ヒッキーはつむじ風!!

ヒッキーが観て気に入った映画を、ブログで紹介します。

「ビューティフル・マインド」再掲

2022-01-20 08:29:33 | Weblog

                      「ビューティフル・マインド」

実在の天才数学者ジョン・フォーブス・ナッシュ・ジュニアをモデルにした作品です。

ナッシュ(ラッセル・クロウ)は元々、社交上手ではなく、プリンストン大学時代から「変わり者」扱いをされていた。

プリンストン大学大学院の数学科から、希望していたMIT内にあるウィーラー研究所に進んだナッシュであったが、
突然彼の前に、諜報員でパーチャーと名乗る男(エド・ハリス)が現れ、実力を買われて、ソ連の暗号解読を依頼される。

世界の危機を救うべく、スパイとして研究室のオフィスで暗号解読に没頭するナッシュであった。もはや講師の仕事はおざなりになってきた・・。

そんな頃、自分の講義の聴講生であるアリシア(ジェニファー・コネリー)に出会い、恋に落ちる。
二人は結婚、子供も授かったが、この頃からナッシュの様子がおかしくなる。
絶えず何かに怯えているのである・・。

ネタバレ入っちゃいますが、
この映画は、前半のストーリーが途中で「現実と幻覚の入り混じったもの」だった
ということが判明する、びっくりするような展開になります。

ナッシュがそれまで見てきた諜報員のパーチャーも、大学院時代のルームメイトも、その姪も、実は統合失調症の幻覚だったことが判ります・・。

入院しての電気ショック治療、投薬治療・・。薬をぬいたことによる再発、薬の副作用による男性機能の低下・・。
本人としても、アリシアとしても、地獄を見たでしょう。

それでもアシリアの支えのもと、大学へ復帰を果たし、幻覚をかかえながら、真実の探求を続けましたね・・。

この映画は、同じような苦しみをかかえて日々を生きている全世界の人たちに暖かい夢と希望を与えたと思います。

ラストのノーベル賞は、いろんな意味で、輝いていました。
爽やかな涙で、また一つ大好きな映画がふえました。

 

ヒッキー的満足度★★★★★


「スティング」再掲

2022-01-19 16:42:21 | Weblog

                             「スティング」

中学生の時、テレビ放映された「スティング」を観て、次の日のクラスの男子の話題はそれで

もちきり!「あ~俺も詐欺師になりて~」。半分本気で思ったのを覚えている・・・。

 1931年、イリノイ州、ジョリエット。大恐慌で職を失った男たちが道端にたむろしている・・。

売上金をもったマフィアの手下は、足から血を流し倒れている年老いた黒人の男をみつける。どうやら

逃げてゆく白人にやられたらしい。そこに、通りすがりの男(ロバート・レッドフォード)が助けに来る

・・・。老人は、内ポケットから分厚い財布を出し、「今日の夕方までに、この金を届けなくてはならん

のだ・・!」

あとは、観てのお楽しみ・・・!!騙すか!?騙されるか!?

この映画を彩るラグタイム・ジャズはスコット・ジョプリン作曲の既存の曲を映画用にアレンジして使ったのであるが、「ザ・エンターティナー」などはこの映画のために作ったのではないかという感覚になるほど、「スティング」という映画にマッチしている。

私が個人的に好きな曲は、「ソラス」という曲で、決戦前夜などに使われており、メジャーの曲でありながら、どことなく憂いを漂わせる曲である。

これらの音楽が、映画「スティング」が成功した理由のうちの重要なファクターとなっていることは、映画を観ていただければ、解るはずである。

1973年アカデミー賞受賞作品。

監督 ジョージ・ロイ・ヒル
音楽 スコット・ジョプリン
編曲 マーヴィン・ハムリッシュ

出演 ポール・ニューマン
   ロバート・レッドフォード
   ロバート・ショー
   チャールズ・ダーニング
   レイ・ウォルストン
   アイリーン・ブレナン
   ハロルド・グールド
   ジョン・ヘファーナン
                         
                        (元のブログより)

 

ヒッキー的満足度★★★★★


「フィールド・オブ・ドリームス」再掲

2022-01-19 16:38:42 | Weblog

              「フィールド・オブ・ドリームス」


監督、脚本・フィル・アルデン・ロビンソン
原作・ウイリアム・パトリック・キンセラ『シューレス・ジョー』
音楽・ジェームズ・ホーナー

だいぶ前に、感想をアップしたことのある本作。
また観る機会があったので、改めてレビューすることに致しました。

1989年にアメリカで公開された本作(日本公開は'90年)。

当時、二十代の中程だった私は、よく一人で映画を観に、都心の劇場へ出掛けていました(寂しい青春だなぁ(T_T))。
本作は、確か新宿の歌舞伎町の映画館で観た記憶があります。

 自分は、小学5年生くらいから、中学3年の夏くらいまで、野球をやっておりました(といっても、補欠にも入れずに、一度も試合に出たこともないのですが(T_T))

そんなこんなで、この作品が心の琴線に触れたんだと、思います。。。


ちょい、あらすじ。。。ネタバレあります。。。

物語は、主人公であるレイ・キンセラ(ケビン・コスナー)の生い立ちの自己紹介から始まります。。

ストーリーの背景で重要な関わりを持つ部分なので、ほぼそのまま、載せてみます。

「私の父の名は、ジョン・キンセラ(ドワイヤー・ブラウン)。アイルランド系の名前だ。
1896年、ノースダコタ生まれ。
彼は大の野球好きで、自身も少しマイナー・リーグでやっていたこともある。
その後、シカゴに住み、ホワイトソックスの熱烈なファンに。
1919年のワールド・シリーズの敗戦で泣き、翌年の8人の八百長事件では号泣した。
1952年に僕が生まれた。その頃すでに親父は歳をとっていた。
母は若くして亡くなった。
僕の名前はレイ・キンセラ。
おとぎ話の代わりに、父からベーブ・ルース、ルー・ゲーリック、そしてシューレス・ジョー・ジャクソンの話を。。
やがて僕は父親を疎んじるようになり、遠くの大学に入学。
思惑通り、父は苦い顔をした。
英語を専攻したが、時は'60年代、反戦デモとマリファナの日々。
そんな頃、アニー(エイミー・マディガン)と出会った。
彼女の出身はアイオワ。アイオワ・・・かすかに聞いたことのある所だ・・。
大学を卒業し、'74年に結婚。その年に父が亡くなった。
やがてカリン(ギャビー・ホフマン)が生まれた。
農場を買おうと言い出したのは、アニーだった。
36才、一児の父、そんな僕が農業を始めた。。
僕は今までの人生で、型破りなことを、したことがない。
あの「声」を聞くまでは・・・。」

レイはある日、アイオワの自分の農場のとうもろこし畑の中で、妙な声を聞く。。
If you build it,he will come(それを作れば、彼は来る)・・」
空耳かと思うと、また、「If you build it ,he will come・・」
ベランダにいるアニーとカリンに聞いても、何も聞こえていないと・・。
夕食の時にアニーにその言葉を言ってみたが、「“それ”って何?学生に時にやったドラッグのせいじゃないの?」
と、一笑に付された。。

あくる日、とうもろこし畑の中で、レイはまた、同じ声を聞く。。
頭にきたレイは、「誰だ!」と前方のとうもろこし畑を見ていると、そこに幻のように野球場の姿が浮かんで来るのであった。。

という感じで、物語は始まります。

この作品、何度か観たことがあるのですが、基本、ファンタジーなので、レイが謎の「声」を聴いたり、死んだはずの人たちが、何故か出現したり、色々あります・・・。
ワタシ、二度目に観たときは、ストーリー冒頭ですでに号泣状態になってしまいました(T_T)。。。

レイが、その野球場を作れば、きっと「シューレス・ジョー」が現れる、と言うのも、ふつう考えたら、そんなわけないじゃん、なのですが、レイの「僕は人生で、型破りな事をしたことがない・・これを逃すと・・僕の考えはおかしいかな・・」の言葉に妻のアニーは「ええ、おかしいわ。でも、あなたが思ってるのならば、やるべきよ・・」
素敵な奥さんだなぁ・・(T_T)という感じで、エイミー・マディガンのファンになってしまいました。
このエイミー・マディガン演ずるアニーは、情熱的で、聡明で、ストーリーの要所要所で、レイを支えてくれます。。


そして、レイは収穫前のとうもろこし畑をトラクターで刈り取って(とうもろこしがちょっともったいないのですが)、野球場をホントに作り始めます。カリンを膝に乗せて、シューレス・ジョーの話をしながら・・。観ているこちらも、何か胸躍るシークエンスです(^^♪
仲間の農夫たちが、その様子を遠巻きに眺めながら、呆れ返っている様子が描かれます・・。

レイは待ちます。
秋が来て、冬になり、野球場に雪が積もっても、待ち続けます・・。
しかし、雪が消えて、春になった頃、アニーとレイは、野球場にした部分の収穫がなくなったこともあって、収入が減り、これ以上野球場の維持が出来ないかもしれない・・と、夕食のあと、家計簿を見ながら、相談しているところに、カリンがやってきて、「パパ、野球場に誰かいるよ」・・・。

レイとアニーが野球場を見ると、そう、シューレス・ジョー・ジャクソン(レイ・リオッタ)が一人佇んでいました・・。
この時の、アニーの「コーヒーを淹れておくわ」というセリフは、グッと来ました(T_T)


ここで、レイとシューレス・ジョーがノックやバッティングをするのですが、シューレス・ジョーは実際には、はるか昔に亡くなっていて、野球場に現れたのは、いわゆる「幽霊」なのですが、描き方は生きている人間と変わりない様子で、描かれています。それが逆に、新鮮な感じがしました。

カリンの「あなたは幽霊なの?」という問いは、微笑ましいものがあります(^0_0^)
ただ、レイとアニーが、シューレス・ジョーを家に招こうとすると、彼はグラウンドの端に引かれたラインのところまで来て立ち止まり、そこから外へは出ませんでした。。

「次回来る時は、仲間も呼んでいいかな?」と言って、外野の後ろのとうもろこし畑に戻る際、
「レイ、ここは天国か?」の問いに、「ここはアイオワだよ」と笑顔で答えるレイでした。。。

この作品は前述のように、セリフがとてもウィットに富んでいて、脚本がイイなぁ・・と、思いました。

野球場に、1920年の事件で永久追放になった、ホワイトソックスの8人の選手たちが現れます・・。当時のユニフォーム姿で。
しかし、シューレス・ジョーを含むこの選手たちが、レイとアニーとカリン以外の者には見えない、という設定が、面白いですね(^0_0^)
ストーリー終盤で、その「見えない」という設定が、物語にとても関わって来るのですが。。

ストーリーとしては、レイがさらに「Ease his pain(彼の傷を癒せ)」という声を聞き、その「彼」が、'60年代に若者たちのシンボリックな存在だった作家であるテレンス・マン(ジェームズ・アール・ジョーンズ)だと気付き、マンを訪ねてレイは旅に出ます。このテレンス・マンのモデルはサリンジャーだとのこと。

ボストンの古びたアパートで隠遁していたマンをレイは何とか連れ出し、フェンエイ・パークで野球観戦している時に、「Go the distance(最後までやり抜け)」という三つ目の「声」が。その「声」はマンにも聞こえます。

電光掲示板に現れた「アーチー・グラハム」を訪ねて、レイとマンは長距、ミネソタ州・チゾムまでやって来ます。
亡くなったはずのアーチー医師(バート・ランカスター)に、レイは出会い、彼の「メジャーで打席に入り、ピッチャーにウインクをして、三塁打を打つ」という一生の夢を聞きます。

テレンス・マンを乗せて、レイがアイオワの自分の野球場に車で戻る途中、ヒッチハイクしていた青年「アーチー・グラハム」を拾うことになります。

ストーリー終盤、色々なエピソードは、全て、レイが作った野球場に収斂されてゆきます。


私が思うに、人は、完全な善人とか、完全な悪人とか、は、あまりいないんじゃないかな、と。
程度の差こそあれ、誰しも複雑な思いを抱えて生きているのではないだろうか、と。

だからテレンス・マンがいう「しかし野球は辛くも踏みとどまった」というセリフに涙が出るのかな、と。

それに、「夢」というものは、叶わない事のほうが、大部分かな、と。
三塁打を夢見て打席に立ったアーチー・グラハム青年が打った、一本の「犠牲フライ」のように。
何かの歌でもあったが、“叶わないから、「夢」と呼ぶのでしょう”みたいに。

だから、せめて映画の中では、本作のように夢を見たいなぁ。。。と思う訳であります(^0_0^)


それを作れば、彼は来る・・
シューレス・ジョーがレイに囁く。
キャッチャーが面とレガースを外すと。。。

この映画を見ると、泣き虫オジサンになってしまうなぁ。。(T_T)

この作品、音楽もあまり扇情的ではなく、不思議な夢を見ているような気持ちになる感じがして、好感が持てます(^^♪

暮れてゆく地平の彼方から、この野球場に次々とやってくる車のヘッドライトが延々と続いていました。。。

自分は'60年代中程の生まれなので、この作品で語られる'60年代のアメリカの事とかよく解らないけど、この映画は忘れがたい、とても好きな作品です。。。(^0_0^)




ヒッキー的満足度★★★★★






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