センチくらいとなった。出来上がり、ペイントも済ませて以前作ったマストとセールをセットして浜辺まで運び、とりあえず風下に向かうフォローの方向に向かい試乗した。
それまでは正直、一体走るのか、走らないのか、心配だった。しかし斜め後ろぐらいの風を受けると、セールを絞っていないのに風下に傾こうとした。
小さなカタマランのヨットのように風をはらましながら沖合いにゆっくり出すというスローなものでなく、サット跳び乗りセールを調整するロープを引くと船は徐々に加速した。走りだして滑車を重ね合わせたシートをぐっと絞ると船はどんどん加速して、風に乗るような特有の心地よさがどんどん伝わってきた。
極端な話、風と一体になった走りをしばらく楽しんた。おそらくマックスのときは風に乗り、今にも跳びたとうとするスピード感が心地よくたった何十秒か分からないがその時の充足感はまさに、
…満ち足りた…
時間であり、生きる実感とは、時間の質である事を再度考えさせられた時であった。
誰にでも生きている限り明日はある。
しかし、その明日が待ちどうしい状態を通常、幸いというのだろう。
バリにくる。ヌガラのような田舎では、娯楽施設はまったくない。しかし、うっすらと明日が待ちどうしい状態が続く。明日が何ともなくやってくる日本との基本的な違いはそこにあるようだ。
ハワイにビィラを持ったとしてもおそらくそのような時が来るかどうか分からない。
>朝起きる。遮光カーテンを開ける。庭先の向かうに海がある。それだけの外的な環境が内定環境にも深く関係している事は確かな事実のだろう。我々はよく知っている表現ではないか。
…目の前が開けたような気がする。見通しがたってきたようだ。目先がきく。
真暗闇に灯台の灯りを見たようだ。
気持が前向きになる。…
これこそ私が考えた自殺予防としての家のロケーションとレイアウトとゼザインや素材選びの第一条件であった。
明日はランドヨットのハンドルを塩化ビニールパイプの中に真を入れて固くしてどうな形で延長しょうか。
マストを左右の横に支えるサイドステイの位置を広げるためにサイドバーを延長して、ブレーキを砂浜を鎌で掘るようにどうして取り付けようか?。
こんなある人が見れば、馬鹿らしい課題が明日の楽しみなのだ。それは、少年時代に工作に熱中して、明日の工作の仕組みを熱中して考ええているのとほとんど相似形のようにである。
そして明日テスト走行を始めた。そのブレーキの効きはまるで空想上から目線のものであり、現実的に、効くはずと考えていたのに海中にまで走り込み、やっと止まり、皆で大笑いしたのだ。
自作時には、このような事は頻繁にある。凝りにこった人工的な仕掛けはその精密な分だけ人工的であり、現実の大まかさと力には何の役にも立たない事をこれまで何度繰り返したか分からない。
ブレーキらしく砂浜に爪を立てたようにするには鉄制の溶接工事をして、農作業で使う三本鍬の倍ほどの広さの必要がある事をしった。
しかし、あらゆる自作の失敗の特徴は、
…ああ、やはりそうか、またやり直そう…と素直に前向きに取れる事だ。
一週間の間考ええて、考えて作りそれが上手くいかなかった時に、よくある後悔や残念や悔しさがまったと言えるほどカラリとしている点なのだ。
明日溶接職人に頼み大まかな図面を書く。
明日これでだいたい幾らかも想像する。しかし明日溶接職人と話をしているとまたいろんな意見が跳び散り、価格帯は少しずつあがって行く。
今日も1日ブレーキのテストをかねて走り回った。1日1事故が原則のようだ。
今日も浜辺の登り傾斜を無視して傾斜側に座り、後ろ向きに車体ごと倒れた。
無論マストも倒れた。その時、マストを横から引っ張って支えるサイドステイの先端が左側の付け根からポッキリ折れた。
通常、サイドステイは一本だからマストは倒れてしまって起き上がらないが、こんな事もあろうかともう一本サイドステイをとっていたので走行は続けられた。
またブレーキを溶接職人がしっかりし過ぎた物を作り付けてテストしてみると、やはり、いまいちで、上から押さえつける方が良いと判断した。
あれこれして、また静かな波打ち際の音しか聞こえない夜がきた。